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笑う母の物語  作者: リンダ


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県大会の壁

第19話


県大会の壁


 2年生キャプテンとして初勝利を飾った美鈴。


 だが、新チームの課題は、まだ山ほどあった。


 連携の甘さ。

 後輩たちの緊張。

 勝負どころでの判断ミス。

 そして何より――


 キャプテンである美鈴自身が、まだ“全部を背負おうとする癖”を抜けきれていなかった。


     *


 県大会初戦。


 宗像中女子バレー部は、会場入りした瞬間から独特の空気に包まれていた。


 地区大会とは違う。


 応援の声。

 他校の迫力。

 体育館の熱気。

 コートに響くボールの音。


 1年生たちは、明らかに緊張していた。


 山下ひなたは、リベロ候補らしく守備位置を何度も確認している。


「ここで合っとるよね……?」


 川口真央は、ノートを見つめすぎて動きが硬い。


「相手のローテ、えっと……」


 森岡結菜は元気よく見えるが、足が少し落ち着かない。


「大丈夫です!たぶん!」


 高瀬梨音は、声がほとんど出ていない。


「……はい」


 井手さくらは明るく振る舞っているが、サーブ練習でミスした途端、顔が曇った。


「あ、やばい……落ち込みそうです」


 美鈴は全員を見ていた。


 見えていた。


 だからこそ、焦っていた。


(私が何とかせないかん)


 その思いが、少しずつ美鈴の視野を狭くしていた。


     *


 初戦の相手は、県内でも粘り強い守備で知られるチームだった。


 派手な攻撃は少ない。


 だが、簡単に落とさない。


 拾って、つないで、相手のミスを待つ。


 新チームの宗像中にとっては、厄介な相手だった。


 試合前、小森一香先生が言った。


「相手は粘るチームです。焦った方が負ける」


「はい!」


「黒崎さん」


「はい」


「全部自分で決めようとせんこと」


 美鈴は一瞬だけ、目を伏せた。


「……はい」


 分かっている。


 分かっているはずだった。


     *


 第1セット。


 序盤、宗像中は硬かった。


 遥のトスが少し低い。


 菜月のスパイクがアウトになる。


 梨音のブロックのタイミングが遅れる。


 ひなたがサーブレシーブを弾く。


「すみません!」


「大丈夫、次!」


 美鈴は声を出した。


 けれど、点差は少しずつ開いていく。


 8対12。


 10対15。


 宗像中の空気が重くなった。


 その時、美鈴は強引に流れを変えようとした。


「遥、私に上げて!」


 遥が一瞬ためらう。


「でも、美鈴、相手ブロック寄っとるよ」


「いいけん!」


 トスが美鈴に上がる。


 相手ブロックは二枚。


 後ろの守備も美鈴を待っている。


 それでも美鈴は打った。


 強打。


 ブロックに捕まる。


 相手の得点。


「くっ……」


 次のラリーでも、美鈴は自分で決めにいった。


 今度はクロス。


 拾われる。


 さらに次。


 フェイント。


 読まれて拾われる。


 完全に、相手の罠にはまっていた。


     *


 宗像中は第1セットを落とした。


 ベンチに戻った美鈴は、タオルで顔を覆った。


 小森先生は静かに言った。


「黒崎さん」


「はい」


「今、何をしていた?」


 美鈴は答えられなかった。


「チームを助けようとしたのかもしれない。でも、結果として、チームを一人にしていた」


 その言葉が胸に刺さった。


 チームを一人にしていた。


 自分が全部背負うつもりで、逆に仲間を信じきれていなかった。


「……すみません」


 美鈴は小さく言った。


 だが、謝るだけでは足りない。


 第2セットを落とせば、県大会初戦敗退。


 キャプテンとして迎えた県大会は、早くも崖っぷちだった。


     *


 第2セット。


 美鈴は少しプレーを変えようとした。


 しかし、焦りは簡単には消えない。


 相手は美鈴を徹底的に揺さぶってきた。


 強打を打たせて拾う。

 フェイントを読んで拾う。

 サーブで後輩を狙う。

 宗像中の連携の甘さを突く。


 10対14。


 12対17。


 美鈴の心臓が重くなる。


(負ける)


 その言葉が頭をよぎった。


 県大会初戦敗退。


 それも、キャプテンの自分が空回りしたせいで。


 美鈴の手が少し震えた。


 次のサーブ。


 相手はひなたを狙った。


 ひなたが弾く。


「あっ!」


 ボールが乱れる。


 美鈴は走った。


 なんとかつなぐ。


 しかし、攻撃にはならず、相手に返すだけ。


 相手は冷静に組み立て、決めた。


 12対18。


 ひなたの顔が真っ青になる。


「すみません……私が……」


 美鈴は声をかけようとした。


 だが、自分も余裕がなかった。


 言葉が出ない。


 その沈黙が、さらに重かった。


     *


 小森先生がタイムアウトを取った。


 ベンチへ戻る。


 誰も声を出せない。


 ひなたは泣きそうになっている。

 真央は考えすぎて固まっている。

 梨音は下を向いている。

 さくらは完全に落ち込みモードに入っている。

 結菜も、さすがに元気が消えている。


 美鈴は水を飲もうとして、手が震えていることに気づいた。


(私、何しよると……)


 その時、遥がそっと言った。


「美鈴」


「……何?」


「今、美鈴が一番固まっとる」


 美鈴は顔を上げた。


 遥は静かに続けた。


「キャプテンやけんって、全部一人で背負わんでよかよ」


 その言葉で、美鈴の胸の奥が少しほどけた。


 小森先生は何も言わない。


 見守っていた。


 美鈴は、みんなを見た。


 怖がっている後輩たち。

 支えようとしてくれる同級生。

 そして、空回りしていた自分。


 美鈴は深く息を吸った。


 そして――


 ふっと笑った。


「ごめん」


 全員が美鈴を見た。


「今の私、キャプテンやなくて、一人鍋しよった」


「一人鍋?」


 さくらがぽかんとする。


 美鈴は真顔で続けた。


「試合という料理に、私だけ具材を入れすぎた。肉も野菜も豆腐も春菊も全部私。結果、鍋がごちゃごちゃ」


 一瞬の沈黙。


 遥が吹き出した。


「なにそれ」


 美鈴はさらに続けた。


「でもね、試合は料理たい。みんなの持ち味が入らんと、おいしくならん」


 後輩たちの顔が少し上がる。


「ひなたのレシーブは出汁たい。地味やけど、なかったら全部薄くなる」


 ひなたが目を丸くする。


「出汁……」


「真央の考える力は調味料。入れすぎたら濃いけど、ちょうどよかったら最高」


 真央が小さく笑う。


「考えすぎ注意ですね」


「結菜の元気は唐揚げたい」


「唐揚げ!?」


「だって元気出るやん」


 結菜が笑った。


「梨音の高さは大根」


「大根ですか……?」


「じっくり染みたら強か」


 梨音も少し笑った。


「さくらは七味」


「七味!?」


「落ち込むと辛すぎるけど、ちょっと入ると空気が締まる」


 さくらが声を出して笑った。


「私、七味なんですね!」


 美鈴は最後に遥を見た。


「遥は鍋奉行」


「急に責任重っ!」


「セッターやけんね」


 ベンチに笑いが広がった。


 重かった空気が、一気に軽くなる。


 美鈴はボールを握った。


「で、私は……」


 遥が聞く。


「美鈴は何なん?」


 美鈴はにっと笑った。


「スパイスたい」


 全員が笑った。


「入れすぎたら台無し。でも、ここぞで入れたら味が決まる」


 小森先生が口元を押さえた。


 笑いをこらえているのが分かった。


 美鈴は全員を見た。


「ごめん。私、全部自分で決めようとしとった。みんなを信じきれてなかった」


 空気が静かになる。


 でも、さっきまでの重さとは違う。


 前を向く静けさだった。


「ここからは、みんなで勝つ。料理を完成させるばい」


「はい!」


 宗像中の声が、初めて本当にそろった。


     *


 コートに戻った宗像中は、別のチームのようだった。


 まず、ひなたが狙われた。


 相手サーブ。


 速い。


 ひなたは一歩前に出た。


「上げます!」


 ボールは少し乱れたが、上がった。


 美鈴が叫ぶ。


「ナイス出汁!」


 ベンチが爆笑した。


 ひなたも笑いながら顔を上げた。


 遥が走ってトスを上げる。


 菜月が打つ。


 拾われる。


 相手が返す。


 真央が声を出す。


「前、空いてます!」


 美鈴が反応する。


「聞こえた!」


 相手コート前方へ落とす。


 得点。


 13対18。


     *


 次は結菜。


 勢いよくスパイクに入る。


 フォームは少し荒い。


 でも、思い切りがいい。


「いけ、唐揚げ!」


「はいっ!」


 結菜が打つ。


 相手ブロックの手を弾いて外へ。


 得点。


 14対18。


「唐揚げ、揚がった!」


「キャプテン、それどういう意味ですか!」


「おいしかったってこと!」


 チームが笑う。


 でも、足は止まらない。


     *


 梨音のブロック。


 それまで声が小さかった梨音が、ネット前で手を上げた。


「私、跳びます!」


 相手のスパイク。


 梨音がタイミングを合わせる。


 完全に止めたわけではない。


 だが、触った。


 ボールが宗像中コートへふわりと上がる。


「ワンタッチ!」


 里奈が拾う。


 遥が上げる。


 美鈴が決める。


 15対18。


「大根、染みてきた!」


 梨音が少し顔を赤くしながら笑った。


「大根、頑張ります!」


     *


 さくらはサーブで登場した。


 手が震えている。


「落ち込むの3秒までやけんね!」


 美鈴が声をかける。


 さくらは大きくうなずいた。


「七味、入ります!」


 サーブ。


 ネットぎりぎりを越える。


 相手が崩れる。


 チャンスボール。


 遥が美鈴へ上げる。


 美鈴は強打ではなく、ブロックの外へ打ち分けた。


 得点。


 16対18。


     *


 流れが変わった。


 相手が焦り始める。


 宗像中は、一本一本を丁寧につないだ。


 美鈴はもう、一人で決めに行かなかった。


 必要な時は打つ。


 必要な時はつなぐ。


 必要な時は、後輩に任せる。


 それが、キャプテンの仕事だった。


 18対19。


 20対20。


 ついに同点。


 ベンチの空気は熱くなっていた。


 小森先生が静かに言う。


「ここからよ」


     *


 終盤。


 22対22。


 相手は再び美鈴を狙った。


 強烈なスパイク。


 美鈴は拾う。


「上げた!」


 遥がトスを上げる。


 美鈴に戻す。


 相手ブロックは二枚。


 後ろも美鈴を待っている。


 だが、美鈴は笑った。


(今は、私だけやない)


 美鈴は打つふりをして、後ろへ軽く流した。


 菜月がそこへ入る。


「任せて!」


 菜月のスパイクが決まる。


 23対22。


「ナイス!」


 美鈴が叫ぶ。


「今の、具材の連携たい!」


「もう料理から離れてください!」


 遥が笑いながら突っ込む。


     *


 24対23。


 宗像中のマッチポイント。


 相手の攻撃。


 梨音がブロックに触る。


 ひなたが拾う。


「上げました!」


 遥がトスを上げる。


 最後は美鈴へ。


 相手は待っている。


 強打もフェイントも警戒している。


 美鈴は空中で一瞬、相手を見る。


 前は詰めている。

 後ろは深い。

 ブロックの外側がわずかに空いている。


(ここ)


 手首を返す。


 ボールはブロックの指先をかすめ、外へ弾かれた。


 得点。


 試合終了。


 宗像中、県大会初戦突破。


     *


 笛が鳴った瞬間、後輩たちが泣き出した。


「勝った……」


「勝ちました……!」


 美鈴は膝に手をつき、深く息を吐いた。


 勝った。


 だが、簡単な勝利ではなかった。


 危うく、自分のせいで負けるところだった。


 遥が隣に来る。


「キャプテン」


「何?」


「今日の鍋、まあまあおいしかったね」


 美鈴は笑った。


「かなり焦げかけたけどね」


 小森先生が近づいてきた。


「黒崎さん」


「はい」


「今日の前半、最悪でした」


「はい……」


「全部背負おうとして、チームを見失っていた」


「はい」


「でも、立て直した」


 美鈴は顔を上げた。


 小森先生は続けた。


「キャプテンは、失敗しない人のことやなか。失敗したあとに、チームを前へ向かせられる人のことです」


 美鈴の胸が熱くなった。


「はい」


「今日のこと、忘れんように」


「絶対、忘れません」


     *


 その夜。


 美鈴は練習ノートを開いた。


『県大会初戦。勝利』

『前半、全部自分で背負おうとして失敗』

『仲間を信じること』

『後輩にも役割がある』

『キャプテンは一人鍋禁止』


 最後に、少し笑いながら書いた。


『試合という料理には、全員の味が必要。私はスパイス。入れどころを間違えない』


     *


 黒崎美鈴、中学2年。


 キャプテンとして、初めて大きな失敗をした。


 危うく県大会初戦敗退という重い結果を招きかけた。


 だが、美鈴はそこから逃げなかった。


 自分の間違いを認めた。

 仲間に謝った。

 笑いで空気を戻した。

 そして、チーム全員の力で勝利をつかんだ。


 その経験は、美鈴に深く刻まれた。


 チームを背負うことと、一人で抱え込むことは違う。


 勝つためには、自分の力だけでは足りない。


 みんなの力を引き出すこと。


 それこそが、キャプテンの仕事だった。


 そして、その考えはのちに――


 指導者・黒崎美鈴の根幹になっていく。



次回予告


第20話「県大会の壁、その先へ」


 県大会初戦を辛くも突破した宗像中。


 しかし、次に待つ相手は県内屈指の強豪校。


 高さ、サーブ力、守備力。

 すべてが一段上。


 初戦で大失敗を経験した美鈴は、今度こそチーム全員で戦う覚悟を固める。


「一人で勝つんやない。みんなで勝つ」


 後輩たちも、それぞれの役割を果たそうと必死に食らいつく。


 次回、第20話「県大会の壁、その先へ」。

 宗像中は、本当の強豪に挑む。

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