中庭
「「っ!?」」
シオンとともに、声にならない悲鳴を喉の奥で詰まらせる。
おそらく、私たちが同時に思い浮かべた懸念はただひとつ。
一見すると下着かと見紛うほどの、豪快な露出度だった。
淡いライラック色のヘソ出しキャミソールは、彼女の吸い付くような肌に張り付き、柔らかな胸の膨らみを隠すことなく誇示している。
華奢なストラップが鎖骨を滑り落ちそうなほど頼りなく引っかかり、素肌に直接羽織ったミントグリーンのアウターは、無防備に肩から滑り落ちていた。
キュッと引き締まったウエストのくびれと、甘美なへその窪み。
自宅の寝室にいるような気怠げな無防備さと、どこか洗練された都会的な色香。
その絶妙な境界線に立つ彼女の姿に、思わず毒気を抜かれてしまう。
それまで肌を刺すように張り詰めていた緊張感が、一気に温かな安心感へと塗り替えられていく。
遅れてやってきたのは、「これから何が始まるのだろう」という胸を突くような強い期待感だった。
◇◆◇
「──────きゃー////」
レイドさんがフレアさんの手を取り、ワルツを踊るように華麗な仕草でくるりと回す。
黄色い声を上げた彼女を優しく抱き止めて立ち直らせると、「さ、帰宅の挨拶は終了」と秘密の目配せを共有して手を絡ませた。
「みんないらっしゃい!」
フレアさんからしてみれば好きな人と、いつものパーティメンバーと、新たな友人二人と共にパーティーをするだけなのだから羨ましいほどそれはもう楽しげだ。
「お招きありがとうございます、フレアさん。………にしても随分派手な───ご登場ですね?」
「ごめんねっ」と無邪気に笑うあざといフレアさん。
「いまうちのみんなで“歓迎の飾り付け”やってて、それで暑くなっちゃって」
「女子しかいないし、別にいいでしょー」とさりげなく滑らかに腕を引かれる。「さ、行こ?」と、彼女の明るい声とギャップのある大人なウインクに導かれるようにして、私たちはカツカツと石畳を鳴らして歩き出した。
中庭の中心へと一歩踏み出すたび、冷たい空気の肌触りが恐怖へと変わっていった。
夜の海のように濃密な夜気に包まれ、周囲の樹木からはまるで生きているかのように怪しい手のような枝が伸びている。
凍てつくような冷気が頬を撫で、周囲の黒ずんだ茂みからは、風に揺れるたび「カサリ……」と生き物がいるような音が鳴りゾッと背筋を撫で上げた。
美しさと、背中に張り付くような恐怖が隣り合わせの霧の中の遊園地。
サーカステントの残骸がめり込むように中庭の端を侵食していた。
上空から私を観察するように見下ろしていたフクロウが、ホーホーと低く鳴いて夜の闇へ消えていく。
私は手に汗を握りしめていた紙袋を、フレアさんへと差し出す。
聞こえのいい中央の噴水の音がちょうど耳をくすぐった頃だった。
「華ノ国の高級茶菓子と煎茶です!どうぞ!!」
「ありがと〜〜!!これいつも売り切れてるお土産のやつじゃん!!最高!!」
タイミングよくシオンも、比べて一回り小さな紙袋をレイドさんへと優しく手渡す。
「私からは王国カボチャのプリンと………手作りのクッキーを」
「「手作りっ!?」」と、思わず二人で叫ぶ。
「フフ、全部一人占めはダメですよ?
これは、レイドさんの分です」
シオンがレイドさんに持たせた紙袋から、何やら奇妙な彫刻の施されたプラスチックのカップを取り出す。
「ちょっと。シオンちゃん、どーいうつもり?」
「余ってるなら喜んで受け取らせてもらうよ。公爵令嬢のシオンちゃん」とレイドさんが嘲る。皮肉たっぷりだ。
片目にかかった前髪を指で払い、「ありがとう」とシオンに向けて笑みを作る。
そんなレイドさんの何でもない仕草で思わず心臓が跳ねる。私は吊り橋効果に踊らされていた。
危険な森にはあまりに不釣り合いなカジュアルな装いのはずなのに、彼がただそこに立ち、言葉を紡ぐだけで、歪な景色までもが彼の支配下に収まっていくような錯覚を覚える。
「………こちらこそ、ありがとうございます。レイドさん」
シオンの声には、恋人に向けるようでもあり、命の恩人に捧げるようでもある、甘くて重くて、執着にも近い熱が籠もっていた。
私がレイドさんへ目を向けるも、静かに笑みを返されるだけだった。
皆でかたまって、さらに奥へと進む。
歪にねじ曲がった樹木や、今にも動き出しそうな街灯には、なぜかお祭りのようなカラフルな《小電球》が巻きつけられていた。
ぽっかりと空いた石畳のスペースには、無造作に置かれた木製ベンチや怪しげな鉄の機材。まるで夜のサーカス団の舞台裏に迷い込んだかのようだ。
バーベキューでもするつもりなのだろうか。
不意に、シオンが胸元から手のひらサイズの四角い魔導具を取り出した。背面には、私たちの通う学園のA寮を象徴する“蛇の魔物”の刻印。
「ん。何それ?」とフレアさんが口を開く。
「それって……《共鳴板》?」
「私の成果物ですから」
問いかけた私に、シオンはどこか誇らしげに胸を張ってみせる。研究塔から持ち出したのだろう。
「それまだ、………学園から配られてないんじゃ」
何かあったときのためだろうか、?
彼女は私の大切な友人であると同時に、恐ろしいほどの才能を持つ錬金術師であり、発明の天才だ。可憐な見た目に目を奪われがちだけれど、その内側には冷徹なまでの知性が宿っている。
「ミリアさん、相手は悪名高きレイド・クラウンさんですよ?」
「あくみょう……?」
フレアさんが首をかしげ、可愛らしく眉を顰める。
薄い生地の下で、バストがたゆんと揺れた。
鎖骨から胸元へと続く谷間に無数の汗が浮かぶ。
対照的に、不思議と隣に立つシオンの佇まいは、少し肌寒さに無理して身を震わせているようだった。
透き通るような繊細な肌、しなやかに伸びる首筋から華奢な肩のライン、そしてきゅっと引き締まった細い腰つきに至るまで、無駄のない洗練された美しさが際立つ。
一見すれば可憐な少女そのものなのに、その瞳の奥には冷徹なまでの知性が揺らめいていた。
「そんなもの必要ないよ。馬車に置いてきなよ」
レイドさんが横目で小さく鼻で笑うと、シオンもその圧倒的な雰囲気に気押されることなく、まっすぐ胸を張って凛と背筋を伸ばして応じる。
「いいえ。“何かあったら”困りますから」
「ふーん」
レイドさんがすっと指先を伸ばし、スッと共鳴板が隠されたシオンの華奢な胸元、その衣服の隙間へ手を伸ばした。
シオンの細い喉が、緊張で小さく上下する。
──────パシャリ、と音が鳴りカメラが光る。
ふわりと甘い香水の匂いが弾け、彼女の胸元が息を呑む音とともにわずかに跳ね上がった。
「通報しますよ?」
「オレは君の友人でも恩人でもないわけ?」
「それとこれとは別です」
二人の間に、ピリッとした刺すような静かな火花が散る。
目の前で交錯する、レイドさんの底知れない威圧感と、シオンの内に秘めた頑ななまでの熱量。
私とフレアさんは、その密密とした緊張感とどこか艶やかな空気に呑み込まれ、諦めるように見守るしかなかった。
この二人がどんな関係なのかは未だわからない。
あとで聞いてみようかな、
◇◆◇
鬱蒼と生い茂る黒い木々が不意に途切れ、私たちの視界が一気に弾けた。
「っ……!!」
眼前を埋め尽くしたのは、夜の静寂を暴力的に踏みにじる、圧倒的な存在感を放つ本館の巨躯だった。
頭上を覆い尽くすほどにそびえ立つ白亜の建造物。
それはただの洋館ではなく、暗闇に鎮座する巨大な特異点そのものだった。
幾重にも刻まれた傷跡や表面の小さな亀裂の重なりが浮き彫りになり、蔦は壮大な歴史を呑み込んでは蠢いているように見え、天を突くように高く映る数階建ては星の降る昼空を穿っている。
綺麗に整列した鏡のようなアーチ窓。
遺構に侵食された、サーカス状態の玄関。
──────息が詰まる。
見ていると現実ではない世界にいるような、フワフワとした不思議な気持ち。
巨大な玄関には、悍ましいモノが食い込んでいた。
規則正しく並んだ重厚なエンタシスの柱が除かれず同じように侵食されていたら、ここがサーカス会場だと間違えてしまっただろう。
バグったように正面玄関の位置にぐにゃりと重なる赤白のテントの内側から零れ落ちる琥珀色の明滅が、真っ白な石畳とアンティークな玄関扉を温かく包み、鳥肌が立つような人智を超えた恐怖へ染め上げていた。
さらには、分厚い壁の奥から、かすかに風に乗って流れてくる。
可憐な女子たちの声と気配が近づく。
悪夢のような恐怖と安心、そしてその内側に隠された楽しげな温もり。あまりの落差と巨大なスケール感に、私はただ言葉を失い、喉を鳴らしてその館を見上げるしかなかった。
「これが………玄関………」
狂気的でワクワクする深夜のテーマパークに足を踏み入れたような、スリルと興奮で理性を失い、やがて恐怖の感情もゆっくりと剥がれていく。
「ようこそ。“レイド邸”へ」
レイドさんがまるでサーカスの案内人のように大げさな仕草で重厚な扉を開き、私たちに道を譲った。
私とシオンは、目の前の圧巻の光景に圧倒され、金縛りに遭ったように立ち尽くしてしまう。
私の呟きすら耳に入っていない様子のシオンへ、レイドさんが意地悪く目を細めて振り返った。
「もしかして。このクッキー程度でフレアを釣って、自分一人では到底辿り着けない“懐かしい家”まで案内させるつもりだったりして」
「え……?」
私は思わず息を漏らしていた。
シオンの本当の目的が、奪われた思い出の場所を取り戻すことだったなんて。
ずっと一番近くにいたはずの私ですら、知らなかった事実だった。
動揺する私を置き去りにして、レイドさんは逃げ場を塞ぐように、甘く意地悪な言葉を重ねていく。
「オレが君の愛するこの家を買い取ってよかったね。でも、残念だけど───もうこれは、オレの物だ」
「っ……」
レイドさんが、静かに、そして拒絶を許さないようにシオンへ傷ひとつない美しい手を差し伸べる。
シオンはその手を見つめたまま立ち尽くし、ドレスの裾を指先が白くなるほど強く握りしめた。
溢れそうになる何かを堪えるように、薄い唇を強く噛み締める。
「いらっしゃい、……あるいは、おかえり。シオン」
静寂の中に落ちたその言葉に、シオンは息を呑み、小さく肩を竦めた。
逃れられない現実へと引き戻された彼女の足が、石畳の上でピタリと止まる。
ゆっくりと顔を上げたシオンの潤んだ瞳が、レイドさんのどこまでも深くて優しい眼差しと真っ直ぐに交差した。
張り詰めた沈黙の中、シオンは耐えきれなくなったようにふっと視線を落とす。
顔が赤かった。
その長く美しい睫毛の先から、零れ落ちそうに眩しく光る涙が伝っていたことを知った。
言葉にならない歓喜と愛おしさに震えていた彼女の本当の想いを唯一知っているのは、この世界で私だけだった。




