触れられる温度
第97話「触れられる温度」
白金荘201号室。
夜十一時過ぎ。
優馬はノートパソコンを閉じ、大きく伸びをした。
「はぁぁぁ……終わった……」
IT企業勤務一年目。
仕様変更。
バグ修正。
上司の「これ今日中」。
社会の理不尽を凝縮したような一日だった。
そんな優馬の背後から。
「おつかれ、優馬」
ふわり、と声。
振り返る。
そこには美鈴がいた。
白いTシャツ姿。
しかも今日は、輪郭が妙にはっきりしている。
「あれ」
優馬が目を丸くする。
「今日、なんか……
いつもより実体化しとらん?」
美鈴は自分の手を見つめた。
「……うん」
そして。
そっと優馬の肩に触れる。
ぴた。
その瞬間。
優馬の身体が固まった。
「……あったかい」
優馬が呟く。
今までの美鈴は、
触れようとしても半分すり抜けていた。
だが今日は違う。
ちゃんと“人の温度”がある。
美鈴も驚いた顔をしていた。
「今日……
ちゃんと触れられる」
優馬は恐る恐る、
美鈴の手に触れる。
柔らかい。
細い指。
確かにそこに存在している。
「……ほんとに、おる」
美鈴は少し照れたように笑った。
「幽霊扱い失礼やね」
「いや幽霊やろ!」
「そこ否定できん」
二人同時に吹き出す。
だが笑ったあと。
優馬は、
ふと真面目な顔になった。
「なぁ、美鈴」
「ん?」
「……まだ死んだわけやないんやろ?」
部屋の空気が静かになる。
「体の方……
どこにあると?」
美鈴は少し黙ったあと、
静かに答えた。
「……博多南総合病院」
優馬の表情が変わる。
「病院……」
「ずっと眠ったまま」
美鈴は窓の外を見た。
「たぶん今も、
お父さんとお母さんが来とる」
優馬は、
しばらく何も言えなかった。
そして。
「……会いに行ってよか?」
美鈴が振り向く。
「え?」
「俺、
ちゃんと知りたい」
優馬はまっすぐ言った。
「美鈴のこと」
美鈴は少しだけ目を潤ませたあと、
小さく笑った。
「……変な人」
「今さら?」
「今さらやね」
その瞬間だった。
優馬のスマホが震える。
画面には時刻。
23:48。
そして同じ頃――
⸻
博多南総合病院・ICU
静かな病室。
機械音だけが一定に響く。
ベッドの横には、
正一と佳代がいた。
毎日続く看病。
変わらない日常。
だが。
「……ん?」
佳代が顔を上げた。
美鈴の唇が、
わずかに動いた。
そして。
「……ゆ……」
正一が立ち上がる。
「美鈴?」
「……ゆう……ま……」
二人の目が見開かれる。
「ゆうま……
どこにも……
いかんで……」
かすれた声。
「わたしの……
そばに……
いて……」
佳代が涙を流す。
「先生!!
先生呼んで!!」
正一が飛び出す。
ICUが一気に慌ただしくなる。
⸻
翌日
博多南総合病院。
優馬は緊張した顔で立っていた。
「……ここか」
その隣には、
誰にも見えない美鈴。
「優馬」
「ん?」
「逃げんでよ?」
「逃げるか」
そして病室前。
優馬は深呼吸し、
ドアをノックする。
ガラッ。
中には正一と佳代。
「……どちら様でしょうか?」
優馬は頭を下げた。
「小倉優馬です」
緊張で声が震える。
「俺……
黒崎美鈴さんのことで、
お話があって来ました」
佳代と正一が顔を見合わせる。
そして優馬は、
病室のベッドを見る。
そこには。
眠ったままの美鈴がいた。
白金荘で笑っている美鈴と、
同じ顔。
でも、
静かだった。
優馬の喉が詰まる。
「……ほんとに、おったんや」
そして。
優馬はゆっくり話し始める。
「信じてもらえんかもしれません」
「でも俺……
美鈴と毎日話しとるんです」
正一の表情が変わる。
佳代も息を呑む。
「白金荘で……
一緒に笑って、
ケンカして……」
優馬は少し笑う。
「めちゃくちゃ振り回されとります」
病室の隅で、
幽霊の美鈴が真っ赤になる。
「余計なこと言わんでよ!!」
「あと下着選びも付き合わされました」
「やめぇぇぇぇぇ!!」
当然、
両親には聞こえない。
だが優馬は続けた。
「でも」
美鈴を見る。
「……美鈴、
ちゃんと生きようとしとる」
静かな病室。
優馬の声だけが響く。
「だから俺、
信じたいんです」
「美鈴は、
帰ってくるって」
その時だった。
ピクッ。
ベッドの上の美鈴の指が、
ほんのわずかに動いた。
全員の呼吸が止まる。
⸻
次回予告 第98話「眠り姫のレシーブ」
ついに動いた、美鈴の指。
博多南総合病院に走る緊張。
「反応があります!!」
一方白金荘では。
「優馬〜、洗濯物ちゃんと畳まんね」
「なんで幽霊が生活力高いん!?」
さらにフェニックス福岡、
宗像高校、
宗像中学。
“黒崎美鈴のバレー”は、
新たな世代へ受け継がれていく。
そして優馬は、
眠る美鈴へ初めて本音を口にする。
「……俺、
待っとるけん」
次回、
第98話「眠り姫のレシーブ」。
止まっていた時間が、
少しずつ動き始める。




