三百年の家
「わざわざ言う必要が? ここに連れてきた時点でお前は弟子だ」
あっさりとそんなことを言われ、全身から力が抜けた。
えー、そうなんだ。わたし、師匠の弟子になっていたんだ。とっくに師匠に居場所を作ってもらっていたんだ。
師匠がパチンと指を慣らすと、わたしを拘束していた紐が突然切れた。
「行くぞ、ベネ」
解放されたわたしは、笑顔で師匠の下に駆け寄った。
魔塔主の部屋を明け渡すよう魔術師長に言われ、師匠はそれを了承した。
一週間の猶予をやると上機嫌な様子の魔術師長に「必要ない。今日出て行く」と師匠は平然と答えていたけれど、本当に今日中にここを出るつもりなのだろうか。
だって、戻ってきた研究室は、わたしが片づけを進めていたとは言え、いまも大量の研究資料や素材で溢れている。とてもじゃないけど、すぐに荷物をまとめられるとは思えない。
「誰か、手伝ってくれる人を探しましょうか?」
「必要ない。ここにはすべてそろっている」
「はぁ。それはそうでしょうけど」
ちなみに、わたしの荷物はこの研究室の続き間にある。荷物と言っても、あの家から持ち出せたものは少ないので、師匠に比べれば何もないに等しい。
「行き先は決まっているんですか?」
「ある森の中の家だ。いつか隠居をするときのためにと、三百年前から用意してある」
「さんびゃくねん……」
どれだけ隠居したいと思い続けていたんだろう。
そして師匠は、一体いくつなんだろう?
ルカとマリスが教えてくれたのだけれど、魔法使いはとても長生きらしい。どれくらい長生きか聞くと、わからないと言われた。わからないくらい長生きなのだそうだ。
魔法使いと魔術師の、大きな違いはそこらしい。寿命がまるで違う。それと、魔法使いというのは、生まれたときから魔法が使える、人間とは別の種族を指すらしい。
魔術師は後天的に魔法を魔術として学び、魔術を扱えるようになった人のことを言うのだそうだ。
師匠は人間ではなく、魔法使い。
それなら、魔法使いの弟子になったわたしは?
「師匠が昔から隠居をしたかったことはわかりましたけど、なぜ今までそうしなかったんですか?」
「面倒だった。そもそも、元々ここは私が住んでいた小さな邸だったのだ」
「小さな邸……? この魔塔がですか?」
「そうだ。魔法を習いたいという人間が次から次へと現れて、増築を繰り返していたらいまの塔の形になった」
「ということは、魔術師長は師匠の家から師匠を追い出すことになるんですか?」
それはさすがに理不尽では、と思ったけれど、師匠はまるで気にしていない様子だ。
「家の場所にこだわりはない。私は自分の研究が出来ればそれで良い。これまでは引退するより引きこもっているほうが手間がかからなかったが、今回は面倒が逆転した」
わたしのせいか、としゅんとする。
わたしが不用意に捕まったから、師匠に手間をかけることになってしまった。
ひとりで落ちこんでいると、ぽんと頭に手が置かれた。それが師匠の手だと気づくのに、数秒時間がかかった。
「結果的に、私は煩わしいものから解放された。お前が気に病む必要はない」
「どうして……師匠は助けに来てくれたんですか」
「弟子が捕まった。それを取り返しに行くのは当然のことだ」
当然。師匠は当然と言った。
弟子だから当然、助けに来てくれた。
わたしは魔法なんて使えない、ただの普通の人間なのに。
「準備は良いか」
「はい……はい?」
ひとりでぐっときていたわたしは、鼻をすすりながら師匠を見上げる。
準備とは? 引っ越しのことだろうか。
「もしかして、わたしも連れて行ってくださるんですか?」
「当然だ。お前は弟子だろう」
また、当然と言ってもらえた。
そうか、連れていってもらえるんだ。もしかしたら、ここでさよならをすることになってしまうんじゃと思っていたわたしはほっとした。
「では行くぞ」
「わかりました、いま荷物を……えっ?」
師匠がどこかから杖を出し、床を強くリズミカルに三度突いた。
すると先日フィデリス様と王宮に行く際に現れた魔法陣と似たものが床に現れ、青白く輝き始める。
「行くって、まさか……」
「この部屋ごと転移する」
思わず師匠にすがりつくと、師匠は黙ってわたしの肩を抱き寄せてくれた。
安心した瞬間、カッと輝きが増し、浮遊するような感覚に包まれ目を閉じた。
転移は一瞬だった。
光が落ち着くと浮遊感も収まり、そろそろと目を開ける。
そこは魔塔の研究室内のままだった。床も壁も置かれている物も、何一つ変わらない。
「これ……転移、したんですか?」
「ああ。ここは魔塔から馬の足で十日はかかる森の中だ」
あの一瞬で、本当にそんなに長距離を移動したのだろうか。
あわてて窓に駆け寄ると、確かにそこはあのだだっ広い草原ではなく、鬱蒼と木々が生い茂る森の中だった。
空がいつも近かった魔塔ではない。地面が近い。あ、ウサギがいる。
「魔法って、本当にすごい……」
「何をいまさら。自分も何度も使っているだろう」
「えっ? わたし、魔法なんて使えませんよ」
師匠は器用に片眉を上げ、あきれた顔をする。
「お前はすでに、何度も魔法を使っている」
「またまた……」
「……魔塔に来てすぐ、種を植えただろう」
ため息をつく師匠に、わたしは首を傾げながら当時を思い返す。
確かに、植木鉢に黒くて堅い、胡桃のような種を植えるように言われて五つほど植え、水を与えた。
「次の日、すぐに芽が出てびっくりしたやつですね」
「あれは魔法をかけなければ育たない魔草だ」
「……三日後には白い花が咲いてましたけど?」
「お前が魔法をかけたからな」
まさか。わたしは種を植えて、水をかけただけだ。特別なことは何もしていない。呪文は唱えていないし、魔法陣も書いていない。
師匠のように自由自在に物を浮かせて動かしたり、何もないところから水を出したり、光を生み出したりなんてこともしていない。
「ベネ……お前はまさか、自分が魔法使いだという自覚がないのか?」




