一年生、潰れる
第31話
一年生、潰れる
宗像高校女子バレー部の練習は、想像を超えていた。
走る。
跳ぶ。
拾う。
怒鳴られる。
また走る。
中学で全国を獲った美鈴でさえ、初日から体が悲鳴を上げた。
まして、他の一年生たちはなおさらだった。
*
放課後の体育館。
「一年、フットワーク!」
「はい!」
先輩の声が飛ぶ。
横へ。
前へ。
後ろへ。
低く構えて、すぐ戻る。
足が重い。
息が切れる。
それでも止まれない。
「遅い!」
「腰が高い!」
「ボール見ろ!」
桜庭ひかりは、レシーブ練習で何度も床に飛び込んだ。
「もう腕、感覚なか……」
有村凛は、ブロック練習で何度も跳び、膝に手をついた。
「高さ出したいのに、足が言うこと聞かん……」
中原小雪は、速い展開についていけず、トスが乱れた。
「すみません!」
伊東沙耶は声を出し続けたが、最後は声がかすれていた。
「はい……っ!」
片瀬未来は、スパイク練習で踏み込みが遅れ、先輩から厳しい声を受けた。
「その助走じゃ高校では通用せんよ!」
「はい!」
西園寺花音は、守備練習で何度も弾いた。
森下優月は、速攻のタイミングが合わず、悔しそうに唇を噛んだ。
そして美鈴も、例外ではなかった。
「黒崎!」
「はい!」
「中学の癖が残っとる!高校のブロックはもっと速い!」
「はい!」
美鈴は息を切らしながら、もう一度助走に入った。
中学では通じた判断が、ここでは遅い。
中学では決まったコースが、ここでは拾われる。
中学では余裕を持って見えた相手の動きが、ここでは一瞬で消える。
高校は、高校のコート。
その言葉が、何度も胸に刺さった。
*
練習が終わる頃には、一年生たちはほとんど言葉を失っていた。
体育館の床に座り込み、肩で息をする。
桜庭ひかりがつぶやく。
「もう足が動かん……」
伊東沙耶が苦笑する。
「私、今日の帰り道、地面と友達になるかもしれん」
有村凛は静かに言った。
「ジャンプしたら、魂だけ先に飛びそう」
小雪はタオルを顔に当てたまま言う。
「高校バレー、怖か……」
美鈴も汗だくだった。
体はきつい。
でも、ここで空気を沈ませたままにはしなかった。
「みんな」
一年生たちが美鈴を見る。
美鈴は真顔で言った。
「ここで潰れたら、宗像の鍋に入れられるばい」
一瞬の沈黙。
ひかりが顔を上げる。
「高校でも料理!?」
沙耶が吹き出した。
「宗像の鍋って何!?」
美鈴は堂々と続ける。
「一年生疲労鍋。具材は、足が動かんひかり、魂だけ飛びそうな凛、声が枯れた沙耶」
「怖っ!」
「しかも全然おいしくなさそう!」
小雪が笑いながら言う。
「美鈴ちゃん、それ、救いになっとると?」
「なっとる。笑ったら、まだ生きとる証拠たい」
疲れ切った一年生たちの間に、笑いが広がった。
それは大爆笑ではなかった。
息も絶え絶えの、弱々しい笑いだった。
でも、その笑いは確かに効いた。
きつい練習の後の帰宅時の笑いは、疲れた体に染み込む甘酸っぱいレモネードのようだった。
少し酸っぱくて、少し甘くて、喉の奥に残る。
もう一日頑張れるかもしれない。
そう思わせる、不思議な味があった。
*
帰り道。
一年生たちは、のろのろと歩いていた。
部活帰りの夕空は、薄いオレンジ色に染まっている。
ひかりが言った。
「美鈴ちゃん、なんでそんなに笑わせられると?」
「疲れとる時ほど、笑いが必要やけん」
「でも、美鈴ちゃんもきつかろ?」
「きつかよ。今、足が私に反抗期起こしとる」
「足の反抗期!」
沙耶が笑う。
美鈴は足を引きずる真似をした。
「右足が『今日はもう働きたくありません』って言いよる」
「左足は?」
「左足は『右が休むなら私も有給取ります』って言いよる」
全員が笑った。
小雪が涙を浮かべるほど笑いながら言う。
「足に有給あると?」
「あるかもしれん。でも部活中は却下たい」
笑い声が、夕方の道に広がった。
*
だが、美鈴の心の奥は、ただ笑っているだけではなかった。
分かっていた。
ここを乗り越えなければ、レギュラーはない。
高校で試合に出ることもできない。
全国制覇など、夢のまた夢。
宗像高校は強豪だ。
中学の実績だけで特別扱いされる場所ではない。
むしろ、実績があるからこそ、厳しく見られる。
全中二連覇キャプテン。
その肩書きは、期待であり、重圧であり、時には足かせにもなる。
美鈴は家に帰ると、夕食をしっかり食べた。
風呂に入り、体をほぐす。
そして、机に向かってノートを開いた。
『高校練習。中学より速い』
『助走の入りが遅い』
『ブロックの高さに対して、打点を上げる必要』
『レシーブ時、反応だけでなく予測が必要』
『一年生全員、限界に近い。でも笑えば少し戻る』
最後に一行。
『笑いは回復。でも、実力は練習でしかつかない』
*
翌日も練習は厳しかった。
その次の日も。
何度も足が止まりかけた。
何度も怒鳴られた。
何度も、自分はまだ足りないと思い知らされた。
それでも一年生たちは、少しずつ変わっていった。
ひかりは、レシーブで一歩目が速くなった。
凛は、ブロックのタイミングを少しずつつかみ始めた。
小雪は、トスの乱れを修正しようと必死に練習した。
沙耶は、声が枯れても最後まで声を出した。
未来は、助走の形を毎日確認した。
花音は、弾いたボールを追うのをやめなかった。
優月は、速攻のタイミングを何度も合わせ直した。
そして美鈴は、誰よりも考え、誰よりも声を出し、誰よりも笑いを投下した。
*
ある日の練習後。
ひかりが笑いながら言った。
「今日のレモネード、お願いします」
美鈴は首をかしげる。
「レモネード?」
「美鈴ちゃんのギャグ。疲れた体に染みるけん」
沙耶がうなずく。
「うん。酸っぱ甘い感じ」
小雪も言う。
「笑うと、ちょっと帰れる気がする」
美鈴は少し照れた。
「じゃあ、今日の一杯いきます」
そして、真顔で言った。
「今日の私たちの足は、全員、校門前で労働基準監督署に相談しとる」
一年生たちが一斉に吹き出した。
「足が!?」
「相談内容、何!?」
「過重労働たい」
笑いながら、みんなで帰る。
疲れは消えない。
筋肉痛も残る。
明日も厳しい練習が待っている。
それでも、笑いがあるから歩けた。
仲間がいるから、明日も体育館へ行ける。
*
数週間が過ぎた頃。
高城由奈が、一年生たちの練習を見ながら言った。
「少し、動けるようになってきたね」
長谷川真帆がうなずく。
「特に黒崎。きつくても声が落ちん」
森本千春も静かに言う。
「あと、一年の空気を戻すのが早い」
高城由奈は美鈴を見た。
練習で失敗し、汗だくになりながらも、美鈴は仲間に声をかけている。
「次いこう!」
「今のは惜しか!」
「足が家出しかけとるけど、まだ連れ戻せるばい!」
一年生たちが笑いながら、もう一度構える。
高城由奈は小さくつぶやいた。
「なるほどね」
笑いながら、戦える。
それは、宗像高校にも必要な力かもしれなかった。
*
黒崎美鈴、高校一年。
中学で全国を制した肩書きは、高校の厳しさの前では何の保証にもならなかった。
それでも、美鈴は潰れなかった。
苦しさを笑いに変えた。
疲れた仲間に言葉を渡した。
そして、自分自身にも言い聞かせた。
ここを乗り越えないと、先はない。
レギュラーも。
全国制覇も。
その先の夢も。
高校バレーの洗礼は、まだ始まったばかりだった。
けれど、一年生たちは確かに歩き始めていた。
甘酸っぱいレモネードのような笑いを胸に。
明日の練習へ向かうために。
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次回予告
第32話「初めてのベンチ外」
厳しい練習を少しずつ乗り越え始めた美鈴たち一年生。
だが、春の大会メンバー発表で、現実を突きつけられる。
登録メンバーに入った者。
ベンチ入りした者。
そして、ベンチ外になった者。
中学全国連覇キャプテンだった美鈴も、高校では特別扱いされない。
「悔しか。でも、これが高校たい」
初めて味わう、試合に出られない悔しさ。
次回、第32話「初めてのベンチ外」。
美鈴は、もう一度“挑戦者”になる。




