第4話 土族とどすこい
最近、祖父の家に行くたびに、胸の奥がざわつく。古い畳の匂いと、祖父が昔から使っている古い口癖「よっこらしょ」の響きが耳に残って離れないのだ。
父の書斎に置いてある《死語辞典》が、私の気配を察してまた勝手にページをめくった。パラパラと紙が擦れる音が、妙に生々しくて不吉極まりない。勝手に開いたページに、光る文字で新しい死語が浮かび上がる。
『どすこい』
『まったり』
『よっこらしょ』
ことはは思わず顔をしかめた。
「……今回、祖父の口癖ばっかりなんだけど」
呟いた瞬間、辞典が眩しく発光し、視界が真っ白に染まった。
◆
足元が不規則に、ゆっくりと揺れている。次に目を開けたとき、ことはは乾いた赤茶色の荒野に立っていた。見上げる空には、信じられないことに巨大な岩塊がふわりと浮いている。それどころか、ことはが一歩歩くたびに、足元の地面が生き物のように“もこっ”と盛り上がった。
「うわ……何これ。今回、地面が生きてるんだけど」
ことはが戸惑っていると、茶色の革鎧を着た土族の戦士たちが必死の形相で駆け寄ってきた。
「だめだ! 大地の精霊が完全に暴走している……!」
「大地の古代語を操る巫女がいない今、この国は崩壊して地中に沈むぞ……!」
悲鳴のような叫びを聞いて、ことはは声を張り上げる。
「ちょっと! 沈むのだけは本当に勘弁してほしいんだけど!」
その時、地響きとともに巨大な泥の塊――暴走した大地の精霊が、こちらを飲み込もうと迫ってきた。手元の辞典が強く輝く。ことはは腹をくくって、浮かび上がった最初の言葉を叫んだ。
「どすこい!!」
ドンッ!! とことはの足元を中心に、凄まじい衝撃波が大地を駆け抜けた。突っ込んできた暴走精霊が、その衝撃に耐えかねて一瞬、大きくひるむ。
土族の戦士たちが、目を丸くして叫んだ。
「ど、どすこい……だと……ッ!? 遥か神話の時代に失われた、大地の衝撃語……!」
「雷、風、水に続き、土族の古代語まで完全に使いこなしているだと……!」
戦士たちの畏怖の視線に、私は心の中で叫ぶ。
(いや、うちの祖父がテレビで相撲中継見ながら言ってるだけなんだけど!)
しかし、暴走精霊が再び泥の手を伸ばして暴れ始める。辞典が次の死語を浮かび上がらせた。もうどうにでもなれと思い叫ぶ。
「まったり!!」
ことはの言葉と同時に、あんなに激しかった地面の揺れが、嘘のようにすっと静まった。周囲の荒々しい空気が、まるで春の陽気のようにのどかに落ち着いていく。土族の戦士たちが一斉に息を呑んだ。
「大地の怒りを一瞬で鎮める、安定の古代語……!」
「広範囲の精神系土魔法を、呪文の詠唱もなしに……!」
(いや、祖父が縁側で昼寝するときに言ってるだけなんだってば!)
だが、精霊はさらに巨大化し、ことはたちの足場ごとすべてを呑み込もうと膨れ上がった。辞典が最終ページを開き、今までにない凄まじい光を放つ。祖父が立ち上がるときに必ず言う、あの言葉だ。
「よっこらしょ!!」
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
叫んだ瞬間、ことはたちの足元の地面が凄まじい勢いで競り上がり、迫る精霊を逆に押し返して圧潰させた。土族の長老が、震える声でその場に平伏する。
「天をも支え、大地を隆起させる失われし最上位魔法……! 間違いない、このお方は土族の巫女そのものじゃ……!」
私は天を仰いだ。
(いや、ただの祖父の口癖なんだってば……!)
しかし、土煙の奥から、山のような巨体を持つ最上位の精霊が姿を現した。国が潰れる。辞典の光が、私に最後の言葉を促した。
「どすこい・王式ーーー!!」
バリバリと地面が完全に割れ、衝撃波とともに天からドスコ=イ王が降臨した。
(王様の名前もやっぱりそのまんまじゃん!!!)
精霊王の強烈な突っ張りが炸裂し、暴走精霊を一撃のもとに塵へと変える。土族の全員が跪いて涙を流す中、辞典が帰還の光を放ち始めた。ことははいつもの調子で手を振った。
「じゃ、バイビー」
◆
眩しい光が視界を包み、次の瞬間、鼻をくすぐったのは古い畳と線香の匂いだった。気づけばことはは、祖父の家の縁側に立っていた。 祖父が、何事もなかったかのように湯呑みを置き、腰をさする。
「よっこらしょ……。お、ことは、まったりしとるか?」
私は手元の辞典を見つめながら、小さく苦笑した。
「……どすこいなんだけど」




