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14話 令嬢の秘密

───それは、午後の柔らかな陽光に包まれて静かに輝き、古びた石の表面を這う蔦の花が淡い金色に染まっていた。


 

十の角を持つ尖塔が空に向かって鋭く伸び、古き時代を感じさせる荘厳な佇まいはどこかノスタルジックな雰囲気を与える。


頂上の魔女の帽子を思わせる不気味なトンガリ屋根が光と影のコントラストを美しく刻み、不気味さと優雅さを同時に湛えていた。

 

そんなバロック調にして奇妙な姿から、尖塔は《十角塔》と呼ばれるようになったのだ。

 


◇◆◇


 

───十角塔、入り口


洒落たアイアンの装飾が薔薇のように絡みつく重厚な木造扉の前で、氷のような髪を持つ美しい少女は立ち止まった。


「ここは学園の心臓部、最も秘密の多い聖域です」

 

「本来、学生の身分では足を踏み入れることは許されませんが……私に与えられた《マスターキー》があれば、この学園に閉ざされた扉はありません」

 

新入生という肩書きを軽々と飛び越え、すでに学園の支配権の一部を掌握しているその姿は、傲慢というよりは、恋焦がれる者の「覚悟」のように見えた。

オレは彼女に指先を絡められたまま、塔内に漂う冷たく湿った空気を肺に送り込む。

 

「そのどこでも使える真新しいカード、いつもシオンが持ってるの?」

 

オレが暢気な声で尋ねると、彼女はIDカードをスロットに滑り込ませた。

 

「ええ。全エリアの閲覧権限アクセスレベルを持っています。……これでも、ラインハルトの名の重みは理解しているつもりですから」

 

「さすが貴族主義、あるいは血統主義の権化だね。それだけ特権があるなら、この学園のどこかで、とんでもない秘密を育てていても不思議じゃない。……もしかして、シオンがその首謀者かな?」

 

冗談めかして言った瞬間、オレの手に重なっていた彼女の指が嬉しそうにピクピクと小さく震えた。


重い駆動音と共に、尖塔の先へと続く禁忌の門がゆっくりと口を開く。シオンは最上階へと続く石の螺旋階段を見つめたまま、乾いた笑みを漏らした。

 

「ええ、隠していますよ。王国法への抵触どころか、露見すれば即座に私の首が跳ぶレベルの……とっておきの秘密ミステリーをね」

 

「へぇ。こんな誰も入れない奈落に連れ込んで、一体何を始めようってわけ?」

 

シオンがこちらへ振り向いた。その額には微かに真珠のような汗が浮かび、唇は微かに震えている。緊張と、そして言葉にし難い高揚。

 

「……レイドさん、貴方は推理がお好きでしょう?」


 

 

◇◆◇



 

上へと螺旋状の階段を進むにつれ、空気の温度は不思議にも数度下がっていった。


石窓の隙間から漏れるステンドグラス越しの淡い陽光が階下へ二人の長い影を落とす。

その情景は、息をのむほど幻想的で、一度見たら心に深く刻まれ、見る者はいつか再び訪れたくなるような、そんな静かな魅力を湛えていた。

 

彼女の声が、密談を交わす共犯者のように低く、熱を帯びて響く。

 

「私と秘密の取引をしてください、レイドさん」

 

「取引? オレとシオンの仲で、随分と世知辛いことを言うね」

 

「個人的な……そう、友人同士の口約束で構いません。……実を言えば、私がこの学園を選んだ真の目的は、ある『存在』を追うためなんです」

 


彼女が足を止めた瞬間、


 

────コツリと足音が止み、静寂が広がった。


 

薄暗い通路の、奇妙な形をしたアンティークランプが彼女の耳や首筋を照らす。

彼女の翠の瞳は、まるで霧の中の幻を覗き込むように鋭く、酷く恐怖に怯えていた。

 

「その者の名は、仮に




 ナポレオン――歴史上の英雄の名を冠した者。


 ──────表と裏を完璧に操り、騎士団の剣を踊るように掻い潜り、あらゆる密談を盗み聞き、表社会の物流すらすべてその掌中でコントロールする者…………


……知略で事件を演出し、誰も追いつけない影の領域に潜む、神出鬼没。


 

そう、────この世のバグのような存在です」


シオンの言葉が、冷たい壁に反響する。彼女の語る「ナポレオン」の輪郭は、あまりに鮮明で、あまりに歪だった。


「…………ナポレオン、?」

 

──────優雅な笑みの裏で国家を嘲笑う

 …………『狂った知能犯』


 

──────扉を跨げば声色も、体格も、魂の色彩すら別人へと変え、証拠という概念を嘲笑う

 …………『足跡なき幽霊』


 

──────圧倒的な人心掌握術で権力者を飼い慣らし、挙句には事実そのものを書き換えてしまう

 …………『プロパガンダの魔術師』

 」

 

彼女は一息に捲し立てると、自身の肩を抱くようにして小さく身震いした。

 

「某探偵小説のモリアーティ教授すら生温い。裏社会の深淵に巣食いながら、表の世界で自由に太陽の光を浴びている……正真正銘の悪の天才。


……ナポレオンを敵に回せば、最悪、街一つが一夜にして地図から消えます。安易に口に出していい名ではありません」

 

オレは他人事のように、おどけた調子で口笛を吹く。

ヒュー、と口笛が回廊に響き渡る様子は、まるで幽霊でも通ったかのような不気味な印象を与えた。

 

「でもさ、オレもフレアもそれなりに世界中を飛び回っているけど、そんな大層な噂は一度も耳にしたことがないな。

……シオンの空想ファンタジーじゃない?」


そう言えば、シオンは笑って当然のように答えた。

 

「いえ、ナポレオンは実在します。……確実に、この国の心臓にまで根を張っている」

 

「なら尚更だよ。そんな奴に首を突っ込むのは賢明じゃない。


可憐な令嬢は、大人しくドレスの裾でも気にしているのが一番だ」


その時シオンは歯を食いしばったのかギリっと音を立てオレを睨め付け、手を、痛いほど強く握りしめた。

 

彼女の瞳に宿る、静かな、しかし烈火のような覚悟。高嶺の花と謳われる公爵令嬢が、裏社会の絶対強者を敵に回すと決めた――その決断の重みが、震える声から零れ落ちる。


「レイドさん……私は、その正体を暴きたい。

白日の下に引き摺り出し、奴が壊した秩序を正したいんです。


……そのためには、貴方の『知性』が必要なんです。


…………協力、して頂けませんか?」


煽り文句の次は、退屈な相槌を打つことにした。

背伸びした探偵は怪物に魅入られ、いつか獲物になるかもしれない。

現実を見ていない彼女に、その危うさはまだ自覚されていなかった。


「オレは“君ほど”賢くはないかもしれないよ」

 

「…………、


近々、王国内でナポレオンによる『大規模な襲撃』が始まります。……どうか、私に力を貸してくれませんか?」


オレは静かに、長く息を吐いた。


「……面白い噂だね、それは」


「……でしょう?」

 

ただ、オレは観客席にいるような軽薄さを持って応える。

 

「冗談だよ、退屈だ。

 ポップコーンでも持ってくればよかったよ」


その一言に、シオンの髪先がぴくりと震える。

拳を握りしめ、抗議するように口を開くが───

 

「それに、教えてあげよう。オレは別に、世界を救うような英雄じゃない。利己的で、最も不幸な存在。

 

───オレは愚かな道化師、ただの狡猾な嘘つきだ」


「ええ。存じています。……だからこそ、貴方を『対等』なパートナーとしてお誘いしているのです。……貴方がその道化の仮面マスクの裏側に隠している、真の能力を見越して」







 

──────断る、と言ったら?







 

シオンはもう一度、オレの手をつねるように強く握り直した。その掌は、驚くほど汗ばんでいた。

研究塔の中階、小窓から吹き込んだ風が音もなく二人の衣装を靡かせる。

 

「まぁ事が起きたとしても、君が期待するような協力はできないよ。ただ、オレにできるのは───




 

───君が真実を知るための、“手伝い”をするだけ」



 

 

その言葉で、シオンは力を緩め、不敵に微笑んだ。

彼女の笑みは、難解なパズルのピースを見つけた探偵のようでもあり、同時に、未知の恐怖に魅入られた中毒者のようでもあった。

 

「…………さぁ、行きましょうレイドさん。


拒否権はありませんよ?

ここは貴方が、誰よりも興味を抱く場所のはずですから」


石の窓から差し込む夕陽に照らされ、二人の足音が、重く、深く、石畳に染み込んでいく。

シオンが語った「ナポレオンの襲撃」。

誰も知らないそんな奇妙な計画を、一体誰が、どんな「喜劇」として演出しようとしているのか。


「レイドさんの秘密も、暴かないとですね」

 

「お断りするよ。秘密はオレの魅力の一つだからね」

 


オレは彼女の手を握り返し、ゆっくりと歩き出した。夕陽が沈み、石造りの回り階段に長い影が伸びる。二人のコツコツという足音が静かに響き、光の届かない闇へと飲みこまれ、消失していく。

 

この瞬間、オレの胸に、シオンとの新たな出会いに奇妙な愛着が芽生え始めた。


 

──────この世界の『謎』が、

 ようやく面白おかしく踊り出した気がした。

 

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