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笑う母の物語  作者: リンダ


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全国の景色

第16話


全国の景色


 夏の朝は、いつもより早く明るくなったように感じた。


 宗像中女子バレー部の選手たちは、福岡を出発し、全国大会の会場へ向かっていた。


 バスの中には、独特の緊張感が漂っている。


 いつものように騒がしいわけではない。

 けれど、沈んでいるわけでもない。


 誰もが、自分の中で静かに気持ちを整えていた。


 黒崎美鈴は、窓の外を見ていた。


 流れていく景色。

 夏の空。

 遠くへ向かう道。


 小学生の時にも、全国大会へ行った。

 あの時、全国で優勝した。


 だから、周りからはこう言われることもあった。


「美鈴ちゃん、全国慣れとるやろ?」


「小学生の時、優勝しとるけん大丈夫やね」


 でも、美鈴は知っていた。


 全国は、そんな簡単な場所ではない。


 勝ったことがあるからこそ、分かる。


 全国には、全国に来るだけの理由がある選手しかいない。


 そして今度は、中学生の全国だ。


 体も違う。

 力も違う。

 考え方も違う。


 相手は、本気でその先を見ている。


 高校。

 実業団。

 日本代表。

 プロの道。


 その入口に立つ選手たちが、全国のコートに集まっている。


 美鈴は膝の上で両手を握った。


「……全部出す」


 小さくつぶやく。


 隣に座っていた同級生の西村遥が顔を向けた。


「美鈴、なんか言った?」


「ううん。気合い入れただけ」


「緊張しとる?」


「しとる」


 美鈴は正直に答えた。


「ばってん、緊張しとるってことは、本気ってことやけん」


 遥は少し笑った。


「美鈴が言うと、なんか安心するね」


「安心しすぎて寝たらだめばい」


「それは美鈴の方やろ。昨日、集合前から眠そうやったやん」


「それは成長期たい」


「便利な言葉やね、成長期」


 二人は小さく笑った。


 バスの空気が、少しだけやわらいだ。


     *


 会場に着いた瞬間、美鈴は息をのんだ。


 大きな体育館。


 いくつものコート。

 全国から集まったチーム。

 見たことのないユニフォーム。

 鋭い目をした選手たち。


 ボールの音が、いつもより重く聞こえた。


 ぱんっ。

 ぱんっ。

 きゅっ。


 ウォーミングアップをしている選手の動きが速い。


 背の高いミドルブロッカー。

 鋭いスパイクを打つアウトサイド。

 床に吸いつくように拾うリベロ。

 迷いなくボールを散らすセッター。


 美鈴は思わずつぶやいた。


「これが、全国……」


 隣にいた主将・松永沙紀が言った。


「びびった?」


 美鈴は少し黙った。


 そして、うなずいた。


「はい。正直、びびりました」


 松永は口元を緩めた。


「それでよか」


「よかとですか?」


「何も感じん方が怖かよ。相手の強さが分かるなら、準備できる」


 美鈴は松永を見た。


「準備……」


「そう。びびったまま終わるか、びびった上で動くか。それだけたい」


 松永はコートを見た。


「うちらは、ここまで来た。逃げる場所はなか」


「はい」


 美鈴は深く息を吸った。


 床の匂い。

 汗の匂い。

 夏の体育館の熱。


 全身が、全国の空気を感じていた。


     *


 初戦の相手は、関東代表の強豪校だった。


 試合前の公式練習。


 相手のスパイクが、次々と床に突き刺さる。


 宗像中のベンチにも、その音が響いた。


 藤原菜月が小さく言った。


「音、えぐかね……」


 江藤里奈も息をのむ。


「ブロック高か……」


 美鈴は相手の動きを見ていた。


 確かに強い。


 でも、ただ強いだけではない。


 助走の入り方。

 トスへの合わせ方。

 打つ瞬間の視線。

 守備への戻り。


 ひとつひとつが洗練されている。


 小森一香先生が選手たちを集めた。


「相手は強い。そこは認めなさい」


 誰も反論しなかった。


「でも、強い相手に対して、最初から負ける理由を探すな。うちらがやることは変わらん。一本目を丁寧に。声を切らさず。つないで、考えて、攻める」


 小森先生は美鈴を見た。


「黒崎さん」


「はい」


「全国では、相手もあなたを見る。小学生で全国優勝した子、一年生レギュラー。狙われる可能性は高い」


「はい」


「狙われても、逃げんこと」


 美鈴はうなずいた。


「逃げません」


     *


 試合開始。


 笛が鳴る。


 相手のサーブ。


 最初の一本は、美鈴の正面へ飛んできた。


 速い。


 重い。


 美鈴は低く入った。


「上げる!」


 腕に衝撃が走る。


 ボールは少し乱れたが、松永の届く場所へ上がった。


「ナイス!」


 松永がトスを上げる。


 古賀真帆が打つ。


 しかし、相手リベロが拾う。


 ラリーが続く。


 返ってきたボール。


 再び宗像中が組み立てる。


 今度は美鈴へトスが上がった。


 美鈴は助走に入る。


 相手ブロックが二枚。


 高い。


 打つ瞬間、前が見えなかった。


 美鈴はクロスへ打った。


 ボールはブロックに当たり、宗像中コートへ落ちた。


 相手の得点。


「くっ……」


 美鈴は唇を噛んだ。


 高さが違う。


 反応が違う。


 小学校時代に見た全国とは、まるで違う壁だった。


 松永がすぐに声をかけた。


「黒崎、下向かん!」


「はい!」


「次、見るよ!」


「はい!」


     *


 相手は徹底して美鈴を狙ってきた。


 サーブ。

 フェイント。

 スパイクのコース。


 一年生を崩す。


 それが明らかな狙いだった。


 美鈴は必死に食らいついた。


「上げる!」


「もう一本!」


「こっち!」


 拾えるものもある。


 でも、崩されるものもある。


 相手のスパイクは、打つ直前までコースが読みにくい。

 フェイントも鋭い。

 ブロックの上から打ってくる選手もいる。


 第1セット。


 宗像中は押された。


 美鈴も何本かミスをした。


 セット終盤。


 相手の強打。


 美鈴は反応したが、半歩遅れた。


 ボールは床へ。


 第1セットを落とした。


     *


 ベンチに戻った美鈴は、タオルで汗を拭いた。


 息が荒い。


 悔しい。


 でも、それ以上に頭の中が忙しかった。


(何が違う?)


(打つ前の肩の向きと、実際のコースが違う)


(ブロックが高いから、見えてからでは遅い)


(サーブは速いけど、回転が読めれば入れる)


 小森先生が声をかけた。


「黒崎さん」


「はい」


「今、何を見とる?」


 美鈴は答えた。


「相手の打つ直前の体の向きです。でも、それだけじゃ間に合わんです」


「じゃあ?」


「助走の入り方と、セッターのトスの位置から予測します」


 小森先生はうなずいた。


「それでいい。全国は、見えてから動いたら遅い。準備を早く」


「はい」


 松永が水を飲みながら言った。


「黒崎、第2セット、最初の3本が大事たい」


「はい」


「狙われるよ」


「分かっとります」


「じゃあ、楽しめ」


 美鈴は目を丸くした。


「楽しめ、ですか?」


「びびったまま受けるより、狙われとるのを楽しんだ方が体動くけん」


 美鈴は一瞬黙り、それから笑った。


「それ、なかなか無茶言いますね」


「全国やけんね」


     *


 第2セット。


 相手のサーブは、やはり美鈴へ来た。


 美鈴は構える。


 今度は、打たれてからではなく、サーバーの肩と手首を見ていた。


(少し右に流れる)


 半歩動く。


 腕を作る。


「上げる!」


 今度はきれいに松永へ返った。


「ナイスカット!」


 松永が速いトスを上げる。


 原田千尋がクイックで決めた。


 宗像中に得点。


 ベンチが沸く。


 美鈴は小さく拳を握った。


「一本」


 次のサーブも来た。


 また美鈴へ。


(狙われとる)


 怖さはある。


 でも、逃げない。


「来い」


 美鈴は低く構えた。


 ボールが来る。


 腕に当てる。


 上がる。


 またつながる。


 宗像中の流れが少しずつ戻り始めた。


     *


 中盤。


 宗像中は粘った。


 井上玲奈が床ぎりぎりのボールを拾う。


「まだ!」


 松永が走ってトスを上げる。


 古賀が打つ。


 拾われる。


 相手が打つ。


 美鈴が拾う。


「上げた!」


 田浦若菜がつなぐ。


 再び美鈴へ。


 相手ブロックは高い。


 美鈴は強打に入るふりをした。


 相手が跳ぶ。


 後ろの守備が下がる。


 美鈴は短く落とした。


 ボールが前に落ちる。


 得点。


「ナイス、黒崎!」


 松永が声を上げる。


 美鈴は大きく息を吐いた。


 通用する。


 全部ではない。

 でも、今の自分の工夫は、全国でも通じるものがある。


 それが分かっただけで、体が少し軽くなった。


     *


 しかし、全国の相手は簡単に崩れなかった。


 すぐに対応してくる。


 次に同じフェイントを狙った時、相手リベロは前に入っていた。


 拾われる。


 そこから逆に速攻を決められる。


「早か……」


 美鈴は歯を食いしばった。


 相手も考えている。


 一度通じたからといって、二度目も通じるとは限らない。


 それが全国だった。


 第2セットは接戦になった。


 22対22。


 宗像中のサーブ。


 相手が崩れる。


 チャンスボール。


 松永が美鈴へ上げる。


 美鈴は跳んだ。


 ブロック二枚。


 ストレートが少し空いている。


 打つ。


 ボールはライン際へ。


 決まった。


 23対22。


「よし!」


 だが、次のラリーで相手のエースに決められる。


 23対23。


 さらに相手が連続得点。


 23対24。


 セットポイントを握られた。


     *


 最後のラリー。


 相手のサーブは美鈴へ。


 美鈴は受けた。


 少し乱れる。


 松永が追う。


 トスが苦しい。


 美鈴は再び助走に入った。


 打てる。


 でも、ブロックが待っている。


 美鈴は一瞬、相手コートを見た。


 後ろは深い。

 前は警戒されている。

 ブロックの外側が少し甘い。


 狙う。


 指先。


 美鈴はブロックアウトを狙った。


 だが、わずかに当たり方が浅かった。


 ボールは外へ出ず、相手コートへ戻る。


 相手が拾う。


 トスが上がる。


 エースが打つ。


 宗像中コートに落ちる。


 試合終了。


     *


 宗像中は初戦を落とした。


 体育館の歓声が遠く聞こえる。


 美鈴はコートに立ったまま、しばらく動けなかった。


 全部出した。


 逃げなかった。


 でも、届かなかった。


 悔しさが、胸の奥から込み上げてくる。


 松永が近づいてきた。


「黒崎」


「……はい」


「最後の判断、悪くなかった」


 美鈴は顔を上げた。


「でも、決まりませんでした」


「そうたい。だから次は、決められるようになる」


 美鈴の目に涙がにじむ。


「全国、すごかですね」


 松永は静かにうなずいた。


「すごかよ。だから、来た意味がある」


     *


 試合後、宗像中の選手たちは観客席に移動し、ほかの試合を見た。


 美鈴は食い入るようにコートを見つめていた。


 全国の強豪同士の試合。


 ラリーのスピード。

 判断の速さ。

 レシーブの精度。

 精神的な強さ。


 一点を取られても、顔色が変わらない。

 ミスをしても、次のプレーで取り返す。

 流れを読んで、必要な一本を決める。


 美鈴は自分の手を見た。


「まだ、全然足りん」


 隣の遥が言った。


「美鈴でもそう思うと?」


「思う。めちゃくちゃ思う」


「悔しか?」


「悔しか」


 美鈴は前を向いたまま言った。


「でも、見えてよかった」


「何が?」


「今の自分の場所」


     *


 その夜。


 宿舎で、美鈴は練習ノートを開いた。


 ペンを握る手に力が入る。


『全国。高さ、速さ、判断、メンタル。全部違った』

『狙われた。逃げなかった。でも精度が足りない』

『一度通じたプレーも、すぐ対応される』

『最後のブロックアウト、判断は悪くない。でも技術が足りない』

『次は、決める』


 書きながら、涙がぽたっと落ちた。


 悔しかった。


 でも、不思議と心は折れていなかった。


 むしろ、燃えていた。


 自分の現在地が分かった。


 今、自分がどこにいるのか。

 全国の中で、何が足りないのか。

 何を伸ばせばいいのか。


 それが見えた。


     *


 小森先生が部屋の前を通りかかり、美鈴がノートを書いているのを見た。


「黒崎さん」


「はい」


「まだ起きとったと?」


「はい。今日のこと、忘れんうちに書いときたくて」


 小森先生は少しだけ微笑んだ。


「今日、怖かった?」


 美鈴は正直に答えた。


「怖かったです」


「悔しかった?」


「めちゃくちゃ悔しかったです」


「また来たい?」


 美鈴は顔を上げた。


「来たいです。今度は勝ちに来たいです」


 小森先生はうなずいた。


「その気持ちがあるなら、今日の負けは終わりやない」


     *


 翌日。


 宗像中は大会を後にした。


 結果だけを見れば、悔しい敗戦だった。


 だが、美鈴にとって、この全国は大きな意味を持った。


 全国は甘くない。


 それを知っていたつもりだった。


 でも、実際に中学の全国で肌に受けた強さは、想像以上だった。


 高さ。

 速さ。

 技術。

 精神力。


 そして、本気で上を目指す選手たちの目。


 美鈴は、その景色を忘れなかった。


     *


 福岡へ戻るバスの中。


 美鈴は窓の外を見ていた。


 遥が隣で眠っている。

 先輩たちも疲れ切った表情で目を閉じている。


 美鈴だけは、まだ起きていた。


 頭の中で、最後の一本を何度も思い出していた。


 あのブロックアウト。

 あの判断。

 あと少しの精度。


 次は。


 次は、決める。


 美鈴は小さくつぶやいた。


「ここが、今の美鈴の場所」


 そして、もう一度。


「でも、ここで終わらん」


     *


 中学1年の夏。


 黒崎美鈴は、全国の景色を見た。


 勝利ではなく、敗北の中で。


 けれど、その敗北は、美鈴を止めなかった。


 むしろ、進むべき道をはっきり照らした。


 全国の強さを知った。

 自分の足りなさを知った。

 それでも、通じるものがあることも知った。


 美鈴は、自分の現在地を知った。


 そして――


 次に進むための一歩を、静かに踏み出していた。



次回予告


第17話「頂点」


 全国で敗れた宗像中。


 悔しさを胸に、秋から冬へと練習はさらに厳しさを増していく。


 美鈴は、自分に足りなかった精度と判断力を磨き続ける。


 そして迎える新たな大会。


 チームは再び強豪校と激突する。


「今度は、決める」


 全国で見た景色を越えるために。

 美鈴は、ひとつ上の自分へ進む。


 次回、第17話「頂点」。

 悔しさが、勝利への力に変わる。

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