ウサギ肉
「じゃあ、私たちは先にお昼食べちゃおっか」
諦めたように小さく笑うと、フレアが向かい合わせの席へとミリアを促した。
席に着くや否や、フレアは身に纏っていた上品な黒の外套をスルリと滑らかに脱ぎ下ろし、艶やかな髪を細い指先で耳にかけた。
その一連の動作があまりにも洗練されていて、ミリアは思わず息を呑む。
───そして、ある『巨大な事実』に目を見張った。
人目を憚ることなく自然にアピールされたその肢体は、まさに神の悪戯としか思えない造形美を誇っていた。
着痩せするタイプなのだろうか。
タイトな衣服に包まれたフレアの胸元は、視界のすべてを暴力的に支配するほどに、豊満で、圧倒的だった。同い年とは到底思えない大人の色香。傷一つない彫刻のような白い肌に、黄金比を描く異次元のプロポーション。
まるで飾られた絵画から抜け出してきた貴婦人と、お食事をしているみたい。
現実味のない美しさにうっとりとし、ふわりと鼻腔をくすぐる、柑橘類と甘い花を混ぜたようなほのかな香水の匂いに酔いしれていると、不意に、透き通った声がミリアを現実へと引き戻した。
「ミリアちゃん、何にする? はい、メニューだよ」
「あ、は、はいっ!」
ゴクリと唾を飲み込み、手渡された薄型の板状魔道具を受け取る。見るのはこれで何度目か。
それは、シオンが開発途中の試作品魔道具の一つ――《中型共鳴板》だった。
◆◇◆
共鳴板
古代の通信遺物である《共鳴板》を着想源に、現代の魔導技術で再現した情報端末。
登録情報を瞬時に画面へ映し出す機能など含め従来の《魔導石》よりはるかに利便性が高い。その反面高価なため貴族や富裕層の間のみで普及し始めている。
◆◇◆
液晶画面を指先で滑らかに滑らせ、メニューをスクロールしていく。
やがてミリアの指が、見慣れた文字の上でピタリと止まった。
それは、彼女がこの地にやってきてから、護衛の者たちと共に好んで食べ続けているステーキだった。
……これ、美味しかったなぁ。フレアさんにもお勧めしてみようかな
「おすすめ」と言いそうになるのを、ミリアはすんでのところで堪えた。一般的な女子生徒は今日が初めての利用のはず。彼女からすれば、あまりに不自然なセリフだからだ。
ミリアは共鳴板をフレアに向けて、控えめに指し示した。
「もしよかったら、フレアさんも“これ”食べてみませんか?」
「ええっ!? ――《魔物のステーキ》ぃ!?」
フレアの美しい顔が、驚愕に丸くなる。
「……い、嫌、ですか……?」
「あ、ううん、嫌ってわけじゃないんだけど……せっかくの学園生活なのに…………?」
フレアはうーんと首を傾げ、顎にピンと人差し指を当てて考え込んでしまった。
魔物の肉。
冒険者であれば、討伐したその場で焼いて食べるなど珍しくもないはずだが、やはり一般的には敬遠される食材なのだろうか。ミリアは慌てて言葉を添える。
「学園のカフェテリアですし、一流のシェフが調理しているみたいなので、味は保証しますよ……?」
「うーん……そうだなぁ。試してみようかな。実は私、魔物の肉ってそんなに得意じゃないんだよね。種類にもよると思うんだけど……」
メニューに表示されているのは、【Lv.1 《角兎》のグリルステーキ】
写真に写る肉塊には、まるで兜の装飾のような鋭いツノが、野生の荒々しさを証明するように添えられている。どう見ても一般家庭の食卓に並ぶビジュアルではないのだ。
「だって、昔食べた《豚巨人》とか《魔物狼》の肉は、もう……腐肉を噛んでるみたいに酷い味だったんだもん」
「お、オーク……ですか……」
物騒極まりない固有名詞に、箱入り娘のミリアは上手い相槌が返せず、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
居心地の悪さに、そっとメニューの画面をフレアに戻すと、彼女はパチパチと瞬きをして、楽しげに声を弾ませた。
「あ、でもこれ、ツノウサギじゃん! ――レイドくんの“大好物”だよ、これ」
「えっ!? そうなんですか!?」
「うん。これがあると目の色変えて喜ぶの。シチューだと尚いい感じなんだけどね。意外と可愛いところあるでしょ?」
「可愛、───え?」
◇◆◇
やがて、上品な純白の制服を纏ったムキムキの《ゴーレム》の給仕の手によって、料理が運ばれてきた。
ドーム状の銀カバーが外された瞬間、肉汁の爆発的な香りと、ハーブが混ざり合った調味料の香ばしい匂いが一気にテーブルを包み込む。
ずっしりとした大皿に美しく盛り付けられた肉は、格式高い宮廷料理そのものの佇まいだった。
「わぁ! まるで高級なフルコースみたいだね、ミリアちゃん。手慣れた様子で待ってるから、びっくりしちゃった」
「へ!? あ……ええと、そうですね……?」
ミリアは冷や汗が背中を伝うのを感じた。
学園での偽装生活が始まってからというもの、彼女はどうにも「庶民としての振る舞い」にドジが多い。
自分が一国の王女ではなく、ただの一生徒であることを意識しているつもりだったが、給仕される際の完璧なテーブルマナーや過剰な礼節が、すっかり身体に染み付いてしまっていたのだ。
フレアが、美しい琥珀色の瞳を少しだけ細め、ジト目でミリアを見つめてくる。
「───ふーん。
ねぇ、ミリアちゃん。
やっぱりもしかして……どこかの国の王女様だったりする?」
「あ、う……」
心臓がドキンと跳ねた。
完全に、核心を突かれている。
シオンが気を利かせて黙っていてくれているだけで、鋭いフレアさんの目をごまかすことなど、最初から不可能だったのだ。
誤魔化すように、ミリアは目の前の“肉塊”に視線を落とした。
───
一般のウサギ肉とは比較にならないほど、分厚く、巨大なステーキ。
これまでの訓練の一環として、栄養価の高いこの肉を完食することがミリアの日課だった。しかし、上品に見えて、その実態は恐ろしく濃厚なただの魔物肉だ。
「い、いただきます……!」
ミリアはナイフとフォークをなるべくガサツに動かそうと試みながら、切り分けた肉片を一口、口へと運んだ。
「――うーん? あんまり美味しくない……というか、
──────かなり“少なめ”だね?」
「ぐぅっ!?」
その瞬間、咀嚼した肉から、野生の荒々しい脂っこさと、ガツンと濃いスパイスの肉汁が口内へ溢れ出した。
え、美味しいですよね??
気取って上品に飲み込もうとしたのが仇となった。予想を遥かに超えるヘビーな脂に喉が拒絶反応を起こし、ミリアは思わず吹き出しそうになって両手で口を押さえた。
「ケホッ! ――ゲホッ、ゴホッ……!」
涙目でテーブルの上の水を一気に喉へと流し込む。激しくむせるミリアの背中を、U字型に反対側まで繋がったソファからそそくさと移動してきたフレアさんが目を丸くしながら、大慌てで優しくさすってくれる。
「キャッ、ミリアちゃん大丈夫!? 冗談言ってる場合じゃなかったね、ごめんね!」
「け、ケホッ……だ、大丈夫です……ちょっと、油断、しました……」
誰が想像しただろうか、
身を隠す王女と最強の冒険者のやり取りは温かだった。
真っ赤な顔で笑いを堪え、涙を拭うミリア。
その微笑ましい光景の向こう側で、窓に映る不穏な雨雲に隙間が開き、少しずつ、しかし確実に指された陽光と暖かな希望が徐々に集まり始めていた。




