道化の王
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追跡者
高度な追跡術と鑑識能力を武器に、対象の護衛・奪還・捕縛などを目的とした専門職。少々特殊な職であり、国家の保全を裏側から支える、最高機密職の一つ。
◆◇◆
世界を塗り潰すような激しい豪雨が、王国院の堅牢な窓を無慈悲に叩いていた。
その暴力的な轟音だけが支配する冷え切った廊下を、一陣の疾風が駆け抜ける。
《七銀聖》レヴェルト・レオンハルト。
冒険者Lv.11《追跡者》
王族の嫡子でありながら、権威主義の亡者たちからしか依頼を受けず、護衛から賞金首の討伐までを完璧にこなす孤高の男。
群れることを嫌う彼を、周囲の冒険者たちは畏怖を込めて《神狼》、あるいは《人狼》とあだ名で呼び、遠巻きに距離を置いていた。(レヴェルト本人は二つ名やあだ名を嫌っているため)
何かを察知し、独断で王国院に潜入していたレヴェルトは、今、場違いな王国院の制服を身に纏っている。だが、重力さえ置き去りにするその速度と、亡霊のように足音ひとつ立てない歩法は、制服ごときで隠せるものではなかった。
「…………異常だ」
彼の野生の肌を刺すのは、確かな殺気ではない。完全なる『無』だ。
──静かすぎる。奴らはどこへ消えた…………?
本来なら鳴り響いているはずの警報も、衛兵たちの怒号も、ある瞬間を境にぷつりと途絶えた。静寂の中、窓を叩く雨音だけが、まるで死刑宣告のカウントダウンのように重く響いている。
その際パチッ……と、レヴェルトの耳元で盗聴器が音を立てた。
『ベル姉さん!! こちらから侵入可! 歪曲した空間が……回復しています!』
『了解、……全部隊配置につけ!! 第一部隊突入開始!! 目にモノを見せてやれ!!』
外で待機していた騎士団の突入命令。どうやら、無能な騎士団たちがようやく外壁を突破したらしい。
だが、時間は残されていない。
レヴェルトは最奥に位置する『重要保管室』の前で、火花を散らすように急停止した。その刹那、彼の狩猟本能がかつてないほどの警鐘を鳴らす。
初めから、計算の合わない違和感だけが冷たく足元にまとわりついていた。
――“名前を使われた”。それは事の大小に関わらず、あの《ナポレオン》という災厄が、己の象徴を無様に掠め取られて沈黙を守る道理がない。
なのに、この王国院の警戒網はやけに静かで、あまりにも手薄すぎた。牙を隠した怪物の前で、あまりにも聖域は間抜けて裸。
国営ギルド長のエイリーン・ディが、一刻の猶予も許さぬ様子で自分に緊急の潜入を依頼した理由。その裏に隠された致命的な破滅の予兆を、レヴェルトは今、骨の髄まで理解し直した。
──────いたか。
闇と静寂が融解したような空間で、その男だけが奇妙に発光しているかのように見えた。
身に纏うのは、汚れ一つない純白のスーツ。顔面には、芸術的なまでに妖艶なヴェネツィアンマスク。
ソレ──《ナポレオン》は、まるで馴染みのカフェの扉でも開けるかのような気安い所作で、重要保管室のノブにそっと手を掛けていた。
「──────お手なみ拝見だな」
レヴェルトは思考よりも早く、音速の壁を食い破って間合いを潰した。
問答無用。慈悲無用。この存在は、この世界に生かしておいてはならない致命的な『災厄』だ。
愛剣が銀色の閃光となり、極大の軌跡を描く。ドアノブへ伸びるナポレオンの腕を、空間ごと両断せんと一閃した。
──────ザシュッ
静寂を切り裂く、鮮烈な肉の断裂音。
半身で致命症を躱したナポレオンだったが、
………右の小指が、綺麗な放物線を描いて宙を舞い、冷たい床へと転がった。
純白のスーツに鮮血が飛び散り、一瞬にして禍々しい赤の花を咲かせる。
──────?
手応えを感じつつも、レヴェルトの背筋を極寒の戦慄が駆け上がった。
悲鳴がない。
呼吸の乱れすら、微塵もない。
ナポレオンは、まるで道端に落としたハンカチでも拾い上げるかのように、極めて優雅な所作で屈み込むと、床に転がる自らの小指を無造作に拾い上げた。
そして、ヴェネツィアンマスクの奥から、感情の一切が欠落した機械的な視線をレヴェルトへと向けた。
痛みという概念か感情そのものが、この男の構造から抜け落ちているように思う。
ナポレオンは、血の滴る右手をそのままに、無傷の左手で懐から───
一丁のピストルを華麗に抜いた。
「ッ!?」
レヴェルトが即座に追撃の刃を繰り出す。
ナポレオンは手にしたピストルの銃身をナイフのように操り、襲い来る鋭い剣戟を、最小限の動きで――まるで軽やかな舞踏のステップを踏むように――全て受け流していく。
そして訪れる、一瞬の静寂。
──────パンッ!
乾いた破裂音が、雨音を鋭く切り裂いた。
直後、レヴェルトの脳髄を焼き切るような激痛が走る。
自身の左手――その掌が、正確無比な射撃によって木端微塵に弾け飛んでいた。
「グッ……!」
レヴェルトが咄嗟に距離を取る。
ナポレオンは、血塗れの己の小指をポケットにしまいまるですべてが予定通りの演目であったかのように、大人の余裕を漂わせて恭しく一礼してみせた。
「初めましてってか?」
『……………?』
「お前が話題の《道化の皇帝》、か。
100億Gの懸賞金に見合う随分と豪華な登場だな」
レヴェルトの瞳に、狼のような、泥臭い殺気がギラギラと宿る様子は殺意と好奇心に満ちていた。
だが、ナポレオンの無機質なマスクの口元が、フッ、と彼を嘲笑うように不気味に歪んだ。
言葉は発せられない。
しかし、その佇まいそのものが、底知れぬ知性と絶対的な支配者の风格を雄弁に物語っていた。
「……《追跡剣》に斬られた時点で、貴様に逃げ場はない。逃げたいなら好きにしろ」
レヴェルトが低く唸るような声を上げた、その瞬間だった。
ナポレオンが、パチンと小気味よい音を立てて指を鳴らす。
直後、レヴェルトの視界を完全に奪うほどの濃密な白煙が、爆発的に膨れ上がった。
「ッ!?──────クソ……!」
レヴェルトが暴風のごとき剣風で白煙を強引に切り裂いたとき、白煙の向こうで、ナポレオンがちょうど保管室の扉を開け、その中へと変形してスルスル滑り込んでいく後ろ姿が見えた。
「待て。簡単には逃がさねぇよ?道化師ごときが」
まとわりつく煙を剣の一振りでまとめて振り払い、宿敵を追ってレヴェルトは乱暴に扉を蹴って開け放つ。
「な──────ッ」
時間にして、一秒にも満たない。
だが、開け放たれた部屋の向こうには、ただぽっかりとした虚無だけが残されていた。
ナポレオンの姿はない。
それどころか、先ほど彼を斬りつけた際に床や壁に飛び散ったはずの赤黒い血痕さえも、まるで最初から存在しなかった幻であるかのように、綺麗さっぱり消滅していたのだ。
部屋の中だけではない。
つい先刻まで、廊下を狂ったバレエで侵食していた真紅や白黒の道化師たちも、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく姿を消していた。
落ち着け。まずは状況を正確に把握するのが先だが。
強引に思考を組み替える。
どんな極限状態であれ、即座に冷静さを取り戻し、視界のすべてを精査する切り替えの早さ──それこそが、《追跡者》たるレヴェルトの最大の武器であり、染み付いた習性だった。
……………だが、
廊下の窓から外を確認し、下の正門ゲートへ視線を走らせた瞬間、彼の超常的な観察眼が、その瞳が震えた。
「──────ッ、」
大破し、ペシャンコに潰れた高級車が詰め込まれていたはずの正門ゲート。
内側からドミノのように爆砕された、高さ十メートルを超える大円柱。
その残骸が美しく、静寂を守っている。
「───チッ。
密室トリックか…………
奇術師らしく洒落たことするじゃねぇか、」
思わず、レヴェルトの双眸が限界まで見開かれた。
五感が、記憶が、世界そのものがぐにゃりと歪む。激しい泥濘の夢の中を彷徨っているかのような、強烈な現実感の喪失。
足元が安定していないようなふらつきと眩暈がレヴェルトを奇襲する。
まるでここには自分一人しかおらず、全てが嘘だったような。
剣はどうだろうか、鮮血は確認できた。
ただ、刀身に写るモノが視界に入ると、
それに気づき、レヴェルトは思わず後退る。
白煙の影響か?いや、
「ッ…………」
気配どころかひと目見てわかる大きな証拠は少なからず一つとして残ってない。
これから探さなくては。
華やかなサーカスが、一瞬にして終幕を迎えるように。
「──────そんな馬鹿な───だが」
圧倒的な静けさと共に、悪夢は去った。
「………………ッ……………」
観客が席について歓声を上げるよりも前に、道化の王は、自ら仕掛けた劇場の余韻だけを残して、さっさと退場してしまったのだった。
透き通った血に濡れ、鏡のように美しい鋭利な剣先に写っていたのは、コチラを覗き返す
───自分の酷く歪んだ奇妙な笑顔だった。




