美食
「ほら、お喋りはそこまで!」
リリーちゃんが、まるで岩塊でも持ち上げるかのような苦しげな息を漏らしながら、手いっぱいに抱えた巨大な鉄板料理を円卓の真ん中へとドンと降ろした。
「お待たせしました!! フレアさんが護衛のついでに自ら討伐してきた、正真正銘の魔物肉らしいですよ、コレ!」
彼女の細い腕によってテーブルの真ん中に鎮座したのは、『魔物肉のビーフシチュー』だった。
深い焦げ茶色の木の器から立ち上る、濃密で野性味を含んだ芳醇なデミグラスソースの香りが、私たちの鼻腔をぐっと掴んで離さない。
ナイフをあてがうまでもなく、煮込まれた肉の繊維は自重でほろりと崩れ落ちそうなほどに柔らかく、ゴロゴロと乱切りにされたジャガイモや人参が、漆黒の海のようなソースの中で鮮やかな彩りを添えている。
添えられた香ばしいライ麦パンは、その罪深いほど濃厚なソースの余すところをすべて受け止めるためにこそ生まれてきたかのようだった。
「わぁ……っ!? でっかい……お肉だ……」
私は思わず身を乗り出し、開いた口が塞がらなかった。王城の静謐な食堂で供される、美しく切り揃えられた上品なコース料理とは似ても似つかない。
目の前にあるのは、命の熱量と、生きるための力強さがそのまま煮詰まったような、圧倒的な「ごちそう」だった。
「ミリアさん、あまりはしゃぎすぎると危ないですよ……? もしかしたら、普通の人間が口にするには少しばかり野蛮な、ゲテモノかもしれませんし……」
シオンがクスクスと含み笑いを作りながら、心配を装って私をからかうように小首を傾げる。その横で、サラサラとした髪が艶やかに揺れた。
「ううん、別に怖くない。食べる、絶対に……!だって、これも全部、私の知らない新しい『世界』の常識なんでしょ?」
私は胸を高鳴らせ、少しだけ震える手でシルバーのナイフとフォークをしっかりと握りしめた。
まぁ、本当は怖い。
学園も、レイドさんのことも、この世界の常識も。私はまだぜんぜん信用できてない。
でも、色々やってみよっかな。
私はゴクリも喉を鳴らし
そして、器の底でたっぷりとソースをまとった分厚い肉塊を、ためらいなく切り分けて口に運んだ。
───瞬間。
舌の上で、まず粗削りな肉の硬さと、微かな鉄の匂いが一気に弾けた。だが、それを嘲笑うかのように、直後から奔流のように押し寄せてきたのは、今までに経験したことのない強烈な魔力の余韻と、脳がとろけるような得体の知れない旨みの爆発だった。
「なっ……!? すごい、濃い……っ! けど、……美味しいですっ……!」
あまりの衝撃に言葉を詰まらせる私を見て、隣に座っていたシオンが「本当になんでしょう、これ……」と、まるで毒見でもするような怯えと好奇心が入り交じった複雑な顔で、自分のフォークをそっと伸ばした。
「信じられない……です。私が今まで知っていた『お肉』の味が、全部ひっくり返されたみたい……」
彼女が目を丸くして感嘆の声を漏らしたのを皮切りに、私たちは顔を見合わせ、思わず声を上げて可笑しそうに笑い合った。
フレアさんが命がけか、あるいはワンパンで討伐してきたというその魔物肉の力強さに当てられながら、私たちは夢中になってフォークを動かしていく。ぜんぜん不味くなかった。
「フレアももっと遠慮しないで食べなよ。今日のところは、オレの奢りでもいいからさ」
「ちょ、ちょっとレイドくんっ!?//// そんなに優しくしないでよ、私、こんなキャラじゃないのに……っ赤くなっちゃうでしょ……!」
フレアさんが両手で自分の熱を持った頬をペタペタと押さえながら、タジタジと顔を赤らめる。
「まったく……貴方のその底なしの胃袋は、一体どういう構造をしているのかしらね」
「さぁ?オレは今のとこら知らない」
フィオナさんとレイドさんの2人が呆れたような、しかしどこか満足そうな溜息を零した。
この席の食事代を、すべて太っ腹なレイドさんの全額奢りにしても良いのだろうか?
彼は自分の分の濃厚なシチューを平然と胃袋に収めながら、周囲の熱気などどこ吹く風といった様子で涼しい顔をしている。
シオンも負けじと、手元の《共鳴版》のレンズを巧みに操り、湯気を立てる皿の数々を半ば楽しげにパシャパシャと丁寧に写真に収め始めていた。
何やら自撮りもしていた。
その後は、周囲の目を少しだけ気にする上品な淑女の仮面を被り直し、小さな口元へ慎重にフォークを運んでいる。
長年の付き合いでか、彼女が内心はしゃいでいることが伝わってきた。
◇◆◇
私たちの興奮が少し落ち着いた頃、続いて運ばれてきたのは、可愛らしくくり抜かれた小さなかぼちゃを器代わりにした『かぼちゃのチーズフォンデュ』だった。
器の淵からとろりと溢れ出した黄金色のチーズの海に、星型に型どられた色鮮やかな人参や、丁寧に素焼きされたブロッコリーをそっとディップする。
芳醇なチーズのまろやかなコクと、かぼちゃ本来の上品な甘みが舌の上で溶け合い、卓上は一足早く鮮やかな秋の祭典のように華やいだ。
さらに、間髪入れずに三品目───アツアツの鉄板スキレットで香ばしく焼き上げられた『ミートソース風味のチーズグラタン』がやってくる。
「誰?コレ頼んだの」
「にゃー」
銀色のスプーンを差し入れると、こんがりとキツネ色に焼けたチーズの膜の下から、ひき肉の旨みが凝縮されたミートソースと、もちもちとしたペンネが顔を覗かせた。立ち上る甘やかな小麦とチーズの香りに、私の頬は緩みっぱなしだった。
肉料理の真骨頂として運ばれてきたのは、分厚い『ミックスハンバーグ』。
ジュウジュウと威勢の良い音を立てる熱々の鉄板の上で、真ん中に鎮座する目玉焼きの純白の白身と、弾けんばかりに膨らんだ肉の塊。
そこにナイフを入れた瞬間、閉じ込められていた肉汁がじゅわっと溢れ出し、濃厚な黄身の海と混ざり合う。付け合わせのクレソンが放つ爽やかな苦味が、贅沢な脂の重さを心地よくリセットしてくれた。
そして、海の恵みを告げるように最後に運ばれてきたのは、大皿にダイナミックに横たわる『王都港バスのスパイストマト焼き』だった。
こんがりと焼き上げられた皮の香ばしさに、たっぷりの完熟トマトとレモンの鋭い酸味、そして異国情緒漂うスパイスの香りが絶妙なコントラストを描き、魚料理という概念の枠を鮮やかに踏み越えていく。
ふと見ると、レイドさんが配膳で忙しそうに通りかかったリリーちゃんの腰にふっと身体を寄せ、「ねぇ、さっきから手のあたりが小刻みに震えてるけど、緊張してるの?」と、耳元で甘い声で揶揄っていた。
「う、うるさいですねっ……! 接客中なんです、邪魔しないでくださいっ!」
リリーちゃんが顔を真っ赤に染め上げ、持っていたお盆でレイドさんの胸元を軽く叩いて逃げていく。
その様子を面白そうに眺めていたレイドさんは、ふと視線をこちらに向け、今まさにパンを頬張ってリスのように口をモゴモゴと膨らませている私をとらえた。
「そういえばさ、ミリアちゃん。この先のメニューには、歯ごたえ抜群の『豚巨人の極厚ステーキ』とかもあるけど……食べる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるレイドさんの言葉に、隣にいたチャチャさんが「うわっ……気持ち悪い……」と露骨に顔を顰め、その隣で静かに白身魚の小骨を避けていたシャシャちゃんまでもが、「ガチキモいにゃ………食欲失せるにゃ……」と容赦ないトドメを刺した。フィオナさんまでもが「キショ」とか、「野蛮ね」と小言のように感想を溢すぐらいだ。
私は慌てて口の中のものを飲み込み、潤んだ瞳でレイドさんへ反論する。
「っ……私に変な魔物料理を勧めないで!?」
「せっかくの美味しい食事が台無しになっちゃうじゃん……っ!」とフレアさんが突っ込むのを皮切りに、「はぁ……相変わらず誰に対しても扱いは同じなのね」と呆れたようにフィオナさんが目を閉じた。
「おすすめを教えてあげただけさ」
「う、嘘です!」
「嘘にゃね」
冷ややかな視線と声を向けられるも気にならないのか、レイドさんはその華奢な指でメニュー表をなぞった。
すると、フレアさんは「あはは……レイドくん、……まだ何も知らないミリアちゃんに冗談はやめてあげてネ〜、、」と、困ったように柔らかく微笑みながら軽く頬を掻いた。




