20話 箱庭の少女
窓から差し込む朝日は、女子生徒たちの髪を透かし、宝石のようにキラキラと反射させている。
耳をくすぐるのは、弾んだ笑い声や無邪気な話し声。
そこが王城のような「完璧に管理された静寂」ではなく、誰もが研究や挑戦、そして恋すらも自由に謳歌できる「生きた場所」であることを物語っていた。
ミリアは自分の席で、溜まっていた息をそっと吐き出す。
緊張で強張っていた肩の力が、ほんの少しだけ解けていく。
……初授業は、本当にS寮との合同なのかな
私、ちゃんとやっていけるかな……
周囲を見渡しても、まだS寮生の姿は見当たらない。だからといって安心できるわけでもなかった。
ミリアの頭の中は、今ある一人の少年のことで支配されていたからだ。
「───レイドさん、なんで私の名前、知ってたんだろう」
机に顔を伏せる。
自分は王城の奥深くで育てられた、世間知らずの「お人形」。
そんな自分の名前を、あの正体不明で、底の知れない糸目の少年が知っているはずなんてないのに。
「うーん……」
考えれば考えるほど、レイド・クラウンという存在が、霧のように脳内に広がっていく。
ふと顔を上げると、周囲のA寮の女子たちは、まだどこか余所余所しい。
貴族社会特有の「見えない壁」が、新しい教室の空気をも、わずかに引き締めていた。
今日のミリアは、気合を入れてツインテールにしている。
可愛く見せたいなんて大それた理由じゃない。ただ、この格式張った重苦しい空気が、少しでも軽くなればいいなと思ったのだ。
……まあ、レイドに褒めてもらえるかも───と、下心が隠れているのは、自分だけの秘密だけれど。
「みんな、おはよ〜っ!!」
その時、硝子細工のような繊細な静寂は、たった一人の少女によって鮮やかに打ち砕かれた。
ピンク色のロングヘアをなびかせ、教室の扉を蹴り飛ばさんばかりの勢いで現れたのは──フレア・ウィンドマンだ。
やっぱり、本当にS寮と合同なんだ……!
身構えるミリアをよそに、フレアは一直線にこちらへ駆けてくる。
「ねぇねぇ! その髪飾り、すっごく可愛い! どこで買ったの?」
弾けるような声が、教室の空気を震わせる。
「え、わ、私……っ!?」
「そう、あなた! 似合ってるよ!」
「えっ、あ、ありがとうございます……。これ、は大聖堂の近くにある小さな雑貨屋さんで……」
「へぇー! センスいいね、今度案内してよ!」
フレアは屈託のない笑顔で、ミリアのパーソナルスペースに飛び込んできた。
「えーと、ミリアちゃんだよね?」
「えっ、どうして私の名前を……」
「シオンちゃんから聞いたんだよ! 昨日のオリエンテーションで可愛い子がいたからさ〜!」
フレアの放つ太陽のような明るさは、貴族の作法という名の鎖を、瞬く間に焼き切っていった。
彼女の周りだけ、重力の法則が違うみたいだ。
「S寮の天才」というレッテルに怯えていた周囲の女子たちも、気がつけば彼女のペースに巻き込まれ、教室に本物の「女の子の会話」が花開いていく。
すごい……魔法みたい
王城での会話は、すべてが計算された外交であり、笑顔の裏には常に思惑が潜んでいた。
けれど、ここにはそれがない。
純粋な好奇心と、相手を知りたいという好意。その温かな渦に、ミリアの心も溶かされていく。
けれど、ふと気づいてしまった。
「あ、そっか……。
シオンちゃんが、教えたから……」
レイドが自分の名前を知っていたのも、きっとシオンから聞いたからだ。
彼が私自身に興味を持ってくれたわけじゃなかったんだ、と気づいた瞬間、胸の奥が少しだけチクリと痛んだ。
その時だった。
『──だからさ、“旧王城が遺跡”なら、地下にお宝が眠っててもおかしくないでしょ?』
『ふふ、そんな理由でギルド学園に入学されたんですか? 相変わらずですね』
『あはは、悪い?』
『レイドさんは、私が思っていたよりずっと“お馬鹿さん”だったんですね。……ふふ、安心しました』
楽しげに談笑しながら教室に入ってきたのは、レイドと──シオンだった。
……すごい。
シオンちゃん、もうあんなに仲良くなってる
完璧な美貌、余裕のある立ち振る舞い。
自分にないものをすべて持っている彼女への羨望が、ミリアの胸を締め付ける。
私に残っているのは、この根拠のない明るさくらい。
……ううん、悲観しちゃダメ。私らしく行かなきゃ!
ミリアは自分を鼓舞するように頬を両手で叩くと、勇気を振り絞って席を立った。
レイドに、ちゃんと挨拶をするために。
◇◆◇
「……あの、レイドさん!」
声をかけようとした瞬間、彼の美しい横顔がこちらを向いた。
至近距離で合う視線に、ドクン、と心臓が跳ねる。
「……なに、これ欲しいの?」
「へっ……?」
話題を探す間もなく、彼が不敵に微笑んだ。
私が怖くなって目線を下げたから?
彼に、勘違いされてしまったのかも。
彼が首に巻いていたソレを、するりと解いて
──────ミリアの首にかけた。
「えっ!?」と、周囲のシオンやフレアさんから小さく声が上がった。
それは──S寮生だけが身につけることを許される、“真紅”のマフラー。
…………柔らかい、
「あげるよ。少し肌寒いし役に立つよ」
「えっ、いいんですか……!? 私、A寮の……その、ビリなんですけど」
思わず口をついた自虐に、レイドは可笑しそうに吹き出した。
「気にするのそこ? 形から入って外見を整えれば、実力も後からついてくるんじゃない?それに──」
彼はミリアの首元を見て、いたずらっぽく呟いた。
「意外と似合ってるよ。
これで今日から友達だよね?ミリア」
「っ!?」
下の名前を、わざとらしく低い声で呼ばれる。
心臓がうるさくて、顔が火が出るほど熱い。
彼はひらひらと手を振って、ミリアを揶揄した。
目立った背徳感を感じて、ミリアは首元のマフラーをぎゅっと握りしめる。
上質なウールの感触に、彼自身の体温が残っていた。
ほんの一瞬だけ、自分が憧れのS寮生に近づけたような、そんな不思議な高揚感に包まれる。
「あはは! 最下位なのに、赤いマフラー巻いてる変なヤツの完成だね」
レイドのからかうような笑い声に、ミリアは真っ赤になって膨れた。
「もうっ! な、なんなんですかもう──っ!」
怒りながらも、ミリアの口角は、自分でも気づかないうちに緩んでいた。




