使い魔の門
「……霞って、白い靄みたいなアレですか?」
「ああ。目に見えずとも霞は常にあらゆる場所に存在している。それを集めれば――」
師匠が空中で何かを巻き取るように指を動かすと、そこに小さな雲のような白い靄が集まった。それをぱくりと口の中に放りこむ師匠に、わたしはしばしぼう然としてしまった。
だって、霞を食べるって。そんなの食べ物じゃないし、絶対にお腹も膨れない。
「無理です、無理。そんなものを食べるだけで、どうやって生きていけるって言うんですか」
「霞には自然のマナ……魔力のようなものがたっぷりと溶けている。魔法使いはそれを摂取するだけで生命活動が維持出来る生き物なのだ」
「でも、だって、わたしは普通にお腹が空きますし、これまでも普通の人と同じ食事をしていました」
「もちろん、魔法使いも人間と同じ食事をすることは出来る」
「それなら――」
「だが、霞以外のものを食べると、老化が促進されるのだ」
衝撃の事実。食事をすると、年を取るなんて。
「……それって、魔法使いが長生きなのは、霞を食べて生きているからってことですか?」
「そうなるな。不必要なものをとればとるだけ、老いは早まる。これからはベネも霞のみを食べるようにしなさい」
「そ、そんな……!」
そのとき感じたのは絶望に近い。食事は人間にとって必要不可欠で、生活に彩を与えるご褒美でもある。
わたしの人としての生活は、決して恵まれたものではなかったけれど、いつもより花が多めに売れた日には、ちょっと贅沢な屋台ものを買って帰ったり、美味しい甘味を奮発したりして自分を労ってきた。
じゅわっと口の中で溢れる肉汁は大好物だし、ぷりぷりのお魚、新鮮なお野菜、頬がとろける焼き菓子と、食べたいものはたくさんある。それを手放せだなんて!
ひどい拷問だと泣きたくなったけど、魔法使いとして生きるためにそれが必要だと言うのなら――。
「師匠。霞だけを食べていれば……」
顔を上げると、師匠はわたしを見ていた。
あの灰色の目で、わたしのすべてを見透かされている気がした。
「わたしも、師匠と同じ時を生きられるのですか?」
灰色の目が見開かれる。
師匠がこれまで何年生きてきて、これから何年生き続けるのかわからない。それがどれだけ途方もない時間なのか、想像もつかない。
わたしはそんなに長生きをしたいわけじゃないけれど、嫌だなと思ったのだ。
師匠が誰よりも長く生きてひとりぼっちになるのも、師匠の長すぎる人生の中で、わたしと過ごす時間がほんの一瞬でしかなくなるのも、どちらも嫌だった。
「……そうだ。魔法使いは、半永久的に生きられる」
半永久的。それはつまり、永遠ではないということ。
師匠以外の純粋な魔法使いが残っていないのは、みんな半永久的に生きることをやめたからですか?
その日から、わたしは人としての食事をすることをやめた。
よく見ていると、師匠は時々指を振り、霞を口に入れていた。同じタイミングでわたしもたどたどしく霞を集めて食べた。
食べてみると、霞は柔らかく、ほんのり甘味のようなものを口の中に残して一瞬で消える。食べた気はしないのだけれど、不思議と満たされるものがあった。
何より、師匠と同じものを口にしていることが、わたしの心を温かくさせた。
***
師匠が隠居をしてから三月が経った頃、変わった客が森の家を訪れた。
「……わぁ」
外に出て、見上げるほどのその大きさに、思わず口をあんぐり開けてしまうほど、巨大なカエルがそこにいた。
師匠が急に「何か来たな」と呟いたので外を確認してみれば、この茶色い巨大カエルがお利口に地面に座っていたのだ。
「こんなに大きなカエルが森にいたんですね」
「いや、これは使い魔だ」
「使い魔? このカエル、魔物なんですか⁉」
驚いていると、カエルは伏せの姿勢をとり、パカーッと大きく口を開いた。
食べられるのかと思って、慌てて師匠の陰に隠れると、カエルの口の中に魔法陣が浮かび上がり、そこからぬるっと人の姿が現れたので、思わず悲鳴を上げそうになる。
「み、見つけましたぞ……!」
「魔術師長⁉」
カエルから出てきたのは、魔塔から師匠を追い出した魔術師長だった。
彼の後ろから次々に魔術師が吐き出され、その中にルカとマノンの姿を見つけてちょっと嬉しくなる。どうしているか、時々ふたりを思い出していたから。
「大魔法使いアルティウォルス様! どうか魔塔にお戻りください!」
突然、魔術師長が地面に跪くと、他の魔術師も一斉に膝をつき、頭を地面にこすりつけるようにして土下座し始めた。
「い、いきなり何ですか⁉ あなたたちが師匠を追い出したくせに!」
びくびくしながらわたしが言うと、血走った目の魔術師長に睨まれる。
「ああ、そうだ! 私が間違っていた! 申し訳ありませんでした、大魔法使い様! どうか、どうか魔塔主として戻ってきていただけませぬか!」
「お願いします、魔塔主様!」
「戻ってきてください!」
必死に頭を下げる魔術師たちは、よく見るとみんな随分とやつれていた。頬はこけ、ローブもよれよれで、薄汚れている。
わたしたちは魔塔を去ってから、一体何があったのだろう。
「戻る気はない。私は隠居をした身だ」
わずらわしそうに言って、師匠は家の中に戻ろうとする。
魔術師長は「どうかお考え直しくだされ!」と涙を流す勢いで叫んだ。
「あなたが魔塔を去ってから、魔塔は魔塔でなくなってしまいました!」
「魔塔が魔塔でなくなった……?」




