第5話 願いごとを使うとき
今年も、わたしの瞳の色と同じスミレの花が野に咲いた。
人間の国で迎える七度目の春。
月の明るい夜だった。
「お母さま、おうた歌って!」
もうすぐ五歳になる愛娘・エイラにねだられて、わたしは小人の国に伝わる古い子守歌を口ずさむ。
春といっても、まだ夜は冷える。わたしはエイラと同じ毛布に包まって、娘の小さな身体をそっと包み込む。
幼いといっても、エイラは小人の頃の自分よりももう大きい。
トントンと子守歌に合わせて背中を叩くと、ほどなくエイラはすこやかな寝息を立て始めた。
そっと父親譲りの黒髪を撫でる。そうしているうちに、わたしも今にも眠りに落ちそうになっていたとき——キィとドアが開く音で、わたしはハッと目を覚ました。
「すまない、起こしてしまった?」
「大丈夫よ、アラン。お務めはもう済んだの?」
「あぁ」
アランは、そっと眠るエイラの黒髪に口づけた。
疲れた顔。ガレスと三人でいた頃が嘘みたいに、アランは笑わなくなった。
わたしを妻にしたことを、アランは後悔しているんじゃないか?
小人の国の王家の血を絶やさないためにした、望まぬ結婚だったんじゃないか?
本当は心から笑い合える人と一緒にいたかったんじゃないか?
「フィオナ? どうかした?」
声にだけは穏やかでやさしかったあの頃のアランが滲むような気がする。
でも、どんな言葉より、もう一度あの笑顔を見たい。エイラに笑いかけてほしい。
そんなふうに思うのは、過ぎた願いかしら?
わたしは、努めて明るく答えた。
「なんでもないわ、アラン。おやすみなさい」
エイラと同じように、わたしの額にも落とされる口づけ。
アランは、今も昔もやさしい。
なのに、どうしてわたしはこんなに胸が痛いんだろう?
* * *
人間の国で熱病が流行り出したのは、その年の夏のことだった。
兄王を補佐するアランのお務めは、今まで以上に忙しくなった。
ときには病気が発生した村々を見て回るのに、家を空けることもあった。
アランが熱を出して倒れたのは、夏の終わりのことだった。
霧雨の中往診した医者が、無情にも告げた。
「熱病か、ただの熱かは分かりません。ただ、この高熱が続くようですと、今夜が峠かと……」
わたしは考えずにいられなかった。
ガレスがわたしに願いごとを使った気持ち。
アランがわたしを人間にして、この国に連れてきた気持ち。
二人の願いごとが勝手だって気持ちは、今だってあるけれど、大事な人を想う気持ちは痛いほど分かる。
そして、悟った。
わたしの願いごとを使うのは、今この時なのだと。
ギュッと目を閉じ、手を組んで祈った瞬間、わたしの意識は途切れた。
目を開けた瞬間、わたしの目に映ったのは、森の木立の緑だった。
髭もじゃの大男——父神さまは、木の匙で湯気が立ち上る大釜をかき回しながら尋ねた。
「これが三度目じゃな、娘よ。さて、お前さんは誰のために願う?」
わたしは、面食らっていた。真っ白な何もない世界に飛ぶと思っていたのに。
さざ波のような音で梢が揺れる中、わたしはたしかに告げた。
「夫のアランのために」
「ふむ、お前さんのこと、単に夫の命乞いではないのだろう?」
わたしは、こくりと頷いた。七年前に父神さまと話したときの記憶がよみがえってくる。
「あの時わたし、ガレスの願いもアランの願いも、自分勝手でわたしの気持ちなんて考えてないと思ったわ。願いごとには、正しいものと間違ったもの、善いものとそうじゃないものがあるって思ってた」
「たしかにお前さんは、本当にその人のためになるように、正しく願うと言っておった。真に夫のためとなる願いごととは何だ?」
そう問われて、わたしはわずかに顔を歪めた。
「……分からないわ」
「分からない?」
「ガレスとアランが願ってくれなかったら、今わたしはこの世にいなかったかもしれない。娘のエイラにも会えなかったかも。あの二人の願いが間違ってたなんて、今はとても言えないわ」
父神さまは椀にすくい入れた大麦粥の味見をして、小さく頷いてから、わたしに向き直った。
「それでも願いごとを決めたから、ここに来たのだろう? 正しいか否か分からずとも。聞こう、お前さんの願いを」
わたしは組んだ両手にギュッと力を込めた。
「お願いです、父神さま。七年前のアランの願いをなかったことにして」




