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穏やか隠居生活

「ありませんね。普通の人間として生きてきましたので」


 師匠は深くため息をつくと外に出た。わたしもそれに続く。


 外は日差しが柔らかく、驚くほど濃い緑の香りに包まれた。家の外観は古いけど、しっかりとした作りに見える。

 ただ、思ったよりも小さい。魔塔と同じように、外観と内側の広さが釣り合っていないのだ。これもたぶん、師匠の魔法なのだろう。


 師匠は入口の扉を閉めると、そこに手を当てた。途端に青白く魔法陣が浮かび上がる。


「研究室の入口の魔法陣ですね?」

「ああ。これは魔法使いにしか開けないようになっている」

「そういう仕組みだったんですか? だから魔術師長はいつも外から叫ぶだけで、中に入ろうとしなかったんだ……」


 そこまで考え、はたと気づく。

 ということは、研究室の扉を開け閉め出来ていたわたしは、魔法使いだということになるの?


「そもそも、お前を迎えに行ったとき、盛大に魔法を使っていただろう?」

「え……ああっ! もしかして、あの育ち過ぎてとんでもないことになった花と緑は、魔法でああなったんですか⁉」

「逆に聞くが、魔法でなければ何だと思っていたんだ?」


 冷静に聞き返され、うぐっと言葉に詰まる。

 言われてみれば確かにそうなのだけれど、あのときは混乱していたし、まさか自分が魔法を使ったなんて思い至るはずもない。

 なぜならわたしは、ただの花売りだったのだから。ずっとずっと、ただ祖母と花を売って生活をしてきた。それだけの人生だったのだ。


「スラムの花売り姫の話をフィデリスから聞いたのは、半年ほど前のことだ。魔法使いに関係があるのかはわからず、とりあえず気にはしていたが、あの日たまたまあの街の魔導具店にいて、お前の魔力の膨張に気づいたのだ」

「その、花売り姫っていうの、もしかしてわたしのことですか……?」

「そうだ。花売り姫の売る花は、不思議なほどに長持ちすると評判だったそうだ」


 花が長持ちすると褒められることはあったけれど、そんな呼び方をされているとは知らなかった。

 何やら恥ずかしいけれど、そのおかげで師匠に見つけてもらえたのだ。呼び始めた人に感謝しなければ。


「ベネは緑の魔法と相性が良いようだな。魔法使いは生まれつき魔法が使えるが、相性の良し悪しはある。フィデリスは生まれた瞬間から突風を吹かせていたらしい」

「生まれた瞬間から⁉ それはお母様もさぞ驚かれたでしょうね……」


 でも、母親も魔法使いなら驚かないのかな。

 赤ん坊が火を吹いたとしても「あらあら、将来有望だわ」とか思うのかもしれない。


「師匠は何の魔法だったんですか?」


 わたしの問いかけに師匠は遠くを見るような目をしたあと「昔のこと過ぎて覚えていない」と言った。

 自分の得意な魔法を忘れてしまうくらい、長生きをしているということだろうか。途方もない時間を想像し、何とも言えない気持ちになる。


「師匠。わたしが魔法使いなら、わたしの母や祖母も魔法使いだったんでしょうか?」

「そうとは限らない。いま生まれている魔法使いは、大抵の場合先祖返りのようなものだ」


 どういう意味か、わたしにはわからなかった。

 魔法使いは人間とは違う。それなのに人間から生まれるのは一体なぜ?


「純粋な魔法使いは、もう私くらいしか残っていないだろう」

「どうしてですか? 魔法使いはすごく長生きだって聞きました。それならたくさん生きているはずですよね?」


 師匠はそれには答えず、明日から食事の仕方について教えると言った。

 師匠は食事をしないのに、教えるとはまたどういうことだろう?


「お前の魔力は相当なものだから、それほど食事の必要はないだろうな」

「……わたしの魔力、多いんですか?」

「多いな。わたしの弟子の中ではフィデリスが最も魔力が多いが、それに匹敵する量だ」


 そんな説明をされてもいまいちピンとこないけれど、きっと師匠の魔力は比べ物にならないほど膨大なのだろうなと思った。

 師匠は緑ばかりの周囲を見回すと、満足げに息をついた。


「ここなら、静かに研究に没頭できる」

「良かったですね」

「お前も、好きなだけ緑の魔法を修練出来るだろう」


 もしかして、わたしが魔法の制御が出来ないから、それを見越してこの森を選んでくれたのだろうか。

 他にも引っ越し先の候補はあって、敢えてこの森の奥深くの家にしてくれたのだろうか。


「……わたし、魔法の修行がんばります!」


 師匠は何も言わなかったけれど、ただぽんと優しくわたしの頭を撫でてくれた。

 骨ばった、温かい手。

 自分が本当に魔法使いだったことは衝撃だけど、これで捨てられることはない。師匠のそばで魔法を学べる。それだけで十分だった。



 ***



 そうして始まった森での隠居生活は、とても穏やかだった。

 師匠は魔塔にいた頃とちっとも変わらず、毎日研究室に籠りきり。わたしは庭仕事と世話係を続けた。

 薬草茶を持っていっても「まずい」と突き返されなくなったし、魔法の練習を見てもらえることが増えた。これはすごい変化だ。


 なんて弟(・)子(・)ら(・)し(・)い(・)生活だろうか!


「まずは制御出来るようになれ」

「息を吸って魔力をへその辺りに集める」

「息を吐きながらそこに留めるんだ」


 最初はちんぷんかんぷんだったけど、段々と魔力の熱のようなものを感じられるようになってきた。

 自分にも魔法の才能があったことをようやく実感できてほっとする。


 そういえばフィデリス様に何も言わずに出てきて良かったのだろうかと、兄弟子を思い出した頃、彼はやって来た。

 どういう仕組みかはわからないけれど「師匠の居場所くらいはわかるよ」と彼は平然と笑っていた。

 それから時々顔を出しては「僕もここに住んじゃおうかな」と、冗談なのか本気なのかわからないことを言っている。


 食事について、師匠がなぜ何も食べずに普通に動けているのか、理由がわかった。


「魔法使いは霞を食べる」



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