お昼
フィオナさんの手で、リビングへ通ずる重い扉がガチャリと開く。
後ろから並んだ顔、私の端ない姿を見てか数人が息を呑むのがわかった。
きっと私の目尻はうっすらと赤く腫れていて、それとは対照的にあんなにも涼やかだったフィオナさんの整った眉はどこかバツが悪そうに歪んでいるだろう。
ソファに皆と馴染んで座っていたシオンも、同じ疑問を抱いたのか、驚きに丸く見開いた瞳で、言葉を発さず状況を探るように私をじっと見つめた。
「え、フィオナ………ミリアのこと泣かせたの??」
レイドさんのそのシンプルな問いかけに、フィオナさんは不機嫌そうに片腕を抱え込んだ。
「はぁ?」
「………」
「………」
「コミュニケーション能力に乏しいとは薄々感じていたけど、まさかここまでとはね」
「失礼ね。その言い方はひどいと思わない?」
あんなにトゲトゲしい口調で返していながら、彼女が寂しげに視線を部屋の隅へと落としたその横顔は、紛れもなく年相応の、どこか傷つきやすい少女のものだった。
「………」
その様子を目の当たりにして、レイドさんも珍しく言葉を飲み込み、静かに口を閉ざす。
「ご自慢の推理力で少しは私のことも───」
さらに喧嘩腰に言葉を続けようとするフィオナさんを止めなきゃと焦って、私は反射的に大きな声を張り上げていた。
「あ、あの、違います! 喧嘩しないでくださいっ!」
少し遅れて「まぁまぁ」と、フレアさんが絶妙なタイミングで間に割って入ってくれる。
レイドさんという圧倒的な存在を前にしている者同士だからなのか、彼女たちの間には、言葉にしなくても通じ合う奇妙な連帯感みたいなものがある気がした。
レイドさんという人は、きっと誰に対しても変わらずこんな調子なのだろう。
「はぁ、馬鹿ね。この年で喧嘩なんかするわけないでしょ」
真顔でそう言い放つフィオナさんが腰に手を当てて佇むと、代わってレイドさんが平然と言葉を並べる。
「そうだよ。獣人じゃあるまいし」
「にゃ??」
「最低です」
遠くから飛んできたレイドさんのナチュラルな暴言に反応して、小さな抗議の声が上がった。
そんなやり取りすら日常茶飯事なのか、フレアさんは呆れ半分に苦笑するだけで、誰も気にした様子はない。そこまで敏感にピリピリしているのは、もしかして私だけなのかな……。
私には、他人の心の奥底にある微細な感情や温度が、まるで自分のことのように流れ込んできてしまう。そんな不条理で厄介な性質を、私は持っている。
――いや、違うかも。
もしかすると……。
今、私が感じているこの胸のざわめきは、ただの思い込みなんかじゃないのかもしれない。
フィオナさんがレイドさんに対して抱いているのは、単なる反発心なんかじゃなくて、もっと別の、名前をつけてはいけないような特別親密な感情なのかも――と、そんなよけいな妄想が、私の頭のなかでぐるぐると渦を巻いて離れなかった。
◇◆◇
リビングに戻った人数が増え、空間の密度が増すにつれて、やがて室内の空気は一層明るく賑やかなものへと変わっていった。
何よりも楽しげなのはシオンだ。まだ私が名前すら満足に覚えられていない人たちとも、彼女はごく自然に言葉を交わしている。
そんなシオンは、とりわけ長い尖った耳を持つ、人間ではない、あのエルフの少女と、一番親しげに寄り添い合っていた。
とりあえずフレアさんからパーティメンバーの名前と顔を一通り教えてもらった私は、手渡された冷たいオレンジジュースのグラスを片手に、秘かな対抗心を燃やしながらシオンの足元へとそっと近づいた。
「抜け駆けはダメだよ、シオン」
「お帰りなさい、ミリアさん。とりあえず、2階の様子はどんな感じでしたか?」
「当時からあんまり変わってないみたいだよ。一番安全な場所だって、フィオナさんが……」
「《遺跡》化の影響はなしと、なら当面の安全は確保できそうですね。それと“アルバム”も……」
「ねえ、さっきからゴニョゴニョ何の話ししてるの?」
いつもの独り言にしては、どうやら訳がありそうな緊迫感のある表情が垣間見えた。
「ただの懐かしい思い出話の続きです」
「隠し事はナシって約束だよ?」
「いえいえ、そんな大層なものじゃありません」
シオンが意味ありげに微笑んで言葉を濁したその瞬間、彼女の華奢な肩の陰から、透き通るような銀髪の少女がひょっこりと顔を出した。
シオンばかりにいい顔はさせない!私は気合を入れ直して満面の笑みを作り、シオンの正面――エルちゃんのすぐ隣へと、スルリと身体を滑り込ませた。
「綺麗な目だね」
「っ!?////」
不意打ちだったのだろう。エルちゃんは両手で自分の顔を慌てて覆い隠し、一瞬だけシオンの後ろへとまた身を隠した。
だけど、好奇心を抑えきれないのか、すぐに指の隙間から鼻のあたりを覗かせて、おずおずと私に視線を合わせてくれる。
「ごめんね、びっくりさせちゃった? 私はミリアだよ。これからよろしくね、エルちゃん!」
「……エル、です。あの、よろしくお願いします?」
ちょっと幼なげで、守ってあげたくなるようなあどけなさに、「可愛いかも……」と私は内心でガッツポーズを決める。
エルちゃんから照れくさような返事が返ってきたのと同じタイミングで、すぐ隣から「……随分とまた積極的ですね」と、シオンの慣れたような声が降ってきた。
「辛いもの好きなんだよね?ラーメンとか、中華とか。フレアさんと、あと“フィオナちゃん”にもちょっと聞いたんだ。なんだか私たち、気が合いそうだなと思ってさ」
「へえ、そうなんですか」と、シオンが面白そうにエルちゃんに視線を向ける。彼女の纏っている静謐な空気感が完全に台無しだ。
「あっ、えっ………ち、違いますけど、そんな激辛好きなんて趣味はありませんっ!////」
図星を突かれたのか、エルちゃんは必死に平常心を装って、ブンブンと必死に首を横に振った。
そういえば……
「辛いもの………あ、お昼、まだ食べてなかったな」
「ですね」と、シオンが口元に手を当てて微笑んだ。
◇◆◇
さっきからキッチンの方から漂ってくる美味しそうな柑橘系や調味料の濃い匂いに釣られ、私は近くを通りかかったフレアさんに声をかける。
「あの、フレアさん。お昼ご飯はどうするんですか?」
「ご近所のお店にみんなで外食に行く予定になっているそうですよ、ミリアさん」
私よりも先に答えたのはシオンだった。先ほどより少し楽しげな響きを含んでいる。彼女の頭の中では、席や理想的な話題までシュミレーションされていることだろう。
「お昼はね、行きつけのトコにみんなで繰り出すの! この時間帯なら空いているはずだし……ま、レイドくんなら、私たちのために気を利かせてお店を丸ごと貸し切ってくれてるかもしれないけどね」
「未知の美味しいお料理を教えていただけるのも、旅の醍醐味でしょうし」
フレアさんの言葉を遮らないよう上品に微笑みながら、シオンがふわりとソファの中心へと静かに座り直す。
そのせいで、私とシオンのちょうど真ん中にサンドイッチされる形になったエルちゃんは、すっかり身動きが取れなくなって顔を真っ赤に染め上げ、うつむいてしまった。
「あ………う………////」
「えっ、外食……!? 私、王城を出てからまともに外でお店のご飯なんて食べるの、ものすごく久しぶりかも………」
思わず私が零した本音に、シオンはふと目を細めて私を覗き込んだ。
「………もしかしてミリアさん、ここ数年、相当に息の詰まる窮屈な生活を強いられていましたか?」
「え、、?」
意味ありげな視線に耐えかねて、私は気まずそうに目を泳がせた。シオン相手に隠し通すのは無理だと悟り、私は観念して小さく息を吐く。私の嘘はバレやすい。
「あ、いや………お母様が、その、すごく厳しくてね」
「そういうことでしたか………闇が深いですね」
シオンの瞳が鋭い輝きを帯び、勝手に頭の中で推理モードの歯車が回り始める。
自分のプライベートを詮索されるのは少し恥ずかしかったけれど、それ以上に、私を心配してくれるこの親愛なる友人の存在が、凍えていた私の胸の奥をじんわりと温めてくれていた。
こうなると、シオンはいつもの超集中状態――本人が笑いながら「探偵モード」と呼ぶ状態に入ってしまう。その没頭ぶりは、私が彼女の頬や鼻筋に触れて尚気が付かないほどに、無防備ですらあった。
「どうかしましたか?」
小声で話しかけても反応がないシオンに、どうしたものかと戸惑っているエルちゃんを見かねて、私はそっと彼女の細い指先に掌が重なるようにそっと触れた。
「エルちゃん」
「はいっ!?」
「………冒険者って、なんだかすごくかっこいいよね。私、ちょっと憧れちゃうな」
その優しい接触に驚いたのか、エルフの少女は慌てたようにビクッと背筋を伸ばし、周囲に響くようなうわずった小声で叫び声を上げた。
「ごめんなさいっ!!//// 私、そ、その………女性の方とは、お付き合いできませんっ!////」
「「え?」」
少し離れた場所から、「あほエルフ」という声と、「なわけないにゃ」という女子2人の乾いたツッコミが飛んでくる。
キッチンの入口でお盆に載った食器の片付けを手伝っていたフィオナさんは、もう呆れ果てたといった様子で、深くて大きな溜息を吐き出して天を仰いでいた。
ちょうどその頃、リビングの玄関とは反対側の奥まった壁面から、重厚な扉の鍵が外れるような金属音が響いた。
少し遠くでレイドさんとフレアさんの他愛のない雑談も空いた窓から流れ込む風に溶けて運ばれてくる。
中庭の裏手へと繋がる勝手口がそこにもあるのだろうということは、この建物の構造上、キッチンがその先にあるということ。
───いや、私にはシオンのような優れた推理の才能なんてないんだから、考えるのはやめにしよう。
思い切って私らしくフレアさんの手を引っ張って探検がてらあとあと突撃してみればいい!
最低限の下準備は滞りなく終わったのか、レイドさんとフレアさんが、ふんわりと美味しそうな黒胡椒の香りを纏いながら奥から戻ってきた。
「んじゃ、いつものお気に入りの店へと出発と行こうかッ」
「元気だね」
「レイドくんが全額奢ってくれるってさー」
「そこまでは言ってない……まぁ、いっか、たまにはね」
「やったー♪」
私とシオンが仲睦まじい2人を無言で眺めていると、背中から
「調子がいいなんて不安ね。何か裏があるかも…」
「絶対なんかの取引で共犯にされますよ…」
「人の財布で肉食えるだけ幸せにゃ…」と、
パーティメンバーたち各々の頼りない声が聞こえた。




