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笑う母の物語  作者: リンダ


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103/109

緊急搬送後篇

 事故から数時間後。


 福岡県警は、車を運転していた高齢男性を、自動車運転処罰法違反の疑いで緊急逮捕した。


 警察の発表によると。


 男性は駐車操作を誤り、アクセルとブレーキを踏み間違えたと供述。


 車止めを乗り越え。


 フェンスを突き破り。


 歩道へ突っ込んだ。


 そして。


 黒崎美鈴をはねたあとも暴走。


 複数車両へ衝突し、多重事故を引き起こした。


     ◆


 事故現場。


 規制線が張られていた。


 赤色灯が回る。


 警察車両。


 鑑識。


 事故調査班。


 深夜になっても、現場検証は続いていた。


 だが。


 そこは。


 警察関係者ですら目を背けたくなるような、凄惨な現場だった。


 フェンスは大きく薙ぎ倒されている。


 夜間照明設備も根元から折れていた。


 車止めは砕け。


 アスファルトには黒いタイヤ痕。


 大破した車両。


 潰れたボンネット。


 割れたフロントガラス。


 飛び散った部品。


 道路には、今も破片が散乱していた。


「……酷いな」


 若い警察官が呟く。


 ベテランの事故捜査員も険しい顔だった。


「かなりの速度が出とる」


 現場写真。


 測定。


 ブレーキ痕確認。


 ドライブレコーダー回収。


 次々に捜査が進む。


 だが。


 誰もが気になっていた。


 最初にはねられた二十歳の女性。


 黒崎美鈴。


 その名前を。


 福岡県警の中にも知っている人間は多かった。


「黒崎って……あの宗像の?」


「春高三連覇世代の……」


「フェニックス福岡の選手やろ」


 空気が重くなる。


 そして。


 現場には報道陣も集まり始めていた。


     ◆


 翌朝。


 テレビ各局は一斉に速報を流した。


 朝のニュース番組。


『昨日起きた大規模交通事故で――』


 画面には。


 ぐしゃぐしゃになった車。


 倒れた照明設備。


 規制線。


 救急車。


 騒然とする現場映像。


『警察は車を運転していた高齢男性を緊急逮捕しました』


 そして。


 続いて映し出されたのは。


 黒崎美鈴の写真だった。


 春高優勝時。


 笑顔でトロフィーを掲げる姿。


『重体となっているのは、福岡市在住の黒崎美鈴さん(20)です』


『黒崎さんは高校時代、宗像高校女子バレー部の主将として全国大会で活躍』


『春高三連覇に貢献した名選手として知られていました』


 さらに。


『現在は実業団チーム「フェニックス福岡」に所属』


『今年春からは博多南幼稚園で新任教諭として勤務していました』


 映像が切り替わる。


 幼稚園関係者のコメント。


『子どもたちに本当に優しい先生でした』


『園児一人ひとりをちゃんと見てくれて……』


『まだ働き始めたばかりなのに……』


 園児たちと笑う、美鈴の写真。


 実習時代の映像。


 運動会準備。


 子どもと目線を合わせる姿。


 スタジオも重い空気に包まれていた。


『保護者からの信頼も厚かったということです』


『現在も意識不明の重体です』


     ◆


 そのニュースを。


 宗像高校バレー部の部員たちも見ていた。


 寮の食堂。


 誰も箸を動かせない。


 テレビ画面を見つめるだけ。


「黒崎先輩……」


 一年生が泣き出す。


 藤崎香織監督は、腕を組んだまま画面を見ていた。


 だが。


 その拳は震えていた。


 画面に映るのは。


 全国制覇の時の美鈴。


 笑顔。


 ガッツポーズ。


 仲間と抱き合う姿。


 昨日まで。


 その人は確かに生きていた。


 なのに。


 今はICUで、生死をさまよっている。


     ◆


 フェニックス福岡。


 チームハウス。


 神崎亜美がテレビを見ながら涙を流していた。


「黒崎……」


 三浦玲奈は顔を覆う。


 松永先輩は壁を殴りつけた。


「なんであいつが……!!」


 監督も言葉がない。


 美鈴は。


 誰より努力していた。


 怪我とも戦った。


 苦しみながらも前へ進み続けた。


 ようやく。


 先生としての人生が始まったばかりだった。


 なのに。


 どうして。


     ◆


 博多南幼稚園。


 朝。


 保護者たちの間にも動揺が広がっていた。


「黒崎先生って……」


「ニュースの……」


 園児たちは、まだ事情を理解できない。


「みすずせんせい、きょうは?」


 その言葉に。


 若い先生が涙を堪えきれなくなる。


 園長は深く息を吸った。


「黒崎先生は、今、病院で頑張っています」


 それしか言えなかった。


     ◆


 そして。


 ICU。


 機械音だけが響く。


 心電図。


 人工呼吸器。


 点滴。


 包帯だらけの身体。


 黒崎美鈴は。


 まだ目を覚まさなかった。

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