王都門と馬車
─────1日後 初週末
一言で表すなら、それは胸の奥から湧き上がるような「楽しみ」だった。
学園生活が始まって以来、初めて迎える週末。
この日ばかりは、生徒たちは学園の敷地を出て、外の世界へ足を伸ばすことが許される。
本来であれば、王女であるミリアや大貴族の令嬢であるシオンには厳重な制限が課されるはずだったが、メアリー学園長の鮮やかな交渉手腕によって、例外的に外出の許可が下りていた。
今日、レイドが護衛についてくれること。シオンが隣にいること。
正体を隠して街へ繰り出すこと。そして、馬車で王都を離れ、まだ見ぬ郊外へ向かうこと――そのすべてが、ミリアの心を弾ませていた。
待ち合わせ場所は、王都中央部を司る大門。レイドが迎えに来るのだから、一分だって遅れるわけにはいかない。
「よし、可愛い! とっても!!」
姿見の前でくるりと回ると、柔らかな真紅のオフショルダーニットの裾が躍り、サイドで結んだ金髪がふわリと揺れた。
お気に入りのチェック柄のショートパンツに、防寒と動きやすさを兼ね備えた黒のタイツ、そして歩きやすいブラウンのブーツ。つま先までバッチリだ!
気合十分の私服姿に我ながら大満足していると、身支度を手伝ってくれたメイドたちが、遠くから微笑ましそうにクスクスと笑っているのが見えた。
ミリアは急に恥ずかしくなり、真っ赤な顔で私室を飛び出した。
◇◆◇
週末の間、一度王城へと帰還していたミリアは、ある「想定」のもとで最終訓練を終えていた。
次の学園外学習という名目のイベントで、お父様は間違いなく私に試練をぶつけてくる。
そうなれば、襲撃者役の最有力候補は、危機管理能力に長けた元・ミリアの護衛であり、《七銀聖》の一角であるミカエル・ヘンブルムだろう。少々鼻につく奴だが、腕は確かだし、ミリアにとっても素性の知れた安心感ある数少ない一人だ。
「……なんて、真面目なこと考えちゃったな」
ガタゴトと揺れる馬車の窓外には、週末を迎えて活気に満ちた王都の市場や、港に集まる人々が流れていく。
ミリアは、ふぁあ、と小さくあくびを漏らした。
馬車の広い客車には、ミリアが一人だけ。
遠足前夜の子供のようにワクワクしてしまい、昨夜はあまり眠れなかったのだ。午前中だというのに昼下がりを思わせる柔らかな陽光を見つめながら、ミリアはこれから向かう「レイド邸」の様子をあれこれと妄想していた。
今日の馬車は、王族御用達の豪華なものではなく、市井に馴染むごく一般的なものだ。
御者を務めるのも、身分を隠した信頼できる近衛騎士団の一人。
ミリアを見送るまでの警護は万全であり、安心安全の道中だった。
◇◆◇
「ありがとう…………ございました!」
御者の役目を終えた護衛の騎士に手を振り、感謝を告げて馬車を降りる。すると、背後から凛とした、けれどどこか楽しげな鈴を転がすような声が掛けられた。
「あ、ミリアさん。お待ちしてました」
小さな足音。
可愛らしいベージュのサンダルが見えた。
振り返ったミリアは、思わずゴクリと息を呑んだ。
王都の門前に佇む私服姿のシオンは、同性であるミリアすら思わずうっとりと見惚れてしまうほど、完成された美しさを放っていた。
彼女がそこに立っているだけで、行き交う人々の視線が自然と集まり、周囲の雑踏さえも凛々しい空気へと塗り替えられていくような錯覚すら覚える。
王城での引きこもり生活の反動か、流行のファッションに人一倍憧れが強かったミリアは、以前からシオンに様々な着こなしやら流行の教えをねだってきた。
だが、今日のシオンはミリアの想像を遥かに超えていた。
ふわりと空気を孕む白いパフスリーブのブラウスが、彼女の上品な胸元を愛らしく引き立てている。
しかし、その甘やかな装いとは対照的に、胸元からウエストにかけては、ベルト代わりの控えめなコルセットが美しく身体のラインをきゅっと締め上げていた。
それは令嬢としての気品を保ちつつも、どこか錬金術師としての矜持を漂わせる、ささやかな「鎧」のようでもある…………と思う。
そして深く艶やかなロイヤルブルーのスカートは、彼女が歩を進めるたびに金糸の刺繍が光を弾き、裾のフリルが幻想的な陰影を描いていた。
私はシオンが大好きだ。
優しいし、賢くて綺麗で、それでいていつも私のお手本だった。
もしフレアさんがいなかったら。
レイドさんはきっとシオンを選んだだろう、誰もシオンには敵わない。
そんな風にさえ思わされる佇まいだった。
ミリアがあまりにも熱烈な視線を送っていたせいか、シオンは悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、そんなに見つめられると、ちょっと照れちゃいますよ、ミリアさん。私の服装、そんなに気に入っていただけましたか?」
「あ、ううん! さすがシオン、どこかの国の大女優さんかと思っちゃったよ、あはは」
細い指を顎に当てコクリとシオンが頭を傾けると、どこか大人びた仕草でミリアに一歩近づいてくる。
「ミリアさんこそ、ずいぶんと乙女チックで攻めた装いですね。……フフ、じゃあ。お目当てはレイドさんの褒め言葉ですか?」
「ち、違うしっ!」
図星を突かれて声を裏返したミリアの瞳を、シオンは少し妖艶に細めた瞳で覗き込んできた。
「――私は、そうですけど?」
「へ……っ!?」
あまりにストレートな言葉に、ミリアは思わず表情を硬直させ、冷や汗が流れるのを感じた。
フレアさんに聞かれたらどうするつもり…………
固まる私を見たシオンは、子供がいたずらに成功したときのような、無邪気で幸せそうな笑顔を弾けさせる。
その愛くるしい様子に思わず胸がドキドキと鳴る。
「冗談ですよ、ミリアさん。そんなに怯えないでください!」
「もう! シオンってば、意地悪なんだから!」
互いを見つめる。
シオンの瞳に映る私は、未だ未完成だ。
それでも。
私らしい姿を、
少しずつ取り戻せている気がした。
◇◆◇
「待たせてごめんね。
二人とも、待った?」
思わず近くの建物の屋根を見る。
「ッ!?」
不意に、上から掛けられた低い声に振り返ると、そこには誰もいない。
「令嬢たち相手に時間ぴったりは失礼だった?」
今度はシオンが後ろを振り返る。
不自然に用意された馬車の上から、声が掛かった気がしたのだ。
視線を少し戻すと、二人の間にレイドさんが立っていた。
「──────ッ」
いつの間にか突然現れたその様子に、シオンが一瞬驚いて目を見開く。
頭の中に混乱の文字が雪崩れのように溢れる。
彼の格好は、まるで「今さっき思い立って玄関から出てきた」かのような、極めてラフな軽装だった。鞄一つ持っていないけれど、不思議と文句をつける気にはなれない。
無駄のない引き締まったシルエットに、風に揺れる柔らかな布地、そして淡い光を反射する端正な白い肌。
派手さのない飾らない軽装なのに、レイド・クラウンという男が纏うと、まるで高名な画家が描いた肖像画のように洗練されて見えてしまう。
ミリアは、先ほどの高揚感も忘れて、相変わらずその浮世離れした美しさに呆然と魅入ってしまった。
レイドは腰に手を当てて二人の様子を眺めると、納得したようにポンと手を叩いて微笑んだ。
「随分と気合を入れて洒落込んでいるようだけど……もしかしてデート気分だったの?」
「なっ、ち、違いますっ!」
「あはは、冗談だよ。悪いね。……ただ、ちょうどよかったかも?今日は君たちに会わせたい、ちょっと『訳ありのお客さん』が来ているんだ」
「お客さん……? へ?──────あッ!」
フレアさんの───パーティメンバーを紹介してもらえるのだ。
「さあ、行こうか。準備はいい?」
「はい! もちろんです!」
ミリアが元気よく返事をすると、シオンが誇らしげに一歩前に出た。
「移動には、私が用意した馬車を使いましょう!レイドさん。御者不要で走る、私の自信作です!
……少しばかり検証不足で、まだ改良の余地もある、“試作品”ですけど」
シオンの言葉に、レイドは肩をすくめて苦笑した。
「だってさ、ミリア。事故るのが楽しみだね?」
「っ!?」
「レイドさん…………」
◇◆◇
衛兵たちが目を光らせるゲートを通り抜ける時はさすがに緊張したけれど、一歩外へ出てしまえば、そんな不安もどこかへ吹き飛んでしまった。
街の門を越えたその先には、広大な草原と、未知の空気を孕んだ深い森が広がっている。
城壁の内側で育ったミリアにとって、この荒々しい大自然は、まさに絵本で読んだ冒険そのものだった。
初めての外出に、彼女の心は抑えきれない高揚感で満たされていた。
ふと振り返ると、石造の堅牢な王都の門がそびえ立っていた。
かつて要塞として機能していたというその外壁には、数々の歴史的な戦火の傷跡が刻まれている。
しかし今では、その傷を覆い隠すように青々とした植物が侵食し、静かに生い茂っていた。
それは、今ここにある平和が、多くの先人たちの流した血と儚い歴史の積み重ねによって作られた、奇跡のようなものであると告げているようだった。
美しい、と一言で片付けるにはあまりに重い光景。
けれど、風に揺れる木々のざわめきや、キラキラと輝く澄んだ川のせせらぎの中に、私は確かに、当時の人々の祈るような声を聞いた気がした。
馬車の窓から顔を出すと、ひんやりとした心地よい風が、ミリアの心に絡みつくように吹き抜けていく。
杞憂だった。
内心でホッと胸を撫で下ろし、初夏の匂いを含んだ空気に思考を委ねる。
「こうして気軽に外出できるのも、
きっと“誰かさん”がメアリー学園長に圧力をかけてくださったおかげですね!!」
シオンが楽しげな小さな声を漏らす。
レイドさんが無言でゆっくり視線をシオンに向けると、その吐息がかかるほどの距離感にシオンの頬が一瞬紅潮する。
「…………す、すみません////」
ミリアは、隣の席でいつものように糸目を細めているレイドを見様見真似して、開いた窓の縁に慣れない手つきで頬杖をついてみた。
何かわかる気がしたのだ。
窓の向こう、あれだけ息苦しく虚無の日々を過ごしてきた巨大な王城が、遠く、驚くほどちっぽけに見えた。




