12話 公爵家
公爵令嬢の歩幅が、無垢で暖かな日常という薄氷を、優雅な音を立ててパリパリと踏み砕く。
孤独な嘘が剥がれ落ち、隠された真実が少しずつ明るみになっていくように──────
学園の石畳を、桜の木漏れ日が白く細かく照らしている。
寮棟へ続く中庭の外回廊。春風が通り抜けるたび、深緑のブレザーに差し色の入った真新しい制服が、軽やかに揺れた。
レイドは、隣を歩く美しい令嬢の言葉に、わざとらしくポンっと手を打って見せた。
「ああ、そういえば学園長もそんなことを言っていたね」
「フフ、そうです。今日は約束通り、学園の設備紹介をさせていただこうと思いまして。……実は私、何度か研究で敷地内へ通っていたことがあるので、一般の生徒より少しだけ詳しいんです。学園探検に、お付き合いいただけませんか?」
並んで歩く二人の距離は、初対面の男女にしては明らかに近すぎる。
シオンは胸の前で両手を合わせ、わずかに上目遣いでレイドを見つめた。その仕草は年齢相応の可憐な少女そのものだったが、深い藍玉の瞳の奥には、確かな野望を持った支配欲が渦巻いている。
『私の誘いを、まさか断ったりしませんよね?』という、有無を言わせぬ絶対者の圧力。
「探検ねぇ、いいよ? 退屈してたし」
レイドは糸目をすっと細め、喉の奥で愉しげに笑う。
「それに、公爵家の娘からのデートを断るほど、オレは野暮じゃないしね」
「デ、デート……っ!?」
シオンの頬が一瞬にして朱に染まった。
完璧な令嬢の仮面が剥がれ、年相応の動揺が露わになる。だが、彼女はただの初心な少女ではない。一瞬の空白の後、小さくコホンと咳払いをして、強引に体勢を立て直した。
「ええ、ええ! そうとも言いますね! さあ、行きましょうレイドさん!」
背後に回ったシオンが、細い両手でレイドの背中をぐいぐいと押す。そのまま彼女は優雅に、しかし逃げ場を塞ぐような確かな握力でレイドの袖口を掴み、エスコートするように歩き出した。
「……なんか距離、近くない?」
「ふふ、気のせいですよ。……絶対に、逃がしませんからね?」
◇◆◇
その一部始終を、回廊の太い柱の陰から覗き見ている者がいた。
太陽の落とし子のような、鮮やかなピンク色のロングヘア。レイドの同格にして恋人、フレア・ウィンドマンである。
「な、な、な……っ!?」
フレアの大きな瞳が、限界まで見開かれた。
「距離、近くない!? 手、繋ごうとしてない!? ていうか今『デート』って言った!? 言ったよね!? 確実に言ったよねぇぇぇ!?」
フレアの脳内で、活火山が大噴火を起こした。
プッチーン! という擬音が聞こえそうなほど、彼女の頭は沸騰している。
許さないからねー シオンちゃん! あの『か弱い小動物ですぅ~』みたいな顔して、やってることは完全に肉食獣じゃない! フレアちゃん、ばっちり見ちゃったからねー! 今すぐ突撃して、レイドくんをあの泥棒猫の爪から奪還するんだからー!!
嫉妬の炎を燃やし、暴走機関車のような勢いで飛び出そうとした、その時だった。
──────スッ。
虚空から音もなく伸びてきた青白く小さな手が、フレアの襟首を弱々しく、しかし正確に掴んで引き止めた。
「ッ!?」
その瞬間、フレアの全身から「嫉妬に狂う少女」の空気が消え失せ、極寒の恐怖が膨れ上がった。七銀聖たる彼女の、研ぎ澄まされた索敵能力。それすらも完全にすり抜けて、背後を取られたのだ。
即座にフレアが猫のような反射神経で振り返る。
「──────《錬金術師》シオン・ラインハルト。年齢16歳にして王国最優秀賞を連続で受賞する、世界最高峰の学術者っす」
「えっ!? ぐぇっ!? だ、誰!?」
目線の矛先にいたのは、気の抜けるような小柄な少女だった。
互いの鼻先が触れ合うほどの距離。そこに「存在」しているのに、まるで風景のバグのように脳が認識を拒否する、異様な影の薄さ。
寝癖のついたボサボサの水色の前髪に、すべてを見透かすような、それでいてひどく眠たげな半眼。口元は長いマフラーでぐるぐると隠され、片足だけ猫柄のニーハイを履いている。A寮の制服をだらしなく着崩したその少女は、幽霊のようにふらふらとそこに立っていた。
「……はじめましてっす、フレアさん。うちはルル・マッドレイン。一応、A寮生っす」
淡々とした、感情の起伏がごっそり抜け落ちたような声。
A寮生といえば、学力も魔力も礼儀も極められたエリートの集まりのはずだ。だが、ルルが纏う空気は「徹底した計算高い観察眼」というよりは「やる気のない脱力感やめんどくささ」だけで構成されていた。
「ル、ルルちゃん? ……び、びっくりしたぁ。って、どうして止めるの!? このままだとレイドくんが、あざといシオンちゃんの術中にハマって浮気しちゃう! 既成事実作られちゃうよぉ!」
再びコミカルなパニック状態に戻り、ジタバタと暴れるフレア。だが、ルルは冷めた半眼のまま微動だにしない。
「無駄っすよ。今飛び出しても、ただの『ヤキモチ焼きのうるさい女』として処理されて、レイドさんからの好感度が下がるだけっす。向こうはただの散歩気分なんですから、それでいいんすか?」
「うっ……!」
ルルの身も蓋もない正論が、鋭利なナイフのようにフレアの急所を抉った。
「……嫌だ。レイドくんに『うるさいな』って、あの冷たい目で見られたら……フレアちゃん、絶対に立ち直れない……ッ」
一瞬でしゅんと肩を落とすフレア。そのわかりやすい反応を見て、ルルはやれやれとマフラー越しに小さく息を吐いた。
「冒険者であるレイド・クラウンとあの女の接触。……初対面にしては、距離感と力学がバグってる気がするっす、ね。やっぱ浮気かも」
「え、本当にそうなのッ!?」
「それはわからないっす。だから、まずは証拠を集めるっす。彼らがただならぬ関係なのか、それともレイドさんが一方的に観察対象として連れ回されているだけなのか、見極める必要があるっす」
「え、でもルルちゃん、協力してくれるの? 初対面なのに?」
フレアが首を傾げると、ルルは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「……うちは、日頃の仕返しに、あの女の弱みを握りたいだけっす。利害が一致しただけっすから、馴れ合うつもりはないっすよ」
「なるほどぉ? 確かに?」
そう言いながら、ルルは制服の懐から、どこに隠していたのか探偵風のハンチング帽とパイプ(中身はチョコレート菓子)を取り出し、素早く装備した。
「名付けて、『革命的、浮気調査……大作戦!! ……オペレーション・ストーカー』っす!!」
……ちょっと変わった子だけど、言ってることは正しいかも!
「な、なるほど……! さすがルルちゃん! 天才だね! よーし、私も本気出すよ! 隠密スキルはないけど、七銀聖の気合で気配消すから! なんか楽しくなってきたかも!?」
「……前途多難っすね(この人と組んで大丈夫っすかね……)」
こうして、ルルは呆れつつもどこからか取り出した小型の魔導カメラを構え、フレアは鼻息を荒くして物陰に張り付くという、絶妙に噛み合わない即席追跡チームが結成されたのだった。
◇◆◇
並木道を抜けた先、学園の本校舎正面広場。
そこは、数百年を誇る伝統的なゴシック建築と、最先端の魔導AI技術が融合した、この学園の異質さを象徴する空間だった。
「レイドさん! 見てください! 更新されたランキングが張り出されていますよ!」
シオンが嬉しそうに指差す先。苔むした巨大な石壁の前に、空中に投影された巨大なホログラムが浮かび上がっていた。✧《巨大電子掲示板》✧だ。
青白く発光する無数の文字が、雲の陰に沈みゆく石造りの校舎を妖しく照らし出し、そこだけが近未来都市のように冷たく無機質な輝きを放っている。
「これ、魔導AI技術を活用していて、模擬訓練や定期試験だけでなく、測定された個々の最新記録をリアルタイムで自動更新するシステムなんです! ちなみに、この複雑な魔術式とシステムの構築は……全部、私が行いました!」
シオンは「ふんふんっ」と鼻息を荒くし、意外にも豊かな胸を張って自慢する。
レイドを見上げるその表情は、「すごいでしょ? もっと褒めてください」という自己顕示欲に満ち溢れていた。
「へぇ。シオンは優秀だね。こんな便利なおもちゃまで作れるなんて」
レイドは掲示板の透けた画面を、カチカチと指先で軽く叩く。
「お、おもちゃじゃありませんよ!? これは学園の秩序を可視化する崇高な発明です! ……もう、レイドさんったら、扱いが雑ですね」
シオンは頬を膨らませて抗議するが、その口元は抑えきれない悦びで緩みきっていた。
掲示板には、学年順位が冷徹に、残酷なまでの正確さで表示されていた。チカチカとした光が、少しばかり目に眩しい。
──────◆◇◆
《全寮》総合最上位ランキング (入試点数/1000点)
✧ステラ寮)《最優秀》 レイド・クラウン 1000点
魔術適正A+/魔導錬金SSS/魔法生物B/戦闘訓練SSS+(測定不能)
✧ステラ寮)《準優》カイザー・F・ヘンブルム 988点
魔術適正SSS+/魔導錬金S/魔法生物S/戦闘訓練SSS+(測定不能)
✧アニムス寮)《A寮・最優》 シオン・ラインハルト 980点
魔術適正SS+/魔導錬金SSS+/魔法生物SS+/戦闘訓練A+(Lv.4)
✧ステラ寮)レヴェルト・レオンハルト 976点
✧ステラ寮)ローズ・ベルト 970点
✧アニムス寮)クロウ・クロード 969点
✧ステラ寮)フレア・ウィンドマン 950点
──1学年、以上 最上位7名──
──────◆◇◆
「A寮じゃダントツじゃん。シオンの錬金術はSSS+って、次優のカイザーより評価が高いじゃないか。…………ええと、Sがたくさんあって、凄いね?」
「フフ。当然です。私の専門分野で負けるわけにはいきません。錬金術において、この学園、いやこの国で私の右に出る者はいません!」
シオンは自信満々に微笑んだ。
その瞬間、彼女の表情から「甘える少女」の顔が完全に消え去り、冷徹な「天才錬金術師」としての矜持が浮かび上がった。
青白いホログラムの光に透けるシオンの横顔は、人間というよりは精緻に作られた人形のように冷たく、恐ろしいほどの美しさだった。
「…………っ」
少し離れた木陰からその光景を覗いていたフレアは、ゴクリと冷たい唾を飲み込んだ。
「シオンちゃん……すごい……あんな複雑な魔術式組めるなんて……」
フレアの背中を、先ほどまでのコミカルな嫉妬とは全く異なる、重く冷たい感情が撫で下ろしていく。
「顔も可愛くて、頭も良くて、スタイルも良くて……なにより、彼女には『知性』がある。私には絶対に持てない、レイドくんと対等に渡り合える武器が……」
それは、暴力では決して埋められない圧倒的な「差」だった。自分にはない高潔な知性という暴力を見せつけられ、フレアの心に仄暗い焦燥感が広がる。
「あれ? 私、もしかして……本当にピンチ?」
「フレアさん。弱気になってる場合じゃないっす。……敵は強大っすよ。心してかかるっす」
ルルは葉巻やパイプのような形のお菓子をポリポリと齧りながら、魔導具なのだろうか?、カメラのシャッターを冷静に切り続けている。
パシャリ、パシャリと響く無機質なシャッター音が、シオンという「完璧な侵入者」の脅威を、フレアの脳裏に深く刻み込んでいた。
……写真?
なんの意味があるのだろうか。




