女子キャプテン黒崎美鈴
第18話
女子キャプテン黒崎美鈴
中学1年の秋。
宗像中女子バレー部は、3年生たちの引退の日を迎えていた。
松永沙紀。
原田千尋。
井上玲奈。
全国の舞台を経験し、宗像中を引っ張ってきた先輩たちが、コートを去る。
体育館には、いつもより静かな空気が流れていた。
練習後、松永は美鈴を呼んだ。
「黒崎、ちょっとよか?」
「はい」
美鈴は体育館の端へ歩いた。
松永は、しばらくコートを見ていた。
「うちらは、もう引退する」
「はい……」
「ばってん、宗像中のバレーは終わらん」
松永は美鈴を見た。
「次は、あんたたちの代たい」
美鈴は唇を結んだ。
分かっていた。
でも、言葉にされると、その重さが胸に落ちてくる。
松永は続けた。
「黒崎。あんたは、ただの1年レギュラーやなか」
「……」
「点も取れる。拾える。声も出せる。ばってん、それだけやなか。あんたは、苦しい空気を変えられる」
美鈴は顔を上げた。
「空気を……」
「そうたい。チームが固まった時、あんたが一言言うと、みんな少し前を向ける」
原田が横から言った。
「技術はこれからもっと伸びる。でも、その力は簡単には身につかん」
井上も笑った。
「あと、変なギャグで緊張ほぐすのは、正直ずるか」
「ずるいんですか」
「ずるか。笑ってしまうもん」
美鈴は少しだけ笑った。
松永は、最後にまっすぐ言った。
「黒崎。次の宗像中を、あんたが支えり」
美鈴は息をのんだ。
“支えり”。
その言葉は、命令ではなく、託す言葉だった。
「……はい」
美鈴は深く頭を下げた。
「必ず、つなぎます」
*
冬。
新チームが始まった。
しかし、松永たち3年生が抜けた穴は大きかった。
声が減った。
判断が遅れた。
苦しい場面で誰を見るべきか、チーム全体が少し迷っていた。
美鈴は、まだ1年生だった。
けれど、すでに新チームの中心だった。
西村遥がセッターとして組み立てる。
宮田紗英がミドルで高さを出す。
江藤里奈が守備で粘る。
藤原菜月がオポジットとしてパワーを出す。
坂井美空がアウトサイドで思い切りよく打つ。
そこに、美鈴がいた。
得点源として。
声を出す存在として。
そして、チームの空気をつなぐ存在として。
小森一香先生は、ある日の練習後に美鈴を呼んだ。
「黒崎さん」
「はい」
「新チーム、どう見える?」
美鈴は少し考えた。
「みんな力はあります。でも、苦しい時に誰が声を出すか、まだ決まっとらん感じです」
「そうね」
「あと、ミスしたあとに空気が止まります」
小森先生はうなずいた。
「よく見とる」
そして静かに言った。
「来年度、あなたをキャプテンにするつもりです」
美鈴は一瞬、声が出なかった。
「……私を、ですか」
「そう」
「まだ、今は1年です」
「だから今から準備する」
美鈴は黙った。
小森先生は厳しく、でも落ち着いた声で続けた。
「キャプテンは、一番うまい人がなるとは限らん。一番声が大きい人がなるとも限らん」
「はい」
「でも、チームを見られる人でないといけない」
美鈴は、松永の言葉を思い出した。
次の宗像中を、あんたが支えり。
胸の奥が熱くなる。
「先生」
「何?」
「怖かです」
小森先生は表情を変えなかった。
「怖くて当然たい」
美鈴は顔を上げた。
「怖くても、やると?」
「やるかどうかは、あなたが決める」
少しの沈黙。
美鈴は深く息を吸った。
「やります」
声は震えていた。
でも、逃げてはいなかった。
「私が、宗像中を支えます」
*
春。
美鈴は中学2年生になった。
松永たちは卒業し、宗像中女子バレー部は新しい代へ完全に移った。
新入部員も入ってきた。
緊張した顔で体育館に立つ1年生たち。
美鈴はその姿を見て、去年の自分を思い出した。
ついていくだけで精いっぱいだった日々。
足が止まって怒られた日。
全国で圧倒された日。
悔しくてノートに書き続けた夜。
小森先生が全員を集めた。
「今日から新体制です」
体育館が静まる。
「キャプテン、黒崎美鈴」
美鈴は一歩前に出た。
「はい」
「副キャプテン、西村遥」
「はい」
美鈴はチームの前に立った。
同級生。
後輩。
新入部員。
全員の視線が集まる。
美鈴は少しだけ緊張した。
だが、逃げなかった。
「キャプテンになりました。黒崎美鈴です」
声が体育館に響く。
「私は、まだ足りんところばっかりです。ばってん、みんなと一緒に強くなりたいです」
後輩たちが真剣に聞いている。
「ミスしても責めません。ばってん、なんでミスしたかは一緒に考えます」
同級生たちがうなずく。
「苦しい時は、声出します。空気が重くなったら、たぶん変なことも言います」
少し笑いが起きた。
美鈴も笑った。
「でも、勝ちにいきます。宗像中は、全国を目指します」
その言葉に、体育館の空気が変わった。
*
キャプテンとしての日々は、簡単ではなかった。
後輩がサーブカットで何度も失敗する。
「すみません……」
その子は泣きそうな顔をしていた。
美鈴は近づいた。
「謝るより、次どうするか考えよ」
「はい……」
「今のは足が止まっとった。ボールが来てから動きよるけん、遅れると」
「はい」
「ばってん、最初からできる人はおらんけんね」
後輩が顔を上げる。
美鈴はにっと笑った。
「私なんか最初、顔でレシーブしそうになったけん」
「えっ」
「鼻が公式戦デビューしかけた」
後輩が吹き出した。
美鈴はすぐに続ける。
「でも、笑って終わりやなかよ。次は足を一歩前。やってみよ」
「はい!」
*
同級生たちにも、それぞれ壁があった。
西村遥は、試合終盤になるとトスが低くなる。
「美鈴、また低くなった……」
「疲れた時、腕だけで上げようとしとるかも」
「足?」
「うん。最後まで足で押し出してみて」
宮田紗英は、ブロックのタイミングに悩んでいた。
「跳ぶの早すぎるって言われる」
「相手の腕じゃなくて、トスの頂点を見てみたらどう?」
江藤里奈は、守備範囲に迷っていた。
「どこまで私が取ったらよかか分からん」
「声出して決めよ。『私』って言えば、周りも動けるけん」
藤原菜月は、力任せになりすぎていた。
「打てる時ほど、相手見た方がいいかも」
「見よるつもりなんやけどね」
「じゃあ、打つ前に一回だけ深呼吸してみて。力入りすぎとる」
坂井美空は、ミスのあとに落ち込みやすかった。
「またやった……」
「美空」
「うん」
「落ち込むのは3秒まで」
「短か!」
「4秒目から次の準備たい」
美空は笑った。
「美鈴、厳しいんか優しいんか分からん」
「両方たい」
*
秋の地区新人戦。
美鈴にとって、2年生キャプテンとして迎える初めての公式戦だった。
試合前、後輩たちは緊張していた。
「足、震えます……」
「ミスしたらどうしよう……」
美鈴は全員を集めた。
「緊張してよか」
みんなが美鈴を見る。
「緊張しとるってことは、本気ってことやけん。ばってん、緊張だけで終わったらもったいなか」
美鈴はボールを持ち上げた。
「一本目を大事にしよう。ミスしても、次につなげる。誰かが落としても責めん。どうしたら次上がるか考える」
そして、少し笑った。
「あと、空気が重くなったら私が変なこと言うけん、笑ってよか」
遥が横から言った。
「それ、キャプテン権限なん?」
「そうたい。笑いのタイムアウト」
「公式ルールにないけど」
「宗像中ルールたい」
チームに笑いが広がった。
*
試合開始。
新チームは、まだぎこちなかった。
連携ミス。
サーブミス。
声のかぶり。
だが、美鈴は落ち着いていた。
「大丈夫、次!」
「声出していこう!」
「今のは惜しか!次は足一歩前!」
自分も得点を取る。
強打で決める。
ブロックアウトを取る。
相手の空いた場所へ落とす。
それでも、美鈴は自分だけで勝とうとはしなかった。
後輩が初めて公式戦でレシーブを上げた時、美鈴は誰よりも大きな声で叫んだ。
「ナイス!」
その一言で、後輩の顔が変わった。
チームが少しずつ動き始めた。
*
第1セットを取った。
第2セットは相手に追い上げられた。
20対20。
新チームにとって初めての苦しい場面。
ミスが続き、空気が重くなる。
タイムアウト。
ベンチに戻ると、みんなの顔が硬かった。
美鈴は水を一口飲み、言った。
「今、全員顔が石像みたいになっとる」
遥が吹き出した。
「石像?」
「うん。宗像中石像部になっとる」
後輩たちも笑った。
美鈴は続けた。
「でも、石像は動けんけんね。うちらは動く。足動かして、声出して、一本ずつ取る」
小森先生は黙って聞いていた。
美鈴は全員を見た。
「この試合、勝つよ」
「はい!」
*
コートに戻った宗像中は、明らかに変わった。
声が出る。
足が動く。
拾う。
21対20。
22対20。
相手も粘る。
22対21。
次のラリー。
長いラリーになった。
美鈴が拾う。
遥が上げる。
菜月が打つ。
拾われる。
相手が打つ。
里奈が拾う。
最後は美鈴へトスが上がった。
相手ブロックは二枚。
美鈴は強打に入る。
相手が跳ぶ。
その瞬間、手首を変えた。
ボールはブロックの外側を抜け、ライン際に落ちた。
得点。
23対21。
流れは宗像中へ傾いた。
最後は宮田紗英のブロックが決まり、試合終了。
宗像中、新チーム初勝利。
*
ベンチに戻った瞬間、後輩たちが美鈴に駆け寄った。
「キャプテン!」
「勝ちました!」
「やった!」
美鈴は笑った。
「みんなで勝ったとよ」
小森先生が近づいてきた。
「黒崎さん」
「はい」
「初陣、勝利やね」
「はい」
「プレーもよかった。でも、それ以上に、ベンチとコートの空気をよく見ていた」
美鈴は少し照れた。
「まだ全然です」
「そうね。まだ全然」
小森先生はあえてそう言った。
「でも、始まりとしては悪くない」
美鈴は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
*
帰り道。
夕焼けの中、美鈴はチームメイトたちと歩いていた。
後輩たちが楽しそうに試合の話をしている。
遥が隣に来た。
「キャプテン、どうやった?」
「重か」
「やっぱり?」
「うん。でも、嫌じゃなかった」
遥は笑った。
「美鈴らしかね」
美鈴は少し遠くを見た。
「自分が決めるだけじゃなくて、みんなが力出せるようにせないかんって思った」
「それ、もう指導者みたいやん」
美鈴は笑った。
「まだ早かろ」
「でも、向いとると思う」
美鈴は何も言わなかった。
けれど、その言葉は胸に残った。
*
その夜。
美鈴は練習ノートを開いた。
『キャプテン初戦。勝利』
『後輩が緊張していた。言葉で少しほぐせた』
『20点以降、全員の足が止まりかけた。声かけ必要』
『自分が点を取るだけでは足りない』
『チーム全体を見る』
最後に、こう書いた。
『みんなが力を出せるチームにする』
*
黒崎美鈴、中学2年。
選手としてだけでなく、チームをまとめる存在として歩き始めた。
松永たち先輩から託されたもの。
小森先生から与えられた責任。
同級生と後輩たちへのまなざし。
後輩を見る。
同級生を支える。
苦しい時に声を出す。
空気を変える。
勝ち方を考える。
その姿には、すでに指導者としての才能が芽生えていた。
のちに博多ドンタクス女子中学部の監督として名将と呼ばれる美鈴。
その原点のひとつは、この2年生キャプテンとしての初陣にあった。
ただのレギュラーではない。
ただの得点源でもない。
黒崎美鈴は、チームを背負う人になり始めていた。
⸻
次回予告
第19話「県大会の壁」
2年生キャプテンとして初勝利を飾った美鈴。
だが、新チームの課題はまだ多かった。
連携の甘さ。
後輩たちの緊張。
勝負どころでの判断ミス。
県大会では、強豪校が容赦なくその弱点を突いてくる。
「キャプテンやけん、全部背負わないかんと?」
責任の重さに揺れる美鈴。
次回、第19話「県大会の壁」。
チームを背負うことと、一人で抱え込むことは違う。




