共犯者
仄かに木の香りが漂う青い書斎。
サティ先生の困惑した表情を、オレは冷ややかに見つめていた。
シオンがあらかじめ予告していた通り、サティの口から引き出せた「新情報」など、オレが長期遠征帰りという点を差し引いても、わざわざ呼び出すほどのものではなかった。
「安心していいよ、サティ先生。高嶺の公爵令嬢が、裏社会の絶対強者を敵に回してスリルを楽しんでいるだけさ。
どうせすぐに音を上げて、“探偵ごっこ”にも終止符を打つはずだ──あるいは、冷たい骸となって港に浮かぶ姿が見つかるか、ね」
オレ自身、今のところ《ナポレオン》という名の犯罪者にはさほど興味は湧かなかった。
だが、隣に座るシオンの、獲物を狙うような鋭い目つきは微塵も揺るがない。盛大な皮肉にも微動だにせず、シオンの瞳はサティを射抜いていた。
「私にいい考えがあります。」
オレが見るからに楽しげなシオンの表情を、少し退屈に見上げる。
「───私たちでナポレオンを捕まえましょう!」
「またそれ?」
オレの退屈そうな声音に、サティ先生がギョッとしたように目を見開く。常人には露ほども浮かばないであろう無謀な思考。シオンは椅子の距離をさらに詰め、蠱惑的な笑みを深めた。
「まぁ、どちらにせよ。サティ先生? 貴女は私ともっと仲良くしておいた方が身のためだと思いますよ?」
高揚を隠しきれないシオンと、完全に気圧されているサティ先生。そのやり取りを横目に、俺は所作を崩さずに席を立った。
「ちょっとお手洗いに席を外すよ」
「あれ、我慢してたんですか?体に悪いですよ、レイドさん」
その言葉とは裏腹に、シオンの白く滑らかな手が、逃がさないとばかりに俺の二の腕をがっしりと掴む。
その指先が、服越しに『流石に飽きましたか?』と小さな圧を刻んできた。優しく首を振ってそれを否定する。
「すぐに戻るよ。新しい話はシオンから聞いておくから、構わないよね? サティ先生」
「え?……あ、ああ、構わんが……」
サティ先生は、シオンの異様な距離の近さに視線を泳がせ、不可解そうに眉をひそめた。
「それにしても──お前たち、随分と距離が近くないか?」
部屋の扉を開ける瞬間、背後からシオンの、いかにも恥ずかしげに装った嘘くさい声が聞こえてきた。
「私は……ほら、わざとですから……////」
「そ、そうか」
◇◆◇
「──────ちょっと、遅い」
廊下の影、アイアンの格子窓から差し込む青白い月光のなかに、その少女はいた。
壁に背を預けたまま、彼女は洒落たガラス窓を爪先でコンコンと、リズムよく叩く。
トイレに席を立ったのは完全に嘘。オレは厚いカーペットを踏みしめる足音を殺し、ゆっくりと顔を向けた。
ヒヤリとした風が廊下を吹き抜け、少女の長い髪を撫でるように揺らす。
なぜ生徒がこの教師寮にいるのか。その理由を肌で察しながら、俺は口元を緩めた。
「…………」
「…………」
細められた糸目と、深い瞳が交差する。
近づくにつれ、闇のなかに少女の容姿が鮮明に浮かび上がった。
傷ひとつない、透き通るような白い肌。
紫がかった紺の冷たそうな艶髪。
その華奢な体躯からは想像もつかないほどの、冷徹さ。
彼女の眼差しには、俺に対する確かな『信頼』と『諦念』が混ざり合っていた。息を呑むほど美しい、隠された共犯の姿。
「お待たせ。調べはついた?」
「はい、これ」
少し不機嫌そうに小言を漏らしながら、吊り目の彼女は小さな紙切れをオレの手のひらに滑り込ませてきた。魔術の“鍵”が施されたその文字は、レイド・クラウンの今後の布石となる機密情報だ。思わず口角が上がる。
「はぁ……あれが、噂のシオン・ラインハルトね。やけに熱烈に懐かれているじゃない」
「やけに不機嫌だね。───彼女が何かした?
ああ、もしかして、君が今回“最優”を取り損ねて二位に甘んじたからじゃない?」
「はぁ……貴方、いろんな子にそんな不誠実な態度を取っているんじゃないでしょうね。いつか刺されるわよ」
「ミリアやシオンのこと? それは困るな」
オレは紙切れを見ることなくポケットへ滑り込ませた。密会の時間は、短ければ短いほどいい。
「助かった。もう行っていいよ」
視線を外し、踵を返そうとすると、服の袖を小さく引かれた。関係を明かしたくはない、すぐに離れるべきだが…………
「待って」
「なに?」
「本当に人使いが荒いんだから。──ちゃんと、この借りは返しなさいよ」
「はいはい、分かってるって“ふぃーふぃー”」
「それにしても、ここ、随分と古いのね。足元が冷えるわ」
「旧王城の構造をそのまま使っているからね。階段、暗いから気をつけて。じゃあ、また教室で“りょくちゃ”と“エルちゃん”によろしく」
少女は振り返ることもなく、“A寮”の緑の刺繍が施された制服の裾を翻して闇の向こうへと去っていった。
◇◆◇
オレが青の書斎に戻ったとき、部屋の空気は「ナポレオン」の脅威についての説明で凍てついていた。
今週中に必ず王国の重要拠点を襲撃すること。目的は金銭ではなく、組織始まって以来の「力の誇示」であること。周辺の犯罪組織を根絶やしにするほどの苛烈な先手であること──
サティ先生は、冷や汗をにじませながらシオンに語っていた。
「──現在の王都中央部は、危険すぎる。学園生には要人級の貴族も多い。安全を考慮しての闘技場変更だが……」
「なるほどね。でも、その重要イベントをわざわざ人目を憚るような場所でやるなんて、どうにも『裏の意図』を感じざるを得ないな」
「!」
気配もなく戻ってきた俺の声に、サティ先生の肩がびくりと跳ねる。
俺は両手を軽く持ち上げ、不敵な笑みを浮かべながら、そのパズルの最後のピースをひっくり返した。
「──ナポレオンの襲撃予告は、最初から『なかった』わざわざそんな噂を流した真の目的は…………
そうだね、“ミリアの試練”──ってまぁそんなところかな?」
サティ先生は大きく息を呑み、観念したように深く相槌を打った。
「……その通りだ。まさか、お前にそこまで見抜かれるとは思わなかった、、だが──このことは永久に内密に頼む。皇帝陛下がナポレオンの悪名を利用したなどと報道に知られれば、王国の威信は失墜する」
公的な学園への過干渉、そして犯罪組織の政治利用。表沙汰になれば大問題だ。内容自体は、皇帝が我が子のために仕組んだ身内の試練に過ぎないというのに、その隠蔽工作の方がかえって誤解を生みやすく遥かにきな臭い。
「陛下は何をお考えになっているのでしょう」
シオンの問いに、サティ先生は苦悶の表情を浮かべた。
「さあな……それはメアリー学園長にも共有されていない。だが、ミリア・レオンハルトには、国を揺るがすほどの“大きな秘密”があるのかもしれない」
「…………」
「秘密……ですか」
「お前たち、協力してくれるか?」
サティ先生の、言葉にできない「探ってくれ」という必死の眼差しが、俺たちを捉える。
シオンが「仕方ありませんね」と嬉しそうに胸を張る横で、オレはポケットの紙切れを指先でなぞりながら、少しだけ時間を置いて、…………二人の期待の眼差しを感じ、諦めと共に静かに承諾する。
サティが安心するようにホッと息をついた。




