盛況な食事処
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酒場
どこか無骨で、しかし温かみに満ちたこの場所は、これから始まる新たな冒険への期待と、長い旅の語らいを予感させる、風情ある盛況で力強い場所である。
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昼下がりの王都北大通りは、冬の澄んだ冷気を纏った整った石畳の上に、白くまぶしい光を反射させていた。
「馬車で食事処に来るのは珍しくないのか?」と問われれば、王族の血を引く私にとって日常ではないと答えるべきだろう。
だが、それ以上に奇妙だったのは、王都北部という森の外側からレイド邸まで決して遠くない場所でありながら、私たちの他に入っていく客人どころか、通り過ぎる王都民の姿すらいっさい見当たらないことだった。
まるで私たちの歩む道だけが、世界から切り離されているかのように不自然な静けさに包まれていた。
《悪魔の森》を出てすぐの、足元のおぼつかない不整備な道と、行きで見かけた西洋風の街角を曲がった先。視界の端に《金獅子の尾亭》の看板が飛び込んできた瞬間、隣を歩いていたエルちゃんがぱっと華やかに顔を輝かせた。
「レイドさん、今日のお昼は絶対当たりですっ!もう外までいい匂いが漂ってます!わたし店主さんと会うの久しぶりなんですよね!」
「ほんとだね、エルちゃん」
「あ、レイドくんの好きなウサギシチューの匂いもする……ところでさ、なんか距離近くない?」とフレアさんが横から顔を出すと、エルフの少女は屈託のない笑みを貼り付けた。
「エルはどこまでもレイドさんについていきますよ!」
◇◆◇
ふと横に目をやると、レイドさんはいつもの胡散臭い糸目をほんのわずかに緩ませ、胸いっぱいに外の空気を吸い込んでいる。
彼は普段は飄々としていて、他人に本心の感情を見せないのだろう。けれど、自分の好きなものの前では、こうしてほんの少しだけ表情が柔らかくなるのだ。
「あ、そう」
なんだか、その隙のある横顔が……やけにずるい人だなと、心臓が揺れるような感覚を覚えた。
「じゃあ、入りましょうか! フィオナさんもお腹すいたんですよね?」
「べ、別に……。ちょっとだけ、よ。ついでに寄ってあげるだけだから」
フィオナさんはいつものツンケンした口調を崩さないけれど、その白いはずの耳の先が、寒さとは違う色でほんのり赤く染まっている。
「ウチによく来るのもついでなの?」
「うっさい」
こういう小さな可愛らしさを見つけるたびに、私は彼女のことも、このおかしな旅の仲間たちのことも、どんどん好きになってしまうのだった。
今まさに、この扉の向こうで私たちの新しい物語が紡がれようとしている。そこに足を踏み入れるだけで、まだ見ぬ冒険の予感が胸の奥を激しく波立たせるような、そんな圧倒的な期待感に満ちた空気がそこにあった。
ただ、暖簾をくぐったその瞬間──
足元に敷き詰められた鮮やかな青いラグマットが、ブーツの底から伝わる冷えをふんわりと包み込み、心地よい温もりを教えてくれた。
そんな足元の驚きに気を取られてふと顔を上げた瞬間、視界のすべてを埋め尽くす“憧れの景色”に、私は息を呑み、言葉を失った。遅れて、感動に似た熱が全身を駆け巡り、ぽっと頬が火照っていくのがわかる。
「すごい………」
重厚で滑らかな木材と、踏みしめる足音をしっかりと受け止める硬い石床。その二つが織りなす、温かくも力強い活気に満ちたメインフロアがそこにあった。
酒場という場所にしては今はまだ客の姿がなく、貸し切られていることを肌で感じる。鼻腔をくすぐるのは、芳醇なエールビールの香りと、香ばしく焼き上げられた肉脂の匂いが混ざり合った、たまらなく食欲をそそる芳香だった。
見渡せば、無骨で形も大きさもバラバラな木製のテーブルと椅子が並んでいる。その一つひとつに深く刻まれた無数の傷は、この店がくぐり抜けてきた長い歴史と、多くの冒険者たちの喧騒を物語っていた。
「今日は空いてるね?」
「そう?いつもガラガラだよ」
部屋の中央奥には、琥珀色の酒瓶がずらりと並ぶ豪華な木製カウンターが堂々と鎮座している。
その背後を埋め尽くすように、巨大なオーク樽や、保存食の干し肉、そして王国の旗が壁一面に飾られ、この場所が「本物の生きる世界」であることを強烈に主張していた。
おそるおそる頭上を見上げれば、鍛鉄で造られた二基の巨大なシャンデリアが、数十本の蝋燭の灯りを煌々と揺らしている。
その温かな黄金色の光が、美しい木肌の梁や無機質な石壁を柔らかく照らし出し、無骨なはずの空間をどこか居心地の良い隠れ家へと変えていた。
背後を振り返れば、壁に掛けられた巨大な魔物の頭の剥製が、生前を思わせる鋭い眼光でフロア全体を静かに睨みつけている。
お腹の底がキュッと引き締まるような、そんな緊張感すら心地よかった。
◇◆◇
「げっ……やっぱり来たかぁ………」
店の奥にある厨房の気配から、ふわりと揺れるクリーム色のボブ髪が飛び出してきた。慌てた様子で小走りに出てきた少女は、どこか切なげで、しかし気の強そうな目をしている。
彼女は、ふわりと膨らんだ袖の白いブラウスに、深紅と黒の複雑な編み上げコルセットをきっちりと重ねていた。
そのウエストには小さなリボンがアクセントになったクリーム色のエプロンが結ばれ、腰から下は何重にも重なったボリュームたっぷりの深紅のフリルスカートが揺れている。
足元は膝下まである編み上げの硬質なブーツで引き締められていて、清楚でありながらどこか隙のない、クラシカルで愛らしいメイド服を思わせる装いだ。
どこか親しみやすい町娘の印象があり、胸元だって私よりずっと豊かで可愛い女の子なのに、その表情は今にも目の前のひどく呑気な男に掴みかかろうとする勢いだった。
「も、もう……! フレアさんたち、前回みたいに勝手に特盛りとか頼んじゃダメですからね!? レイドさんもですよ!」
お茶の入ったずっしりと重そうなビールジョッキを片手に、彼女は一直線にレイドさんへと向き直り、鋭い忠告を突きつける。
その拍子に彼女の持つお盆が揺れ、中の液体が波打ち、グラス同士がぶつかって氷とガラスが涼やかなカラカラと高い音を立てた。
「あはは、リリーちゃん怖いなぁ。フレアとエルちゃんの基準ではねー、いっつも適量なんだよ?」
「嘘つけぇぇぇ!!」
レイドさんがからかうように明るく笑うと、背後の女子たちから一斉に羞恥にまみれた抗議の声が飛び、その瞬間に場を覆っていた緊張の糸が一気にほどけて、温かな笑い声が広がった。
こんなふうに、見知らぬ誰かと軽口を叩き合い、生きてる実感を剥き出しにするような世界を味わうのは、私にとって人生で初めてのことだった。
そして、私はこの「ずっと憧れていた場所」に今、こうして立っている。
恐怖や孤独ではなく、確かな安心感と、それを上回る激しい興奮に包まれながら。
純粋な嬉しさと共に、私は新たな居心地の良い場所を感じ始めていた。
◇◆◇
彼女の茶髪が揺れるたびに、芳醇なオーク木の香りと、厨房から漂う温かな煮込みの空気がふわりと私の体を優しく包み込む。
カウンターの向こうでは、《店主》らしき大人の女性が、樽の注ぎ口から琥珀色の液体をジョッキにトクトクと満たしているところだった。
その手際よさと、どこか馴染みのある大人の女性の匂いに触れたとき、私の胸の奥からふっと力が抜け、言い知れない安心感が広がっていくのを感じた。
「おや~、フレアちゃんたちと……って、あら? 新しいお友達まで来てくれてたのね! 今日はずいぶん賑やかだこと」
「店主のレオーネ姐さんだよ、やっほー?」
「今日はお世話になります!」
私が少し緊張しながら声をかけると、姐さんは豪快に笑いながら、私に向けてウインクをひとつくれた。
「気にしないでいいよ。リリー、そんじゃそこのテーブル片してやりな!」
タオルを肩にかけたまま、気風のいい笑顔で迎えてくれるレオーネ姐さんの姿に、私は胸をなで下ろすのだった。
「じゃ、とりあえずお水置いとくので。お茶がよかったら………麦茶があるので、そちらを頼んでくださいね。フレアさんはいつも通り、ジョッキーにお茶入れておきましたから」
「ありがとリリーちゃん! 助かる」
◇◆◇
「冒険帰りはね〜いっつもここで食べてるよ!」
フレアさんが嬉しそうに目を細める。
「エルちゃん、飲み物はどうするの?」
「エルはソーダフロートがいいですっ!!」
「また前みたいにお腹壊してうずくまらないでよ?」とフィオナさんがツッコミを入れる。
「大丈夫です! ほら私、一応回復術師なので!」
「あなた、自分に魔術かけるの苦手だったでしょ」
「フィオナさんもいますし?」
「私は……まぁ、必要なら手伝うけどさ」
やり取りを見ながら、私はそっと自分の手元のグラスに視線を落とした。
「みんなは、飲み物はどうするの?」
「私はお水で大丈夫です」
「あ、私も同じで!」
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「おすすめとかって、あるん………あるの?」
恐る恐る尋ねると、フレアさんが「うーん」と悩ましげに唸る。
「私はゲテモノ好きじゃないけど、
強いて言うなら───」
フレアさんが人差し指をピンと立てて熱弁しようとしたところで、レイドさんがクスッと声を漏らして笑った。
「ここはそういう店じゃないよ、二人とも」
「へ?」
「?」
「ガツンと大きな料理をみんなでドカンと分けて食べるのが、この酒場の醍醐味なんだから。北部じゃわりと有名な店なんだよ」
レイドさんが飄々とした笑みを浮かべて言う。
「そうなんですかっ」
「まぁ、誰かさんは十人前の大皿すらもぺろっと一人で平らげちゃうんだけどさ」
「?」
「………私、今の聞こえなかったことにするからね?」
「してるじゃん。みんなも好きなものを頼んでいいけど、せっかくならフィオナにバランスよく取り分けてもらいなよ」
「………なんで私がそんなことしなきゃいけないわけ?」
「君が一番グルメでしょ? エルちゃんに任せたら激辛の魔物肉しかこないし、シャシャは偏食だし、チャチャは『毒味だ』とか言って好き勝手全部自分の皿に取るし、フレアは自分の胃袋基準でとんでもない量をよそってくる───」
「わかった、わかったわよ! もう、私がやればいいんでしょ!」
フィオナさんが盛大にため息をつきながらも、どこか呆れたように肩をすくめる。
「まぁまぁみんな、任せてって! 初めての冒険者酒場なんだから、心から楽しんで!!」
笑いながら、フレアさんは大きな背中で店の奥へと振り返り、厨房に向かって朗らかな声を張り上げた。
「あ、リリーちゃん! みんなの注文、決まったよ〜♪」
「はーいっ! いま行きます!」
リリーちゃんはエプロンの裾をキュッと握りしめ、胸の高鳴りを抑えながら、注文のメモを握りしめて厨房のカウンターへと駆け出した。
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注文表
・魔物肉のビーフシチュー
・かぼちゃのチーズフォンデュ
・ミートソース風味のチーズグラタン
・ミックスハンバーグ×2
・王都港バスのスパイストマト焼き
・いちごチョコレートケーキ
・メロンソーダ(バニラフロート)
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