悪魔の森
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レイド邸
とある公爵家夫人から安値で譲り受けた美しい外観を持つ大理石の豪邸。王都最北端に位置し、危険な魔物が多く潜む“悪魔の森”にどっぷり両足を突っ込んでいるため稀に家の中で魔物が湧く様子が見られるスーパークソ物件である。《遺跡》をそのまま改装しただけという秘密や酷い呪いの噂もある。
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人々が美しさを無視するたび、遺跡は自然と広がっていった。
世界のどこかで誰かが美しいものを忘れ去るとき、その寂寥を吸い上げるようにして、奇妙にも地殻はひっそりと変質を始めるのだという。
パカッ、パカッ、と軽快な蹄の音が、昼とは思えないほど暗い密林に響いていた。
「悪魔の森。この辺は魔物の生息地ですね」
学園から突如として下された、異例の許可。ミリアは今、王家御用達の豪奢な馬車(といっても信用できないが)のシートに揺られ、曰く付きの地――『レイド邸』へと向かっている。
「君が望むなら、一人で降りても構わないけど?」
案内人は二人。
御者台で手綱を握るレイドと、ミリアの正面に座るシオン・ラインハルトだ。
「冗談はやめてください。10年前とは違います」
レイドが窓越しに他愛のない世間話を振り、シオンがそれに淑やかに微笑む。そんな穏やかな時間が流れていた。
今回の目的は、この先にある元ラインハルト家の別邸。
手付かずの自然が狂い始めた《悪魔の森》の影響を受け、その邸宅はいま、世界に侵食されるように“遺跡化”の波に飲み込まれつつあった。
かつての令嬢であるシオンは、自らの思い出が書き換えられるのを最後まで拒み、抗っていたようだが……世界の崩壊を前に、彼女の祈りは無残にも届かなかったらしい。
ミリアは何気なく窓の外を眺め、ふと不可解な光景に目を細めた。
「ねぇ、あちこちに見える、あの歪んだ“アイアンの柵”や“鏡の集合体”は……?、それに“サーカステント”みたいなものがあるけど、、あれは何ですか?」
あの向こうの木々の隙間にサーカステントのようなものがポツポツと咲いている。
「自生しているんだよ、ミリア」
「へ?、自生……? 植物でもないのに、?」
頬を引き攣らせ聞き返したミリアに、シオンが細い指を再度ピンと立て、物知りな錬金術師らしく優しく噛み砕いて教えてくれた。
「《遺構》ですね。過去の残滓が空間のバグとなって生み出す、いわば実体化した幻影。
――あの奇妙なオブジェたちは、この先が危険な領域に変わってしまったという、この世界からの合図なんです」
「要するに、地形が───世界がバグってるってことさ。この辺り一帯も、完全に“遺跡化”の影響が出ているんだよ……残念だね?」
レイドが御者台から苦笑交じりの無表情で言葉を添える。シオンは寂しげに睫毛を伏せた。
「……ええ、本当に残念です。近隣一帯は、私にとっては大切な思い出の場所ですから、、」
彼女の横顔に滲む哀愁に、ミリアは少しだけ胸を痛めた。
元我が家が魔物の巣窟に変わり果てていくのを、どんな気持ちで見つめているのだろうか。
感傷を振り払うように、ミリアは小さく首を振って尋ねた。
「あの、やっぱり……魔物とかも出るんですよね?」
「出るよ。
ここはもう、
ただの森じゃなくなってしまったからね」
「そうですか。……では、その…………“怪異”の出現は?」
その単語を口にした瞬間、ミリアの背筋にゾクリと冷たいものが走る。
なにそれ…………怪異?
聞いたことがない。
「………………怪異って? ……オバケ、みたいなこと?」
「おおよそ合ってるよ。あら、ミリアさんはまだご存知なかったですか?」
シオンはクスリと笑うと、授業を始めるように、指を一本立てて説明してくれた。
「遺跡の内部は、まるで異界か迷宮のように構造そのものが変質します。その最深部で、《宝箱》を守るように鎮座しているのが《怪異》です。通常の魔物と違って、彼らは遺跡の外に出ることができません。そして何より――人間と同等、あるいはそれ以上の知能を持っています」
「知能……」
「ええ。それに奇妙なことに、怪異のその姿は、おおむね魔物よりも“人型”に近いと言われています。……おまけに彼らは、個体ごとに少々特殊で強力な【異能】を持っている場合がほとんど、ですね」
魔物とは一線を画すという遺跡のボス。
ミリアが知れた情報はそれだけだ。
澱みなく紡がれる不気味な生態系に、ミリアは喉を鳴らした。
◆◇◆
怪異???
《遺跡》のボスであり、遺跡の核となる《宝箱》を守っている存在。遺跡に侵入者を見つけると、何らかの特別な異能で襲ってくる。遭遇したら撤退が一般的。基本的に討伐は困難だ………
◆◇◆
「く、詳しいね、シオン……ちゃん」
「ありがとうございます、まだこれでも本の上での勉強不足ですが…………なにぶん、実践経験はありませんし、、」
シオンが手のひらを振って降参の合図を出す。
「いや、十分だよ。
さすがは期待の錬金術師。危険な好奇心だね」
レイドが心強い声でシオンを褒めている。
しかし、ミリアの不安は拭いきれない。「本当に大丈夫なんですか?」と、おそるおそる二人の顔を見回した。
「フフ、怖いですか?」
「大丈夫。大したことないよ?
ここにはオレや仲間もいるし。
今向かってる場所はまだ遺跡の内側でもないから」
レイドはそこで一度言葉を区切り、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「──────それに、フレアのパーティメンバーたちも、先に向こうで待っているからさ」
「!」
「……! それは心強いですね。楽しみです」
「略して“フレパ”って呼ぶとラクだよ」
「なるほど、?」
「いやぁ新しいオモチャを手に入れたときってワクワクするよね!」
何やら皮肉めいたことを言うレイドさんに景色を横目に聞いてみる。
「あのっ、いまは、ここにはいないんですか?フレアさん」
フレアさんなら、確実に守ってくれる気がする。
「馬車を降りればすぐにでも会えるだろうけど……。あまり、ここで降車するのはおすすめしないな。
それとも──────降りる?」
レイドが楽しげに、窓の外の鬱蒼とした闇へと軽く目配せした。
ミリアがその方向へ目を凝らしても、そこにはただ、ねじくれた黒い木々が広がっているだけだ。何も見えない。
──────なのに。
木々の隙間の圧倒的な暗闇から、じっとこちらを覗き込むような、無数の『視線』を確かに感じた。そんな気がした。
窓の隙間から足元に流れる冷気に思わず寒気がする。
初めて足を踏み入れる、狂った世界の境界線。
恐怖で心臓が脈打つのと同時に、ミリアの胸の奥で、どこか少しだけ、制御できないワクワク感が弾けるのを自覚していた。
◇◆◇
やがて馬車が停まり、ミリアたちは不揃いな石畳の上へと降り立った。
「さぁ、悪魔の森へ
ついたよ。お嬢さん方
どうぞ行ってらっしゃい───ってね」
一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。
背筋がゾッとするような空気感と目の前の信じ難い光景にシオンも同じように息を呑む様子が見えた。
道端には、まるで呪われたように禍々しくのたうち回る、真っ黒な樹木がどこまでも列をなしていた。それはまるで、迷い込んだミリアを深奥へと誘うように、不気味に手招きしているかのようだ。
「あー見えた。あれだよ、あの奇妙な」
レイドさんは遊園地のアトラクション案内でもしている気分なのだろうか?どうして平気でいられるのか。
足元に積もる厚い枯れ葉を踏みしめるたび、それは砂地のように底なしに沈み込み、まるで意思を持つ泥のようにミリアの足首を掴んで離そうとしない。
「そんな…………酷い…………これが、悪魔の森?」
「帰ってくると安心するよね」
現在は昼の筈だった。
しかし、頭上を埋め尽くす黒い葉の天井は太陽の光を完全に拒絶し、そこはまるで真夜中のような、濃密な闇に支配されている。
重苦しい沈黙の中を進んでいくと――不意に、闇の向こうからチカチカと、小さく頼りない「灯り」が見え始めた。
乾いた川に掛かった荒んだ石橋を越える。
シオンが口元を抑える。過去を知る彼女には何が見えているのだろうか。
目を凝らしたミリアは、その情景に再度息を呑む。
本能が警鐘を鳴らし、及び腰で足が震え出す。
「この辺で“体を慣らして”おこう。ちょっと寒いし」
鬱蒼とした黒い森の開けた場所に、あの、世界が拒絶したはずの“小さなサーカステント”のような遺構が、まるで小さな街のように、歪に、そして乱雑に立ち並んでいるのが鮮明に浮かび上がってきたのだった。




