九州の洗礼
第22話
九州の洗礼
県大会を制した宗像中女子バレー部は、九州大会へ進んだ。
だが、県大会優勝の余韻に浸っている時間は、ほとんどなかった。
九州大会。
そこには、福岡だけではない、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄――各県を勝ち抜いた強豪が集まる。
高さ。
速さ。
守備の粘り。
試合運びの巧さ。
そのすべてが、県大会よりもさらに一段上だった。
黒崎美鈴は、練習試合の映像を見ながら、ノートに書き込んでいた。
『九州大会。相手は強い。けど、うちらも強くなっとる』
その横に、もう一行。
『ここで止まらん』
*
九州大会を前に、宗像中に一人の臨時コーチが加わった。
黒崎正一。
美鈴の父であり、元実業団選手。
日本代表経験もあるバレーボール選手だった。
現役を引退したばかりの正一は、福岡を本拠地とする実業団男子チームでコーチの道へ進むことが決まっていた。
その第一歩として、小森一香先生の依頼を受け、宗像中女子バレー部の臨時コーチとして帯同することになったのだ。
体育館に正一が現れると、部員たちは一気に緊張した。
「美鈴のお父さん……」
「元日本代表やろ?」
「でかっ……」
正一は少し苦笑した。
「そんな固まらんでよかよ。今日は怒鳴りに来たわけやなか」
美鈴が横から言った。
「でも、お父さん、話長いけん気をつけて」
「美鈴、初手で父親の弱点ばらすな」
部員たちが笑った。
空気が少しやわらぐ。
正一はコートを見渡した。
「じゃあ、始めようか」
*
正一の指導は、静かで的確だった。
まず、チーム全体の動きを見る。
誰がどこで遅れているか。
誰が無理をしているか。
どこで声が途切れるか。
攻撃の選択肢がどこで狭くなるか。
すぐに見抜いた。
「ひなたちゃん」
「はい!」
「レシーブの一歩目、少し後ろに引きよる。怖い時ほど前たい」
「はい!」
「真央ちゃんは考える力がある。ばってん、考えすぎてボールが来てから動きよる。考えるのはプレー前、動く時は迷わん」
「はい」
「梨音ちゃん」
「はい……」
「高さは武器。でも、自信なさそうに跳ぶと、相手に怖さが伝わらん。全部止めんでよか。触るだけでチームは助かる」
「はい!」
「結菜ちゃんは勢いがいい。ばってん、勢いだけやと読まれる。打つ前に一回だけ相手を見よう」
「はい!」
「さくらちゃん」
「はい!」
「落ち込むの3秒までって聞いた」
「はい、キャプテンルールです!」
「いいルールたい。でも、3秒落ち込んだら、4秒目には声を出すこと」
「はい!」
最後に、正一は美鈴を見た。
「美鈴」
「はい」
「お前はチームを見すぎて、自分の入りが遅れる時がある」
美鈴は少し目を見開いた。
「……はい」
「キャプテンは周りを見る。でも、プレーの瞬間は自分の一本に集中する。そこを切り替えんと、九州では遅れる」
美鈴はうなずいた。
「分かった」
正一は静かに言った。
「九州の相手は、迷った一瞬を逃さんばい」
*
九州大会当日。
会場には、県大会とは違う緊張感があった。
各県の代表校が集まる。
どのチームも、ただ者ではない。
ウォーミングアップの段階から、音が違った。
スパイクの打球音。
サーブの重さ。
ブロックの高さ。
レシーブの反応。
山下ひなたが小さく言った。
「これが九州……」
美鈴はうなずいた。
「うん。ばってん、うちらも九州に来たチームたい」
遥が言う。
「胸張っていこう」
美鈴は全員を集めた。
「強い相手ばっかりやけん、簡単にはいかん」
全員が聞く。
「でも、県大会でも一戦ごとに強くなった。九州でも同じたい。試合の中で成長する」
美鈴はボールを握った。
「全国の切符、取りに行くばい」
「はい!」
*
初戦。
相手は熊本代表。
高さはそこまでないが、守備がとにかく堅い。
宗像中は序盤から苦しめられた。
美鈴が打っても拾われる。
菜月が打っても拾われる。
梨音のクイックも触られる。
県大会準決勝で戦った守備型チームより、さらに反応が速かった。
第1セット中盤。
10対14。
宗像中は追う展開。
美鈴は焦りかけた。
だが、ベンチから正一の声が飛ぶ。
「美鈴、同じリズムで打つな!」
美鈴ははっとした。
同じテンポ。
同じ助走。
同じ打点。
相手はそれを待っていた。
次のラリー。
遥がトスを上げる。
美鈴は強打のフォームに入る。
相手守備が下がる。
その瞬間、短く落とす。
得点。
「ナイス!」
美鈴は拳を握った。
そこから宗像中は攻撃のリズムを変えた。
強打。
軟打。
クイック。
時間差。
相手の守備を少しずつ崩し、第1セットを逆転で取った。
*
第2セットも接戦だった。
しかし、終盤でひなたのレシーブが光った。
相手の強打を正面で受ける。
「上げました!」
遥がつなぐ。
最後は結菜が決める。
試合終了。
宗像中、初戦突破。
ひなたは涙目だった。
「私、上げられました……」
美鈴は笑った。
「出汁、めっちゃ効いとった」
ひなたは泣きながら笑った。
「出汁、頑張りました」
*
2回戦。
相手は沖縄代表。
速い攻撃と独特のテンポで、宗像中を翻弄した。
第1セットを落とす。
ベンチの空気が重い。
真央がノートを見つめながら言った。
「相手、トスのタイミングがずれてます。普通の速攻より、少し間があります」
美鈴が顔を上げる。
「じゃあ、ブロックの入りを半歩遅らせる?」
梨音がうなずいた。
「やってみます」
正一が言う。
「いい修正たい。相手に合わせて待つんやなくて、相手のリズムを読む」
第2セット。
梨音のブロックが触り始めた。
完全に止めるわけではない。
でも、ワンタッチが増える。
ひなたが拾う。
遥が上げる。
美鈴が決める。
宗像中は第2セットを奪い返した。
最終セットも接戦。
最後はさくらのサーブが相手を崩し、美鈴がブロックアウトを決めた。
宗像中、2回戦突破。
さくらは試合後、叫んだ。
「七味、九州でも効きました!」
遥が笑った。
「もう全国区の七味やね」
*
準決勝。
相手は宮崎代表。
攻撃力の高いチームだった。
特にエースのスパイクは強烈で、梨音が触ってもボールの勢いが残る。
宗像中は苦戦した。
第1セットを接戦で取ったものの、第2セットを落とす。
最終セット。
12対12。
どちらが勝ってもおかしくない。
美鈴は円陣を組んだ。
「ここまで来たら、きついのは相手も同じたい」
結菜が汗を拭いながら言う。
「足、もう笑ってます」
美鈴は即答した。
「足が笑うなら、うちらも笑えばよか」
「その理屈あります?」
「宗像中にはある」
全員が笑った。
正一がベンチで小さく笑う。
「美鈴節やな」
小森先生も少し笑った。
試合再開。
宗像中は最後まで粘った。
ひなたが拾う。
梨音が触る。
真央が相手の守備位置を読む。
遥がトスを散らす。
最後は、美鈴。
ブロック二枚。
守備は深い。
美鈴は、一瞬だけ前を見た。
わずかな隙。
短く落とす。
相手が飛び込む。
届かない。
得点。
試合終了。
宗像中、決勝進出。
*
決勝の相手は、鹿児島大附属。
九州でも屈指の強豪だった。
高さ、パワー、守備、試合運び。
すべてが高水準。
試合前、正一はチームに言った。
「鹿児島大附属は強い。特に終盤の集中力が高い」
選手たちは真剣に聞いている。
「勝つためには、序盤から相手に合わせるんやなくて、自分たちのリズムを作ること」
小森先生も続けた。
「全国への切符をかけた試合です。ここまで来たから満足、ではだめ」
美鈴は静かにうなずいた。
「勝ちます」
*
決勝。
第1セット。
鹿児島大附属は強かった。
エースの高さ。
セッターの巧さ。
リベロの粘り。
宗像中は全力で食らいつく。
8対8。
12対12。
18対18。
互角。
だが終盤、鹿児島大附属のエースが連続得点。
宗像中は第1セットを落とした。
*
第2セット。
美鈴は円陣で言った。
「相手、強かね」
全員がうなずく。
「ばってん、うちらも通じとる。ひなたのレシーブも上がっとる。梨音も触れとる。遥のトスも散っとる」
美鈴は拳を握った。
「次、取り返すばい」
第2セットは、宗像中が攻めた。
美鈴のスパイク。
結菜の強打。
梨音のクイック。
さくらのサーブ。
最後は、美鈴がブロックアウトを決めた。
25対23。
宗像中が第2セットを奪取。
*
最終セット。
全国への切符をかけた最後の戦い。
宗像中と鹿児島大附属は、一歩も引かなかった。
5対5。
8対8。
10対10。
ラリーは長く、一本一本が重い。
12対12。
相手エースの強打。
梨音が触る。
「ワンタッチ!」
ひなたが拾う。
遥が上げる。
美鈴が打つ。
拾われる。
相手が返す。
真央が声を出す。
「前、空いてます!」
美鈴が反応する。
次のトス。
美鈴は前へ落とす。
決まる。
13対12。
*
13対13。
再び同点。
相手のサーブ。
ひなたが拾う。
少し乱れる。
遥が苦しい体勢で上げる。
結菜が打つ。
拾われる。
相手エースへ。
強烈なスパイク。
梨音が跳ぶ。
触った。
ボールがふわりと上がる。
美鈴が走る。
「つなぐ!」
ギリギリで上げた。
遥が戻る。
トスは美鈴へ。
美鈴は跳んだ。
相手ブロック二枚。
守備も構えている。
(ここで、決める)
だが、力任せではない。
見る。
選ぶ。
狙う。
ブロックの外側。
手首を返す。
ボールは指先をかすめ、外へ弾けた。
14対13。
宗像中、マッチポイント。
*
最後の一本。
鹿児島大附属は粘った。
簡単には終わらない。
相手の攻撃。
ひなたが拾う。
遥が上げる。
梨音がクイック。
触られる。
相手が返す。
美空が拾う。
真央が声を出す。
「右、空いてます!」
遥が美鈴へ上げる。
美鈴は一瞬、相手を見る。
右が空いている。
だが、相手リベロが動き始めている。
そこではない。
美鈴は打つフォームから、短く落とした。
ネット際。
相手が飛び込む。
届かない。
ボールが床に落ちた。
試合終了。
*
宗像中、九州大会優勝。
全国大会出場決定。
会場の音が、どっと押し寄せた。
「勝った!」
「全国たい!」
「やったー!」
選手たちは抱き合った。
ひなたは泣いていた。
梨音も泣いていた。
さくらは泣きながら笑っていた。
結菜は飛び跳ねていた。
真央はノートを握りしめていた。
遥は美鈴の肩を抱いた。
「キャプテン、取ったね」
美鈴も泣いていた。
でも、笑っていた。
「みんなで取ったとよ」
*
正一はベンチの横で、静かに拍手していた。
小森先生が隣に立つ。
「黒崎さん、お疲れさまでした」
正一は少し照れたように笑った。
「いや、私は少し手伝っただけです」
「いい指導でした」
正一はコートを見る。
美鈴が仲間たちと泣き笑いしている。
「指導者って……難しかですね」
「そうですね」
「でも、面白かです」
小森先生は笑った。
「それなら、向いています」
正一は小さくうなずいた。
現役を退いた彼にとって、この九州大会は、指導者としての第一歩だった。
そして、美鈴にとっても、チームにとっても、大きな一歩だった。
*
その夜。
美鈴は練習ノートを開いた。
『九州大会優勝。全国出場』
『熊本代表:守備型。テンポを変える』
『沖縄代表:独特のリズム。ブロックのタイミング調整』
『宮崎代表:攻撃力。最後まで粘る』
『鹿児島大附属:全部強い。最後は全員で勝った』
そして最後に書いた。
『九州の洗礼を受けた。でも、うちらは乗り越えた。次は全国』
*
黒崎美鈴、中学2年。
キャプテンとして挑んだ九州大会。
宗像中は、さらに大きな壁にぶつかった。
けれど、一戦ごとに学び、一戦ごとに強くなった。
そして、九州の頂点に立った。
美鈴は知っている。
全国は、もっと強い。
けれど、もう怖いだけではなかった。
このチームなら、戦える。
この仲間なら、つなげる。
そう信じられるようになっていた。
⸻
次回予告
第23話「全国への帰還」
九州大会を制し、全国大会への切符をつかんだ宗像中。
美鈴にとって、それは“帰還”でもあった。
中学1年の夏、全国で敗れた悔しさ。
最後の一本を決めきれなかった記憶。
今度は、キャプテンとして全国へ向かう。
「去年の美鈴とは違う」
正一の指導、小森先生の采配、仲間たちの成長。
すべてを胸に、宗像中は全国の舞台へ戻る。
次回予告
第23話「全国への帰還」
九州大会を制し、全国大会への切符をつかんだ宗像中。
黒崎美鈴にとって、それは“帰還”でもあった。
中学1年の夏。
全国の高さ、速さ、技術、精神力に圧倒され、最後の一本を決めきれなかった悔しさ。
あの日、美鈴は自分の現在地を知った。
だが今度は違う。
美鈴は、キャプテンとして全国へ向かう。
「去年の美鈴とは違う」
正一の指導。
小森先生の采配。
遥、ひなた、真央、結菜、梨音、さくら、仲間たちの成長。
そのすべてを胸に、宗像中は再び全国の舞台へ戻る。
だが、全国はやはり甘くない。
初戦から敗退の危機。
相手の徹底マーク。
崩されるレシーブ。
追い詰められる終盤。
それでも美鈴は下を向かない。
「ここで暗くなったら、相手の思うつぼたい」
苦しい場面でも、ギャグを飛ばす。
仲間の緊張をほどく。
空気を変える。
そして、勝負どころでは確実に決めにいく。
全国の会場に、少しずつ噂が広がる。
「あれが宗像中の黒崎美鈴か」
「ギャグかましてから点取りに来るキャプテンって何者なん?」
「笑いながら勝ちに来るとか、逆に怖かばい」
笑いとバレー。
一見、正反対に見える二つを、高いレベルで両立させる美鈴のスタイルに、全国が注目し始める。
次回、第23話「全国への帰還」。
美鈴は、あの日の悔しさにもう一度向き合う。
そして、全国に“宗像中”と“黒崎美鈴”の名を轟かせる。




