白金荘の未来
第100話「白金荘の未来」
春の風が、
白金荘のカーテンをゆっくり揺らしていた。
窓辺では、
黒崎美鈴が静かに外を見ている。
車椅子の横には、
使い込まれたバレーボール。
指先でそっと触れる。
「……やっぱり、
好きやなぁ」
小さく呟いた声は、
どこか寂しかった。
事故から一年半。
意識を取り戻し、
奇跡的な回復を見せた美鈴だったが――
身体はまだ完全ではなかった。
特に右半身。
長時間の運動。
ジャンプ。
急停止。
それらは今の身体に、
大きな負担をかける。
それでも。
美鈴は、
どうしても諦めきれなかった。
博多南総合病院
「……先生」
診察室。
美鈴は静かに口を開く。
「うち……
またバレーしたいです」
担当医は、
少しだけ目を伏せた。
「気持ちは分かります」
MRI画像が映し出される。
「ただ、
現時点ではまだ難しい」
右脚。
右肩。
神経系へのダメージ。
日常生活は徐々に回復している。
だが、
トップレベル競技となると話は別だった。
「特にジャンプ着地時の負荷は危険です」
「……はい」
「今はまず、
歩ける距離を伸ばすこと」
「……はい」
美鈴は笑おうとした。
だが、
少しだけ唇が震えた。
「焦らなくていいんです」
医師が静かに言う。
「黒崎さんは、
“戻ってきただけで奇跡”なんですから」
その言葉に、
美鈴はゆっくり頷いた。
フェニックス福岡
体育館の床の匂い。
ボールの音。
掛け声。
全部が、
懐かしかった。
「黒崎〜!」
松永が飛んでくる。
「今日は何しに来たと〜?」
「報告です」
美鈴は、
車椅子の上でまっすぐ前を見る。
「……うち、
当面は競技復帰難しいみたいです」
体育館が静かになる。
選手たちの顔に、
一瞬だけ悔しさが浮かぶ。
だが。
松永が、
すぐに笑った。
「そっか」
「……すみません」
「謝るなって」
松永は、
美鈴の頭をぽんっと軽く叩く。
「チームとしては残念」
「はい」
「でもな」
松永は笑う。
「またOK出たら、
いつでも帰ってこい」
その瞬間。
「そうですよ!!」
「黒崎先輩の席、
ちゃんと空けときます!!」
「永久欠番みたいな扱いせんでください!」
体育館に笑いが戻る。
美鈴の目から、
ぽろっと涙がこぼれた。
「……ありがとうございます」
車の中
帰り道。
優馬が運転する車の助手席で、
美鈴は静かだった。
「……悔しか?」
優馬が聞く。
「うん」
即答だった。
「めちゃくちゃ悔しい」
窓の外を見ながら、
美鈴は小さく笑う。
「でもね」
「ん?」
「生きとるだけで十分って、
みんな言うやん?」
「うん」
「でもうち、
欲張りやけん」
優馬は少し笑った。
「知っとる」
「まだ、
諦めたくない」
「うん」
「歩けるようにもなりたいし、
またボールも触りたい」
「うん」
「あと――」
美鈴がちらっと見る。
「優馬と、
もっと色んなとこ行きたい」
優馬、
一瞬赤くなる。
「……急にそういうこと言う」
「ふふっ」
博多南幼稚園
門の前に着くと、
美鈴は少し緊張した顔をした。
「ただいまって、
言ってよかかな」
「言え」
優馬が笑う。
「絶対みんな待っとる」
職員室。
扉が開く。
「失礼しま――」
次の瞬間。
「黒崎先生ぇぇぇぇ!!」
大騒ぎ。
先生たちが一斉に集まる。
「おかえりなさい!!」
「よく頑張りましたね……!」
「ほんとによかった……!」
涙ぐむ先生もいる。
美鈴も、
もう耐えられなかった。
「……ただいまです」
園長先生が、
優しく微笑む。
「また会えてよかった」
「……はい」
「焦らなくていいですからね」
「ありがとうございます」
美鈴は、
ゆっくり頭を下げる。
「いつ復帰できるか、
まだ分からないですけど」
涙を拭いて、
笑う。
「またここで、
働きたいです」
「もちろんです」
園長が即答する。
「黒崎先生の席、
ちゃんとありますから」
その言葉に、
職員室のあちこちから頷く声が上がった。
白金荘201号室・夜
「……で?」
美鈴が首を傾げる。
「なんで今日、
お義父さんとお義母さん来ると?」
「まだ“お義父さん”ではない」
優馬が真顔で言う。
「じゃあ何?」
「……その、
ちょっと話がある」
珍しく緊張している。
その時。
ピンポーン。
「き、来た……!」
「なんで優馬がそんなガチガチなん?」
部屋に入ってきたのは、
小倉家の両親。
穏やかな父。
優しそうな母。
「こんばんは〜」
「お邪魔します」
美鈴も慌てて頭を下げる。
「こ、こんばんは!」
少し雑談したあと。
優馬が、
急に真剣な顔になる。
「……父さん、母さん」
「ん?」
「俺、
話したいことある」
空気が変わる。
美鈴も、
何かを察した。
優馬は深呼吸する。
「俺、
美鈴を――」
一瞬詰まる。
だが、
ちゃんと言った。
「障害があっても、
一生の伴侶にしたい」
静寂。
美鈴、
完全停止。
「……え?」
「俺、
美鈴と一緒に生きたい」
優馬の声は震えていた。
「幽霊だった時も」
「事故のあとも」
「これから先も」
「ずっと」
美鈴の瞳が、
みるみる潤んでいく。
「……優馬」
「俺、
もう離れたくない」
ぽろっ。
涙が落ちた。
そして次の瞬間。
「うぁぁぁぁぁ……」
美鈴、
大号泣。
「ちょ、ちょっと泣きすぎ!?」
「だってぇぇぇ……!!」
車椅子のまま、
優馬に抱きつく。
「うち、
もう一生一人かと思っとった……!」
「そんなわけあるか」
「うわぁぁぁぁん!!」
優馬の母、
もらい泣き。
父、
鼻をすすっている。
そして美鈴が、
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま言う。
「……はい」
「ん?」
「よろしくお願いします……」
優馬、
完全に真っ赤。
「……こちらこそ」
その夜。
白金荘201号室は、
人生で一番あたたかい空気に包まれていた。
次回予告 第101話「婚約者とリハビリ大作戦」
婚約した優馬と美鈴。
だが白金荘の日常は、
まったく甘々だけでは終わらない。
「優馬〜、靴下履かせて〜」
「介護と甘えの境界線どこ!?」
一方病院では、
美鈴の本格的な歩行訓練がスタート。
「転んでも、
また立てばよか」
さらにフェニックス福岡では、
“黒崎監督化計画”が浮上。
「まだ引退しとらんけん!!」
そして優馬、
ついに“あるもの”を買いに行く。
「サイズ分からんのやけど……」
次回、
第101話「婚約者とリハビリ大作戦」。
笑って泣いて、
二人の未来はまだまだ騒がしい。




