サティの私室
サティ先生の後に続いて辿り着いたのは、シオンも初めて足を踏み入れる教師寮だった。
学生寮の華やかさとは異なり、ロビーはこぢんまりとしていて、どこか懐かしい仄かな木の香りが漂っている。
アイアン製の古びたランタンが壁に長い影を落とす中、私たちは細い階段を上っていった。
二階の廊下を進んで行くと、サティ先生が一番手前にある部屋の前で足を止める。
ダークオークであしらわれた、深く暗い床と天井。まるで秘密の隠れ家に忍び込むような高揚感に、シオンの胸は小さく弾んだ。
サティ先生が慣れた手つきで、古風な鍵を静かに開ける。
その様子を横目に、レイドは油断のない目で周囲を見回し、廊下の壁をコンコンと指先で叩いていた。
「……ここだ。入れ」
「失礼しま──……っ!」
一歩足を踏み入れた瞬間、シオンは感嘆の息を漏らした。
そこは、「幻想的な青」が主役を務める、息を呑むほどに美しい秘密の書斎だった。
決して広くはない室内の中央に、見たこともない鮮やかな青い花を咲かせた、歪んだ巨木が丸ごと一本飾られている。その存在が、部屋全体に現実離れした神秘的な雰囲気を醸し出していた。
ゴシック・バロック調の高い天井には美しいアーチが描き出され、ステンドグラスから漏れる色彩の光が、精巧な木彫りの壁やゴールドの装飾を妖しく浮かび上がらせている。
壁一面を埋め尽くすクラシックな本棚。手前には重厚なロイヤルブルーのベロアソファと、ガラス天板のローテーブルが配置され、知的で贅沢な空間を演出していた。
歴史、魔法、学問の息吹が濃厚に満ちた、美しくミステリアスな世界観。シオンはそのロマンチックな光景に、深く心を奪われていた。
「この本棚の中身は、すべて先生の所有物なのですか?」
「すべてではない。私のものは1割ほどだ。もともとここは旧王城の、メイドや給仕の脱出口として使われていた、言わば“裏口”だ」
「なるほど……。つまり、この古い蔵書のほとんどは──『料理本』ですか?」
「っ、よく分かったな、シオン・ラインハルト。メアリー……学園長から聞いていたのか?」
「いえいえ、単純な推理ですよ」
シオンが意味深に微笑む横で、レイドが勝手に本棚から一冊の古書を引き抜いた。パラパラとページをめくる音が、静かな部屋に響く。音ひとつない静謐な部屋で、やけに目立つ行為だ。
「半分正解、ってところかな。魔導書もかなり混ざってる。それも、今の王国法に抵触するような危ない内容がどっさりとね」
「それなら、当時は調理や食料保存の魔術を専門的に扱う職業もあったのでしょう。となると、歴史的な未知の発見には……あまり期待できませんね」
「いや、もう一つ分かる。サティ先生がこの学園の『金庫番』だってことだ。部屋が階段のすぐ手前にあるってことは、元々は旧王城の倉庫だった場所を大改装して私室にあてがった。……違う?」
「な……っ」
不意を突かれたサティ先生の顔に、明らかな動揺が走る。瞳が揺れ、無意識に一歩後ずさる。シオンはすぐにその思考を追随した。舐めるような目つきで後ろから至近距離、サティ先生の顔を覗き込む。
「そうですね、恐らくサティ先生は“表向き”司書か倉庫管理者でもあるのでしょう。しかし実際の裏の顔は学園の機密の守護者───と、まぁそんなところでしょうか?」
「メアリー・クリプスの大出世にも、何か裏がありそうだね」
「ええ。学園長は若すぎますから。この部屋を隅々まで調べれば、何か怪しげな証拠が見つかるかもしれませんね……フフ」
冷や汗を流して硬直するサティ先生を尻目に、二人の生徒は楽しげに思考のラリーを続ける。
「ねえシオン、倉庫が2階にあることに違和感はない? 各階に倉庫があるなら、この階段をさらに下った地下にも、同じような空間があるはずだ」
「確かに……。しかし、当時のメイドたちが通る場所であった上、ただの風通しの良い地下空間となると、大した収穫は期待できませんよ?」
「逆だよ。そのメイドたちにこそ『秘密』があるかもしれない。オレたちが先に見つけて、回収してあげないと可哀想だからね」
「! なるほど、フフ。それは名案ですね、こんな重要な場所に私たちを易々と案内してくれる、心優しいサティ先生が大事なものを見落としてたら大変です」
「待ってくれ!!
それ以上は……悪いが、お前たちを侮っていた」
サティ先生が、観念したように口を挟んでくる。ガックリと肩を落とし、見るからに緊張していた。
「今更遅いよ、先生。俺はもともと旧王城の地下を探索する予定だったし、いずれこのルートも勝手に使わせてもらう」
「てっきり、私はサティ先生が私たちを試しているのかと思っていましたが?」
「……違う。私の一存ではない。メアリーが、ここへ二人を案内しろと……」
その時、部屋の奥にあるツルツルに磨かれた古い木の扉が、ガタリと静かに開いた。
「地下にもこの部屋にも、貴重品は何もないわよ」
「!───学園長、」
「言ったでしょう? サティちゃん。貴女じゃあ、その二人に上手くあしらわれるだけだって」
不敵な笑みを浮かべて姿を現したのは、学園長メアリーだった。
今日彼女が纏っているのは、いつもより少し凛々しいデザインのフォーマルなドレススーツ。
格式高いその服装が、彼女の持つ支配者としてのキリッとした美しさを際立たせていた。
サティ先生が押し黙る中、レイドが歓迎するように、軽やかなステップでメアリーへと近づく。
「今日はいつも以上にお美しいですね、学園長。これからどちらかへお出かけですか?」
「そう? ありがと。──ちょっと、厄介な“招待状”が届いてしまってね。急遽、王城会議の召集よ。私はこの後すぐに出発しなきゃいけないから……あとのことはすべて、貴方たちに任せたわ」
メアリーはレイドの顎を指先で軽く掬い上げるようにして、妖艶に微笑んだ。
「──というわけで、頼んだわよ。私のお気に入りの、レイド・クラウン」
「専属の道化師になるつもりはないんだけど?」
「ふふ。サティちゃんは好きに使ってちょうだい。王城勤務時代からの、私の自慢の後輩なの。割と頭も回るし、魔術の腕に関しては文句なしの天稟。きっと、良い『助手』ぐらいにはなってくれる筈よ」
「へぇ……」
レイドが肩の力を抜き、細い目をさらに細める。
シオンが面白そうにその様子を横目で見つめると、サティ先生は屈辱に震えるようにキュッと唇を噛みしめた。
◇◆◇
嵐のような言葉を残し、メアリーはさっさと部屋を後にした。パタン、と扉が閉まる。
静まり返った青い書斎。
レイドがゆっくりと振り返り、獲物を見定めるような笑みを浮かべた。
「だってさ。……どうする、サティ先生?」
「……な、何を──」
次の瞬間、レイドは音もなく距離を詰めると、サティ先生の手首を掴み、そのまま壁際へと強く押し付けた。
背中の本棚がガタッと揺れる。
突如として至近距離に迫ったレイドの圧倒的な質量と、射抜くような視線。
「魔術適正、実験動物…………役に立ちそうですね」
横から獲物を横取りするようにシオンが割って入ってくる。
サティ・アントワープは大きく目を見開き、反論の言葉すら忘れて、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。




