レイド邸
かつて正面入り口を飾っていた壮麗な石柱は、この暗黒の森がもたらした歪な象徴のひとつとなり、古びた黒い彫金さえも幾重にも絡まる影と一体化しそうなほど陰鬱な雰囲気を纏っていた。
門の奥に広がる幾何学的な床、その先にある薄暗い庭園。手入れが行き届いているが故に、逆に人間を寄せ付けない冷徹な緊張感を孕み、息をつまらせるほどの重圧を放っている。
噴水の水柱は微かな月光を反射してサーサーと音を立てているが、周囲の濃密な影に飲み込まれ、まるで禁忌の儀式を執り行っているかのような不気味さを醸し出していた。
遠景に佇む、ゾッとするほど真っ白な本館。
豪華絢爛なバロック様式の白亜が深い闇の中で青白く浮かび上がり、幽霊のような存在感をしている。
それは時代の潮流に取り残された孤高の巨城か、あるいは覚めない悪夢のなかで幻視する朧げな屋敷のようであった。
──────◆◇◆
───◆
馬車の車体が小さく跳ねる。
途端に内側の空気が冷え込み、肌を刺すような寒気が襲ってきた。
「な………」
「シオン、どうかした?」
シオンがドレスの裾をたくし上げ、揺れる車内の窓の外へと危なげに身を乗り出す。
外の暗闇に何かを見つけたのか、彼女はそのまま御者台へと通じる小窓からレイドへ急ぎ声をかけた。
その横顔は未知への恐怖など微塵もなく、底知れない高揚感に満ちあふれている。まるで初めて夜の遊園地に足を踏み入れた子供のような無邪気さだった。
「嘘………………」
息を呑むような、感動と興奮の入り混じったシオンの呟き。
こんなにも感情を露わにした彼女の姿など、これまでに一度も見たことがない。
私は驚いて目を見張り、理由のない気恥ずかしさに思わず視線を逸らしたのだった。
「おや、お嬢さんにはどうやら見覚えがあるみたいだけど。驚いた?」
目を合わせると、レイドさんが嬉しそうに糸目を細めた。
◆◇◆
旧ラインハルト邸(現在はレイド邸)
危険な遺跡の一部を改装して作り上げられた豪邸。元々は由緒ある公爵家が所有・管理していたが、数奇な経緯を経てレイドが破格の値段で譲り受けた。最悪の立地に加え、数々の呪いや曰く付きの噂が絶えないが、最も恐ろしいのは呪われた別館である。
◆◇◆
──────王都、人の立ち入られる最北端。
「到着したよ、お二人さん」
馬車の旅の終着点は、“悪魔の森”へと繋がった深淵なる境界線の向こう。
ここはもう王都じゃない。
来た道と本館を怪しげに照らすガス灯が、霧雨に煙る湿った空気に温かい琥珀色の光を投げかけ、まるで秘密の世界への禁断の入口のように、幻想的に来訪者たちを誘っている。
レイド邸の本館は、夜の帳が完全に降りたかのような漆黒の森に、深く重く抱かれていた。
上空には星一つない抜けるような青白い空が広がっているというのに、邸宅の周囲だけは不自然な闇が覆い尽くし、あらゆる光を拒絶しているかのようだ。
何を隠そう、私たち一行は今日からこの場所で───
〝一泊〟
という名の奇妙な試練を共にする。
馬車が再度静かに停止した。
ミリアの視界を塞ぐように立ちはだかったのは、巨大な黒い蝶の羽を思わせる繊細で凶暴な鉄門だった。槍のように尖ったアイアン製の柵が、客人を拒絶するように立ち並んでいる。
門の両端にそびえる太い石柱にはアンティークのランプが据え付けられ、漆黒の中で妙に温かみのある熱を持った光を灯していた。
「……ミリア。インターホン押してさ、先に入っててよ」
振り返ったレイドさんが、楽しそうに笑う。
「えッ………………は、はい!」
私は緊張にこわばった面持ちで、門の横にそびえる頑丈な柱を見上げた。
貴族邸によくある家門のプレートではなく、そこには無機質な魔導具の《インターホン》が埋め込まれている。最先端の魔導技術と古風な館のアンティーク。奇妙な違和感が胸をざわつかせた。
持参したお土産の紙袋をキュッと両手で握り直し、意を決して小さなボタンを押す。
ピポッ、という軽快で冷たい電子音が、静まり返った敷地内に響き渡った。
『はーい!』
スピーカーから弾けたのは、耳をつんざくほどテンションの高い朗らかな声だった。
「あ、あの! フレアさん、ミリア・レオンハルトです! その、昨日の件で……」
インターホンを通して、何やら向こう側からメリーゴーランドのような奇妙な音楽が聞こえた、歓迎の準備だろうか。
『あ、ミリアちゃんねッ! おっけ〜ラフな格好で悪いけど、今そっち行くね! まま中入ってきてもいいよ』
「え……?」
目の前の鉄門はどう見ても高さ三メートルを超える重厚な造りだ。自動で開く気配など微塵もない。
「………………押すの?」
「「もちろん」」
背後を振り向くと、二人が実に楽しそうにニコニコと私を見つめていた。
戸惑いながらも、私は氷のように冷たい鉄門の把手に手をかけた。
グッと両腕に力を込めるたび、掌にじわじわと薔薇のような棘が刺さる。
魔力量なら王族の血である私が世界一だ。
これっぽっちも役に立っていなかったが、いつ役に立つのだろうか?
王族として鍛えてきた魔力強化を込めて押し込むと、ギギギ……と古い機械が悲鳴を上げるような音を立てて、頑丈な門がわずかに開いた。
隙間に体を滑り込ませるようにしてすり抜け、私はついにレイド邸の敷地へと足を踏み入れる。
格子を挟んだ向かいでレイドさんがシオンの腰に手を回してエスコートしている。
「ふー、、」
“覚悟があるなら自分の力で切り開け”と試されているような、不合理で彼ららしい歓迎の儀式。
誰かに肩へ手を掛けられた気がして思わず振り向く。
敷地へ足を踏み入れた時から、空気が一変していた。
森の冷徹な湿り気に混じり、嗅覚を惑わせる甘やかな薔薇の香りと、清潔な石けんの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
色鮮やかすぎる草花、半ば風化して崩壊しかけた古代の石像、その頭上を不気味に飛び交う魔物のコウモリ、夜のような空に佇み動かない真っ白な月───
それはまさに、レイド・クラウンという人間の生き様そのものを形にしたような、美しくも危うい世界だった。
周囲の印象に圧倒されながらも正面玄関を探す。
赤と白が織りなす異質な世界観にも思わず胸が高鳴った。
視界がゆっくりと広がっていく。
古びた石畳をコツコツと踏んで進んでいくと、近くの茂みからひょこっと小さくて丸っこいピンクの頭が覗いた。
フレアさんだ。
その安心感に思わず胸を撫でおろしかけたとき。
私の視界と脳内を埋め尽くしたのは、豪快に開放され強調された───豊満すぎる…………柔らかそうな二つの塊だった。
「フレアさん………───ッ!?」
「やっほ〜♪」




