討伐依頼
「師匠は現在研究中のため、お会いになれません」
嘘じゃない。いま師匠は本当に、あの奥の近寄ってはならない部屋に、ひとりこもっている。
近づいてはいけないのでノックも出来ないし、あの部屋に入られるとわたしはただ待つだけ。だからその間に洗濯をしたり、こうして掃除をしたりしているのだ。
「少しだけでいい! 顔をお出しいただけるだけで良いんだ! 議題は――」
「ですから、研究中のためお会いになれません」
「しかし、魔塔主としての義務が――」
「お会いにな、れ、ま、せ、ん!」
わたしが三度同じことを言うと、魔術師長は話にならないと思ったのか、額に青筋を立てながら「また来る」と言って帰っていった。
屑カゴを抱えながら部屋に戻ると、奥に引きこもっているはずの師匠が部屋の真ん中に立っていた。
「師匠、いたんですか。いま、魔術師長が来ていましたよ」
「ああ。聞こえていた」
聞こえていたのに、出てこなかったらしい。本当に魔塔の会議に出る気は一切ないようだ。
「これからも、あの調子で追い払うように」
「え……は、はい」
それだけ言うと、師匠はまた奥の部屋にひきこもってしまった。
こんな人が魔塔主でいいのかな? 何だか、魔術師長や日々がんばっている友人のルカやマリスが可哀想になってくる。
でも、わたしを助けに来てくれたのは、間違いなくあの人だ。
わたしに手を差し伸べて、花と緑に覆われた家から連れ出してくれたのは、他でもない師匠なのだ。
あんな人だけど、悪い人ではないはず。たぶん、きっと……おそらく。
***
「何だかベネ、最近調子良いな?」
魔術師たちの食堂で、ルカとマリスと一緒に朝食をとっていると、ルカにそんなことを言われた。
「確かに、表情が明るいわね」
「へへ。実は、師匠に色々任せてもらえるようになってきたんだよね」
魔術師塔に来てからひと月半が経つ。
最近ようやく、師匠が直接あれこれ指示を出してくれるようになった。
と言っても「あの棚を片付けておけ」「明日の朝、この材料を補充しておくように」というような、短い言葉で雑務を言いつけてくるだけなのだけれど。
「えらいなぁ、ベネは。頑張ってるよ、ほんと」
「そうね。毎朝誰より早く起きて、毎夜一番遅くまで起きているでしょ。魔塔主様もベネの頑張りを見ているのよ」
「そうかなぁ。そうだといいな」
言われたことをこなすたびに「うむ」と言われるだけ。誉め言葉じゃない。でも、ため息よりずっと良かった。
弟子にしてやる、とはまだ言われない。
でも少しずつ、ここに居場所が出来てきている気がした。
ある朝、魔術師長グリンデウスが十人の部下を引きつれて最上階にやってきた。
また会議の要請かと思ったけれど、いつもより人数が多く、みんな表情が硬い。
何事かと思っていると、魔術師長に肩を突き飛ばされた。
「魔塔主様! 魔塔に竜討伐の依頼が来ました! 辺境に竜が現れ、村が三つ焼かれております! どうか魔塔の主として対応を!」
竜と聞いて、わたしは飛び上がった。
魔獣の中でも、災害級と言われる恐ろしい存在。それが竜だ。かつて竜によっていくつもの小国が潰されたのは有名な話だ。
竜が辺境に! 辺境って、どの辺り⁉
街から出たこともなかったわたしには、辺境というのがどこを指すのか、ここからどれほど離れているのか見当もつかない。
わたしが動揺していると、魔術師長はドンドンと師匠の部屋の扉を叩いた。まずい、開いてしまう。
けれどわたしの予想に反して、扉はびくともしなかった。
おかしいな。触れるだけで簡単に開いてしまうような扉なのに。
「魔塔主様! いらっしゃるのでしょう! 出て来てください!」
さすがに竜が出たとなれば、師匠も対応せざるを得ないのでは。
そう思ったけれど、師匠は出てくるどころか返事すらしない。いつも通り、部屋に閉じこもったままやり過ごすのだろうか。
でも、竜が村を焼いている。誰かがいま、辺境で犠牲になっている。
大陸最強の魔塔の主なら、きっと竜をどうにかしてくれると期待して、依頼をかけた人いるのだ。
わたしは本当にこの声を無視して良いのか迷って、迷って迷って、迷った末に扉を開けた。
「師匠、申し訳ありません。竜の討伐の依頼が――」
恐るおそる中を見て驚いた。
奥の部屋にいたはずの師匠が、すぐ目の前にいた。しかもフィデリス様も一緒だ。
いつの間にフィデリス様は部屋に入ったのだろう。魔術師長に対応するまで彼はいなかったし、わたしたちはずっと扉の前にいたのに。
師匠は外出用の魔導士の黒いローブを羽織って、杖まで持っている。
灰色の瞳にじろりと睨まれて、わたしは首をすくめた。
「ど、どこかへお出かけですか?」
「王宮だよ」
もしかして辺境に行くのでは、と思ったけれど、あっさり否定したのはフィデリス様だ。
「国王陛下のお召しでね。師匠を迎えに来たんだ」
「え、でも。いま竜が出たって……」
「そうです、魔塔主様! 竜討伐の依頼です! どうか迅速なご対応を!」
「どうかお願いします!」
「魔塔主様、どうか!」
魔術師長たちが、扉の前から叫んで懇願する。
けれど師匠は彼らをちらりと見ただけで、動く気配はない。
「竜くらいで何だ。魔術師たちで十分対応出来るだろう」
「無茶なことを! 村が三つ焼かれているのですぞ!」
「魔塔などと御大層な名前をつけて権威を見せつけておきながら、肝心なときに何も出来ずわめくだけか。そのローブは見せかけか。情けない」




