前中への道
第15話
全中への道
夏が近づくにつれ、宗像中学校の体育館の空気は、少しずつ熱を帯びていった。
床に響くシューズの音。
ボールが腕に当たる乾いた音。
仲間の声。
小森一香先生の鋭い指示。
「一本目、丁寧に!」
「切り替え早く!」
「声が遅い!」
中体連が近づいていた。
地区予選。
県大会。
九州大会。
そして、その先にある全中。
全国中学校体育大会。
宗像中女子バレー部の目標は、最初からはっきりしていた。
「うちらは、全国に行く」
主将・松永沙紀の言葉に、部員たちは力強くうなずいた。
その中に、1年生レギュラーの黒崎美鈴もいた。
*
中学に入ったばかりの頃、美鈴は練習についていくだけで精いっぱいだった。
だが、数か月が過ぎた今、その動きは明らかに変わっていた。
レシーブ。
以前は強いボールに押されていた。
今は、相手の肩の向き、腕の振り、足の入り方を見て、半歩早く動けるようになっていた。
「黒崎、ナイスカット!」
「はい!」
トス。
セッターではない。
それでも乱れたボールを、とっさに仲間が打ちやすい位置へ上げられる。
「美鈴、助かった!」
「決めて!」
アタック。
ただ強く打つだけではなくなった。
ブロックの指先を狙う。
コートの空いた場所へ落とす。
強打とフェイントを使い分ける。
そして、スパイク。
踏み込み。
腕の振り。
打点。
相手を見る目。
どれを取っても、ただの1年生のレベルではなかった。
それは才能だけではない。
練習のたびに考え、失敗を分解し、ノートに書き、次の日に試す。
その積み重ねだった。
*
ある日の練習後。
美鈴は体育館の端で、ノートを開いていた。
『レシーブ。強打の時、少し重心が後ろ。前に残す』
『ブロックが高い相手には、クロスを見せてストレート』
『トスが乱れた時、打つよりつなぐ判断も必要』
そこへ、同級生の西村遥が近づいてきた。
「美鈴、また書きよると?」
「うん。書かんと忘れるけん」
「ようそんなに考えられるね」
「考えんと、同じ失敗するやん」
遥は感心したように笑った。
「美鈴、ほんとにバレー好きっちゃね」
美鈴はノートを閉じた。
「好き。ばってん、好きだけじゃ勝てんけん」
*
地区予選。
宗像中は初戦から勢いに乗った。
松永の正確なトス。
原田のブロック。
井上の粘り強いレシーブ。
古賀の決定力。
田浦のパワー。
そして、美鈴。
相手のサーブが美鈴を狙う。
1年生だから崩せる。
相手はそう考えたのだろう。
だが、美鈴は崩れなかった。
「美鈴!」
「任せて!」
低く入り、腕を作る。
ボールはきれいに松永のもとへ上がった。
「ナイス!」
松永がトスを上げる。
古賀が打ち込む。
得点。
流れが来た。
相手は次も美鈴を狙った。
美鈴は少し笑った。
「また来た」
井上が後ろから声をかける。
「狙われとるぞ」
「上等たい」
次のサーブも、美鈴はきれいに返した。
小森先生がベンチで静かにうなずく。
「狙われて崩れない1年は、強い」
*
地区予選決勝。
相手は守備の堅いチームだった。
何度打っても拾われる。
宗像中の攻撃がなかなか決まらない。
中盤、流れが止まりかけた。
「決まらん……」
古賀が小さくつぶやいた。
美鈴はコートの向こうを見た。
相手のリベロが後ろに深く構えている。
強打に備えている。
前が空いている。
松永と目が合った。
「沙紀先輩」
「何?」
「次、短く落としてよかですか」
松永は一瞬だけ笑った。
「見えとるなら、やり」
次のラリー。
松永のトスが美鈴へ上がる。
美鈴は強く打つ助走に入る。
相手ブロックが跳ぶ。
リベロが後ろへ下がる。
その瞬間、美鈴は手首を柔らかく使った。
ボールはネット際へ落ちる。
相手は動けなかった。
得点。
「ナイス、黒崎!」
ベンチが沸いた。
美鈴は拳を握った。
強く打つだけではない。
見る。
選ぶ。
決める。
美鈴のバレーは、確実に形になり始めていた。
*
宗像中は地区予選を突破した。
しかし、県大会はさらに厳しかった。
相手のサーブは速く、ブロックは高く、守備は粘り強い。
1点の重みがまるで違った。
県大会準決勝。
宗像中は第1セットを落とした。
ベンチに戻ると、空気が重かった。
小森先生は静かに言った。
「焦るな。相手が強いのは分かっとる。でも、うちらがやることは変わらん」
松永も続けた。
「一本目、丁寧に。声切らさんでいくよ」
美鈴はタオルで汗を拭きながら、相手コートを見つめていた。
「美鈴?」
遥が声をかける。
「相手の3番、クロス多か」
「え?」
「でも、苦しい時はストレートに逃げよる。次、そこ拾えるかもしれん」
井上がそれを聞いて、にやっと笑った。
「1年がよう見とるやん」
美鈴は少し照れた。
「見えただけです」
「見えるのがすごかとよ」
*
第2セット。
相手3番がスパイクに入る。
美鈴は半歩、ストレート寄りへ動いた。
ボールが来る。
読んでいた。
腕に当たる。
きれいに上がる。
「ナイスレシーブ!」
松永がトスを上げる。
田浦が決める。
宗像中に流れが戻った。
そこから宗像中は逆転し、県大会決勝へ進んだ。
*
県大会決勝。
会場の空気は、これまでと違った。
観客席の声援。
相手チームの迫力。
緊張。
美鈴は深く息を吸った。
(大丈夫。見る。考える。つなぐ)
試合はフルセットまでもつれた。
最終盤。
23対23。
相手の強烈なサーブ。
美鈴の正面に来る。
速い。
だが、美鈴は逃げなかった。
「上げる!」
ボールは松永へ。
松永が上げる。
美鈴が助走に入る。
相手ブロックは二枚。
高い。
美鈴は打つ瞬間、わずかにコースを変えた。
ブロックの指先をかすめる。
ボールは外へ弾かれた。
ブロックアウト。
得点。
24対23。
マッチポイント。
次のラリー。
長い長いラリーだった。
拾う。
つなぐ。
また拾う。
最後は古賀が打ち込んだ。
決まった。
試合終了。
宗像中、県大会優勝。
*
体育館に歓声が響いた。
「やったー!」
「九州大会たい!」
美鈴は膝に手をつき、息を切らしていた。
全身が熱い。
苦しかった。
でも、楽しかった。
松永が美鈴の肩を叩いた。
「黒崎、よくやった」
「ありがとうございます」
「でも、まだ先がある」
美鈴は顔を上げた。
「はい。全中まで行きます」
*
九州大会。
そこには、さらに強い相手がいた。
スパイクの高さ。
レシーブの粘り。
試合運びの巧さ。
宗像中は何度も追い詰められた。
だが、美鈴は試合を重ねるごとに成長していった。
強い相手ほど、学ぶことがある。
速い攻撃には、準備を早くする。
高いブロックには、打ち分ける。
粘る守備には、焦らずラリーを続ける。
そして、苦しい時ほど声を出す。
「まだいける!」
「一本ずつたい!」
「ここ、つなぐばい!」
その声は、1年生とは思えないほどコートに響いた。
*
九州大会準決勝。
相手に連続得点を許し、宗像中は劣勢に立たされた。
タイムアウト。
選手たちは肩で息をしていた。
空気が重い。
その時、美鈴が小さく言った。
「……今、相手のほうが笑っとる」
松永が見る。
「うん」
「じゃあ、こっちも笑いましょう」
「は?」
美鈴は汗だくの顔でにやっと笑った。
「こんなきつい試合、普通できんです。せっかくやけん、楽しまんともったいなかです」
一瞬、沈黙。
そして井上が吹き出した。
「黒崎、きつすぎて変なこと言い出した」
「いや、正論かもしれん」
古賀が笑う。
松永も口元を緩めた。
「よし。楽しんで、取り返すよ」
「はい!」
宗像中の空気が戻った。
そこから逆転。
宗像中は決勝へ進み、全中出場を決めた。
*
試合後。
美鈴は体育館の外で空を見上げていた。
夏の雲が高かった。
小森先生が隣に立つ。
「黒崎さん」
「はい」
「あなた、技術も伸びとる。でも、それ以上に、試合の中で空気を変えられるようになってきたね」
美鈴は少し驚いた。
「空気を?」
「そう。苦しい時に、声を出す。笑わせる。視点を変える。それは簡単なことやなか」
美鈴は少し照れたように笑った。
「小さい頃から、笑わせるのは得意やったけん」
「それをバレーに使えるなら、立派な武器たい」
小森先生は静かに続けた。
「でも、忘れんで。笑いは逃げ道やなくて、前に進むために使うもの」
美鈴はうなずいた。
「はい」
*
その夜。
家に帰ると、正一と佳代が待っていた。
「全中、決まったと?」
正一が聞く。
美鈴は大きくうなずいた。
「決まった!」
佳代が手を叩いた。
「おめでとう!」
正一は少し目を潤ませていた。
「すごか……」
「お父さん、また泣きよる」
「泣いとらん。汗たい」
「家の中やけど」
佳代が笑う。
美鈴も笑った。
それから、少し真面目な顔で言った。
「でも、まだ終わっとらん」
正一はうなずいた。
「そうたい。ここからや」
「うん。全国で勝ちたい」
*
美鈴のスキルは、確実に中学生の平均を超え始めていた。
レシーブ。
トス。
アタック。
スパイク。
すべてが、努力と工夫の結果だった。
天性の運動神経だけではない。
観察。
分析。
修正。
反復。
そして、仲間を信じる心。
美鈴はもう、ただの1年生レギュラーではなかった。
宗像中が全中へ向かううえで、欠かせない選手になっていた。
*
全中への切符を手にした宗像中女子バレー部。
夏は、まだ終わらない。
むしろ、ここからが本番だった。
黒崎美鈴、中学1年。
その目は、全国のコートを見据えていた。
⸻
次回予告
第16話「全国の景色」
全中出場を決めた宗像中。
美鈴は初めて、中学生として全国の舞台へ立つ。
そこにいたのは、各地を勝ち抜いた強者たち。
高さ。
速さ。
技術。
精神力。
すべてが、これまでより一段上だった。
「これが、全国……」
圧倒される美鈴。
それでも、コートに立てば逃げられない。
次回、第16話「全国の景色」。
美鈴は、自分の現在地を知る。




