冒険の予感
リリーちゃんがふたたび、先生たちのテーブルへ新たな料理や湯気の立つ飲み物を運ぶ作業に戻ると、今度はフレアさんが「よいしょ、っと」と少し不格好に、慣れない手つきで数杯のビールジョッキーを先生たちの元へ運び込むのを手伝い始めた。
「あら、ありがとうフレアちゃん」
「先生には日頃からお世話になってますからねー!」
フレアさんがカラカラと笑ったその時、隣に座っていたシオンが、信じられないものを見るような目でピタリと動きを止めた。
「………まさか貴方は、あのエイリーン・ディギルドマスターですかッ!? 国営ギルド《聖海の女神》の……っ!?」
シオンの心底驚愕した表情に、私も思わず目を丸くする。当のフレアさんとエイリーン先生は、きょとんとした顔で顔を見合わせる。
「えっ、先生ってそんなに有名な人なの……?」
「そうなのかしら?」
「今気がついたの?」とレイドさんが煽るように一言加えたが、興奮したシオンには届かない。
「学園長とは、たしか昔からのパーティメンバーなんですよね?」
「あら。よく知っているじゃない、」
「ええッ!? 先生、そうなの!?」
「……うーん。そうねぇ?」
シオンが細い指をトントンと顎に当て、どこか計算するような目を向ける。
「はい。確か、フレアさんが所属しているクラン《白聖》と、レイドさんが現在新しく所属した《古代の魔女》のクランマスターお二人も、元は同じパーティメンバーでしたよね。
純粋に六人制のパーティだと考えれば……あと二人いますね? 確か、元・女剣聖と、皇国の……誰でしたっけ」
「ええええ、知らなかったッ!?」
フレアさんがひっくり返りそうなほど驚愕して目を見開き、慌てて両手で自分の口をピタリと押さえた。
「シオン。ちょっとだけ、君の情報が古いよ」
レイドさんが呆れたように肩をすくめる。
「え、今はもう違うんですか………?」
「まぁ、昔の古い話だからね」と、エイリーン先生はグラスを傾けてフッと笑った。
「だいたい、私たちみたいな人間が今さら現役で冒険に出られるほど暇じゃないし。この人たちは、巨額の出費でもない限り当分お金に困ることもないのよ」
「ちょっと、ちょっと待ってよ」
エイリーン先生が不満そうに眉をひそめる。
「先生、昔のパーティ名って一体なんだったの?」
私が恐る恐る尋ねると、エイリーン先生はゴクッと生唾を飲み込んだ。
「ッ!? その話はやめなさいって!ただの勢いと思いつきでつけただけよ…… えっと、ほら彼女が!!」
隣人に責任を押し付けるように、エイリーン先生が横槍を投げる。
「違うわよッ!?/// たしか、最初に変な名前を言い出したのは貴方じゃない!!」
「違う違う、はぁ……思い出しただけでも頭が痛くなる名前ね。というか、ある意味、、忘れられるわけもないわね」
両者共に羞恥を感じているようだったが、そんなに恥ずかしいパーティ名だったのだろうか?
私が疑問を浮かべていると、レイドさんがしれっと一言告げた。
「聞かないでおくよ。今さら厨二病を蒸し返されても嫌だよねぇ、三十手前にもなって」
レイドさんがわざとらしく楽しげに意地悪を言うと、エイリーン先生と隣のメアリー学園長の肩が、ビクッと揃って跳ね上がった。
◇◆◇
「あの、さっきから出てきた《白聖》って……?」
私が小声で尋ねると、シオンが頼もしい物知り顔でスッと身を乗り出した。
「《白銀双聖剣》の略称ですね。王都二大クランの一つで、トップパーティや超一流のソロ冒険者だけで構成されている、ハイレベルな中規模精鋭型のクランです。」
「そうなんだ?」
「最近はあの、『レヴェルト・レオンハルト』さんの獲得に成功したことで、王都中が大ニュースに沸いていましたよ」
「レヴェルトさんって………あのレヴェルト、?」
「彼は、十代で最も早くLv.11に到達した世界最速の記録と、全世界で最も高い依頼達成金額を叩き出した伝説を持っていて……。お隣に座るレイドさんの、不動のライバルのひとり、とされているんです」
「どっちも、すごすぎる……ってか、みんなすごすぎませんか……?」
圧倒され言葉を失っていると、シオンが小さく笑った。
「また敬語に戻りましたね」
「え、だって……!」
「じゃあ、レイドさんのクランは一体どこなんですか?」と、私が慌てて話題を変えると、シオンは少しだけ真剣な表情に戻る。
「えっと、確か……旧名は《始まりの魔術師》だったのですが、大規模な改名を経て、今のクラン名は《古代の魔女》ですよね?」
「そうだね」と、レイドさんはどこか他人事のように頷く。
「どうしてそんな物騒な名前に変えたんですか?」
「とある理由で、うちのクランマスターがちょうど幼女くらいのサイズに若返っちゃってさ。そのせいで、新規加入の面々から『これからフレッシュな冒険が始まるんだ』って盛大に誤解されちゃったからだよ」
「!?」
私の頭の上に大きなハテナマークが浮かぶと、シオンが淡々と補足を入れる。
「こちらは王国最大のクランですね。最も長い歴史を持ち、あの気難しくて強情なローズさんでさえも、長く所属して絶対的な忠誠を誓っている。冒険者なら、誰もが一度は憧れ、その背中を追いかける最高峰の組織です」
「そうなんだ……ごめんね、私、なんにも知らなくて。でも、《始まりの魔術師》なら、どこかで聞き馴染みがあるかも!」
「そちらも以前は大ニュースでしたよ。『レイドさんの登場』は、まさにこの国における《古代の魔女》の覇権を絶対的なものにした『世紀の大逆転劇』だったとか」
「まぁ、当時私たちはちょっと……置いていかれたみたいで寂しかったけどね」
フレアさんがグラスを見つめながら、どこか遠い目をしつつ本音をポツリとこぼした。
「私も、王国新聞でその事実を偶然目にしただけですが……正直に言えば、流石に目を疑いました、、」
「へぇ。なんで?」
「あのレイドさんが、王都北部のど真ん中で“ド派手に大喧嘩”をやらかした挙句、『敵に回した二人のクランマスターに面倒な呪いをかけて、肉体を半永久的に幼児化させた』なんて噂されていましたから」
「……」
「それで私は、北部に住む王都民のひとりとして、貴方に猛烈に興味を持ったんです」
「はい???」
私のあまりの混乱ぶりに、シオンはふふっと楽しそうに目を細める。
「いい意味で、ですよ? なんだか誤解されそうな言い方でしたけど」
「学園にあのレイドさんがやって来るかもしれないと学園長から極秘に伝えられた時は、衝撃のあまり脳内で盛大にパニックを起こしましたから。既得権益──じゃなかった、学園長と水面下で協力して巨大な計画を実行した甲斐もあって……あの時は、動悸で心臓が疼いて数日間まともに眠れませんでした」
「随分と持ち上げてくれるね。次は盛大に落とされるのかい?」
「そんな意地悪はしませんよ。
でもそうですね、《白聖》に対する『史上最大規模の裏切り事件』として、そちら側の世界では有名なトラブルメーカーらしいですけれど」
「今さらあっちに戻れば、クランマスターに容赦なく刺されるか、呪いを解く糸口が見つからなければ新マスターにも永久追放されちゃうし?」
「おまけに、国家転覆未遂の容疑で旧ロッテルダム大商会連合から何度か訴えられているらしいですし?」
「ええええええええ!?」
私のあまりの絶叫に驚いたのだろうか、近くのテーブルを通りかかったリリーちゃんが、ビクリと全身を跳ねさせた。
「ほら、綺麗に落とした」
レイドさんが苦笑交じりに肩をすくめる。
私は負けじと、空気を、変えよう……!と自分を奮い立たせ、シオンとレイドさんの間に急いで身体を割り込ませた。
「あの、変な質問だったら答えなくてもいいんですけど……レイドさんにとって、レヴェルトさんは、本当にライバルになる存在なんですか……?」
問いかけた瞬間だった。
「───それは愚問です」
私の真横から、今まで静かに微笑んでいるだけだったエルちゃんが、不意に冷ややかな低い声を落とした。
その場の空気が、一瞬で氷のように張り詰める。
エルちゃんが纏う雰囲気が、いつもの愛らしい少女のものから、底知れない戦闘の気配を帯びたそれに変わっていた。
フレアさんが「えーと、戦力のバランス調整で、ローズくんが近いうちにうちのクランに移動するって噂もあるくらいだしさ……」と、気まずそうに苦く笑う。
「バランス、調整……あのローズさんが、ですか??」
ローズ・ベルト。
王国の民でその名を知らない者などいるのだろうか、
そんな彼が───バランス調整??
「レイドさんはね、レヴェルトさんの作った全ての記録を軽々と塗り替えた、文字通りの『天才中の天才』です。レヴェルトさんも、ローズさんも、その他大勢の方も───レイドさんの敵ではありません!!」
「えっ、それはつまり───」
エルちゃんはスッと目を閉じ、長い美しい瞬きを終えると、まっすぐに私を見据えて静かに言い切った。
「レイドさんは、神です」
それは鶴の一声であり、同時に私にとっては晴天の霹靂だった。
◇◆◇
そんな圧倒的な熱気と混乱に包まれるテーブルから少し離れた場所で、絶妙なタイミングを計っていたかのように、アローネ先生が化粧室の扉からふたたび姿を現した。
今度こそ準備万端。彼女の装いは完璧だった。
女性としての生々しい体温を感じさせる、血や熟れた薔薇のように濃密なピンクのリブニット。
それが彼女のたおやかな曲線美を、少しの隙間もなくこれでもかとあられもなく浮き立たせていた。
その隙のないタイトなシルエットは、チョコレートのように艶やかなロングヘアとの鮮烈なギャップを生み、周囲にいる男たちの視線を容赦なく奪っては離さない。
さらに、その危険な色香を逃さぬように、ハイウエストのタイトジーンズが、彼女の細く引き締まった腰つきの起伏と、破裂しそうなほど丸みを帯びた大きなヒップのボリュームを、なんとか限界まで抑え込んでいた。
甘く蕩けるような大人の色気と、どこか気恥ずかしそうな無邪気な表情のコントラストは、見る者の理性を大いに揺さぶり、不用意に近づけば一発で脳を焼き尽くされそうなほどの破壊力を放っている。
アローネ先生はきっと、化粧室の鏡の前で入念に前髪の角度や目元のメイクを直し、「レイドとどのような表情で顔を合わせるべきか」を完璧にシミュレーションしてきたに違いない。
「変じゃないか?」と指先で髪の分け目を確認し、後れ毛や睫毛の長さ、全身のシルエットのバランスまで完璧にチェックしている彼女の姿が、なぜか手に取るように目に浮かび、私は彼女のいじらしく本気すぎる乙女心に、どこか愛らしさすら覚えてしまうのだった。
それから、自分が王国でも指折りの「高嶺の花に値する女のひとり」であることを自分に言い聞かせるようにして、彼女はふっと鼻を鳴らし、たっぷりの自信を纏ってそこから歩き出した。私の後ろをすれ違いざまに通り過ぎ、レイドさんのもとへとまっすぐに近づいていく。
「おや? レイド・クラウン。わざわざ私に会いに来てくれたのか?」
「まぁ、否定はしませんよ。少なくとも、今はあなたに会いたかったですし」
「ふっ、素直じゃないか。それは嬉しいね」
「男がひとりで、少し寂しかったものですから」
「ん……? もしかして、私をからかっているのか?」
「いえいえ。アローネ先生は、オレにとってこの学園で一番……物理的な距離感が近い先生だからね。でも、今日のその格好はちょっと反則です」
「ほー。と言うと?」と女教師は目を細めた。
「もう少し、オレの近くに来てもいいんですよ?」
レイドさんがわざと声を潜め、艶やかに微笑む。
「遠回しに褒めてくるなんて、相変わらず言い訳が上手じゃないか。このあと、もしよかったら二人で二次会でも行くか?」
「冗談はやめて下さい。あいにく、みんなで邸宅の庭に戻って夕食のバーベキューをする予定が入っていまして」
「………そうか。それは、少し残念だな」
「まぁね。でも、また近いうちにちゃんとお食事にでも誘いますよ。その時は、酒代くらいはオレが全部奢ります。こっちにも、あなたを頼らなきゃいけない理由が山ほどありますから」
アローネ先生はスッと身をかがめ、こっそりレイドさんと互いの鼻筋が重なるほどに顔を寄せる。数秒してその肩に白い指をそっと置き、逃がさないと言わばかりに精神的な距離をさらに詰めた。
「いいね。気が利くじゃないか、レイド・クラウン。
ところで……この大人数でのバカ騒ぎは、いったいどういう状況になっている?」
ふたりの視線が、超至近距離でピタリと絡み合う。
レイドさんはじっとアローネ先生の瞳を見据えると、何か言いたげな、しかしどこか面倒くさそうな表情を浮かべたが───結局はあきらめたように息をつく。
「ぼっち教師にも、たまには気の合う飲み友ぐらい必要でしょ」と、端的に言葉を返した。
ニヤニヤと呆れたように口角を上げて笑うレイドさんの視線に気圧されたのか、アローネ先生は悔しそうにしながらも半分は納得したように満足げな笑みを浮かべる。
そしてみるみるうちに火照っていく自分の顔を隠すように、スタスタと少し早足で自分の席へと戻っていくのだった。




