第3話 水族とそんなバナナ
最近、家の中が妙に静かだ。
雷族と風族を救ってから数日。ようやく日常に戻れたと思っていたのに、父の書斎に置いてある《死語辞典》が、また気まぐれにページをめくった。 紙が擦れる音が、妙に生々しい。
「……また来た。ほんとに心臓に悪いんだけど」
辞典に浮かび上がった新しい死語は――
《そんなバナナ》
《イタメシ》
ことはは思わず眉をひそめた。
「これ、母がよく言ってたやつじゃん……絶対また行くやつだよね……」
辞典が光り、視界が白く弾けた。
◆
足元が冷たい。気づくと、ことはは水面の上に立っていた。空気は湿っていて、服がじっとりと肌に張りつく。遠くでは、青い塔のような巨大な水柱が暴れていた。
「うわ……今回、環境キツいんだけど」
水族の戦士たちが慌てて走ってくる。
「水の古代語が使える巫女はもういない……!」
「このままでは国が沈む……!」
「沈むのはやめてほしいんだけど!?」
眼前に迫る水柱。手元の辞典が強く光る。
ことはは反射的に叫んだ。
「そんなバナナ!!」
叫んだ瞬間、足元に鮮やかな黄色の水膜が広がった。激しい水柱の勢いがツルンと滑って斜め後ろへと逸れ、地面に派手な水しぶきが上がる。
「そ、そんなバナナ……!? あらゆる攻撃を無力化して受け流す、水族の“滑りの禁呪”……!」
「雷族・風族に続き、水族の古代語まで……!」
「いや、ほんとに母が言ってただけなんだって……!」
自分で言ってて死ぬほど恥ずかしい。でも効果が絶大だから余計に困る。だが、ピンチは終わらない。水柱の中心から、今度は凶悪な姿をした巨大な水獣がヌッと姿を現した。
辞典が勝手にめくれ、次の死語を浮かび上がらせる。
「イタメシ!!」
ことはが叫ぶと、戦場に赤い熱風が広がり、なぜか濃厚なトマトとガーリックの香りが漂い始めた。あまりに美味そうな匂いに、水獣が激しくむせて動きを止める。
「いや、なんでイタメシで止まるの……? 意味わからん……」
「い、イタメシ……! 灼熱の太陽と、魔を退ける聖なる香草を用いて敵の五感を狂わせる、伝説の熱香封印術……!」
「この子は何者なのだ……?」
「いや、ほんとに……ただの実家の言葉なんだって……!」
さらに辞典が勝手にページをめくる。そこに書かれていた文字を見て、ことははヤケクソで叫んだ。
「ズッコケ!!」
水面がさらにツルツルに広がり、水獣が派手にバランスを崩して大転倒した。
「て、転倒の古代語まで……!」
「水族の巫女そのものではないか……!」
「いや、ほんとに……家の言葉なんだって……!」
その時、水柱の中心が割れ、山をも超える巨大な水の王が姿を現した。凄まじいプレッシャーの中、辞典が最終ページを開く。
「そんなバナナ・王式!!」
ことはが全力で叫ぶと、空が青く割れた。
天から降臨したのは、圧倒的な威厳を放つ水の王。
その名は――水王『ソンナ=バナナ』。
(やっぱり名前そのまんまじゃん!!!)ことはが心の中で猛烈にツッコむ中、水王ソンナ=バナナは腕を一振りし、暴走していた水柱を一撃で綺麗に鎮めた。
水族の全員が、その場に深く跪く。
「雷族、風族に続き、水族の王まで従えるとは……!」
「偉大なる古代語の巫女よ、どうか帰還の言葉を……!」
辞典が再び光り始める。ことはは少し笑って、手を振った。
「じゃ、バイビー」
光に包まれ、元の世界へ。
◆
自宅のリビングに戻っていた。湯気がふわっと立ち上り、部屋中にトマトや炒めたニンニクとオリーブオイルの香りが漂っている。何事もなかったかのように、母がキッチンで料理をしながら振り返った。
「おかえりことは〜。今日の夕飯、イタメシよ〜」
ことはは手元の辞典を見つめて、小さくため息をついた。
「……そんなバナナなんだけど」




