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第四話:『災厄と、腹ペコの竜』

計画実行の夜。建物の物陰から、俺とリリスは、例の十字路をうかがっていた。心臓の音が、やけにうるさい。


「…おい、本当に大丈夫なんだろうな、この作戦…。寒くなってきたぞ…」


「フン、私の計算に抜かりはない。貴様は、黙って見ておればいい、小僧。獲物を前に、静かに待つこともできんのか」


リリスは腕を組んで、完璧なポーカーフェイスを保っている。その胆力は、さすが元女王と言うべきか。


だが、ふと下を見ると足はがくがく震えていた。


「いや、おめーもめっちゃビビッてるじゃねーか!」


「う、うるさい!これは武者震いだ!」


「ククク…案ずるな。貴様らの下らん計画は、この余が最高のエンターテイメントに昇華させてやる」


「「お前が一番信用できねえんだよ!」」

そんな軽口を交わしていると、リリスが顎でターゲットを示した。


「…来たぞ、小僧」


ゴロツキのゴブリンどもが、気の弱そうな行商人を壁際に追い詰め、金の入った革袋を奪い取ったところだった。


「よし…ザガン、やれ!」


「ククク…ショーの始まりだ!刮目せよ、人間!余の演出を!」


俺たちの計画は、俺たちの想像を遥かに超える、最悪の形で始まった。ゴブリンが勝ち誇ったように掲げた革袋が、突如として内側から発光!


ポンッ!と軽い音を立てて、中から飛び出したのは銅貨ではない。数百匹の、羽の生えた小さな悪魔―――インプの群れだった。

しかも、ただのインプではない。ザガンの悪趣味な「演出」により、インプたちは全員、キラキラと輝くラメ入りのスモークを撒き散らし、調子っぱずれな歌を合唱しながら飛び出したのだ。


「「「ヒャッホー!カネだカネだー!パーティーだぜー!!」」」


インプたちは、奇声を上げながら十字路を飛び回り、屋台の商品をひっくり返し、通行人の頭にフンを落としていく。『東3番地区』は、一瞬にして大パニックに陥った。


「な、なんだこりゃあ!?」


「ぎゃあああ!インプだー!」


悲鳴がそこかしこから上がる。


「見ろ人間!あのリザードマンの男の恐怖に歪んだ顔!実に滑稽だ!」


都市の住民の悲鳴を見ながらザガンは大笑いしている。


(やりすぎだろこの悪魔ァァァ!こんな数出せって言ってねーし、なんかこのインプ普通じゃねーだろ。ただの強盗が、地区一つを巻き込む大惨事になってんじゃねえか!)


数分後。けたたましい金属鎧の足音と共に、警備隊が現場に駆けつけた。


「何事だ!この騒ぎは!貴様らか、騒乱の元凶は!」


ミノタウロスの警備隊長アステリオスが、インプの発生源である革袋を持つゴブリンたちを指差す。


「ち、ちげえ!俺たちは何も!」


ゴブリンたちは何が起きたかわからず本気で動揺していた。


「言い訳は聞かん!地下都市基本法第7条!『許可なき魔物の召喚および使役の禁止』!現行犯だ、全員しょっぴけ!」


「…フン、完璧だな」


リリスが決め顔でガッツポーズをする。


「どこがだよ!街中インプだらけじゃねえか!」


「結果として、ゴロツキどもは逮捕された。我々の目的は達成されたのだ。些事だ」


「こいつ、肝が据わりすぎだろ…」

俺とリリスは、静かにその場を後にした。


◇◇◇


その日の夜。俺とリリスは、再び『無音』で祝杯を挙げていた。


「マスター!一番高い酒!…は無理だから、二番目に安いやつくれ!」


俺は、ちゃっかり回収した銅貨の袋を見せびらかすように、カウンターに銅貨を叩きつけた。気分がいい。銭湯で念願の風呂にも入れた。俺は、もうただのヘドロ掃除夫じゃない。悪の組織の、やり手のリーダーだ。


「フハハハ…見たか小僧!今日の稼ぎだ!これで、また勝負ができる…!」


リリスは、葡萄酒を呷りながら、恍惚の表情を浮かべている。


「おいおい、勝負って…まさか、また全部賭ける気じゃねえだろうな」


「当然だ。次は、倍にして返してやる」


(ダメだこいつ…!もう手遅れだ…!)


「それより、街中にインプが解き放たれちまったじゃねえか。大丈夫なのかよ」


「問題ない。警備隊がすぐに駆除するだろう。我々の懐が温まることに比べれば、些細な問題だ」

こちらの心配を、リリスは一刀両断する。この女、やはり外道だ。


◇◇◇


気分良く酒を飲んでいると、店の隅に、小さな影がうずくまっているのが目に入った。

煤で汚れた顔に、ボロ切れのような服。痩せっぽちで、歳の頃は十歳くらいだろうか。竜人の子供だ。


「ほう、竜人の生き残りか。随分とみすぼらしいなりをしているな」


いつの間にか顕現していたザガンが、値踏みするような視線を向けている。

少女は、じっと…こちらが手に持っていた、夕食の黒パンを見つめていた。その瞳は、ただひたすらに、空腹を映している。


(…腹、減ってんのか)

高揚感が、普段の俺なら絶対にしないような、気まぐれを起こさせた。


「小僧、何をやっておる。我々の貴重な食料を、野良犬にくれてやるとは。酔ったか?」


「うるせえ!俺のパンだ!」


俺は、リリスの制止を振り切り、自分の黒パンを半分にちぎると、無言で彼女の前に差し出した。

少女は、一瞬びくりと肩を震わせたが、パンを置いてやると、おずおずとそれに手を伸ばした。そして、こちらを潤んだ瞳で見上げ、か細い声で呟いた。


「…あ…りがと…」


「か、勘違いすんな!俺が食いきれなかっただけだ!残すのがもったいなかっただけだからな!」


「ハハハ…なんだその態度は。素直に施しをくれてやったと言えんのか、小物は」


「うるせえ。」


リリスの茶々を軽くあしらう。


少女――イグニは、そんな俺の内心など知るよしもなく、小さな口で、しかし夢中になってパンを頬張り始めた。


◇◇◇


「じゃあな。その金、スッちまったら承知しねえからな」


「フン、貴様こそ、明日のヘドロ掃除に遅れるなよ。ああ、もうそろそろクビか。」


「てめえ…!」


リリスと別れ、一人で作業部屋のねぐらへ向かっていると、ザガンが面白そうに言った。


「おい小僧、貴様に懐いた野良犬がいるぞ」


「あ?」

振り返ると、さっきの竜人の少女――イグニが、おずおずと距離を置いて立っていた。


「…なんだよ。パンはもうねえぞ」


「…いりません」


「金もねえぞ!」


「…いりません」


「じゃあ、なんなんだよ。用がねえなら、ついてくんな!」


「…ひとり…いやだ…」


「うっせえな!あっち行け、シッシッ!」


俺が邪険に手を振ると、少女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。 だが、その言葉に、怯えや恐怖はなかった。ただ、純粋な、子供の訴えだった。


「でも…お腹、すきました…。ひとりは、いやです…」


(うわぁ…!また泣きやった!面倒くせええええええ!!なんでだよ!なんで俺がこんなガキの面倒見なきゃなんねえんだよ!俺だって自分のことで精一杯だってのに!でも…ここで見捨てて、明日、こいつが死体で見つかったりしたら…クソッ!寝覚めが悪すぎる…!)


「拾ってやれ、小僧。面白くなりそうだ」

ザガンが、どこまでも他人事のように煽ってくる。


「…チッ!わーったよ!ついてくるなら勝手にしろ!ただし飯は自分で何とかしろよ!あと、俺のベッドでは寝させねえからな!床で寝ろ!」


そう吐き捨てて歩き出すと、少女は、こくこくと頷き、涙を拭って、嬉しそうに後をついてきた。


(ああ、もう、クソッ!)

俺の頭痛の種が、また一つ増えやがった…!

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