魔法使いの髪
具体的に何をしろと言われないので、わたしは手始めに毎朝部屋の掃除と薬草茶を用意することから始めてみた。
最初の一週間は、失敗続きだった。
掃除をしようとすると「そこはまだ触るな」と言われ、薬草茶を出せば「まずい」と渋い顔をされる。
研究の素材を補充するよう言われ、大慌てで魔塔の魔術師たちにどこにあるか尋ね、苦労して持ってきたのに「それではない」とため息をつかれる。
ため息が積み重なるたびに、背中が丸まっていくのが自分でもわかった。
「師匠、お食事をお持ちしました!」
「いらん。私は人間の食事をとらない」
魔術師たちはみんな食堂で食事をしていたので、気を利かせ持っていったつもりが、余計なことをしただけだった。
魔法使いは食事をしなくていいの? 魔術師たちは食べてるのに?
お腹が空かないってこと? 本当に?
わたしはがっかりした。やっぱりわたしは魔法使いじゃないんだろう。だって、生まれてからずっと普通の人と同じように物を食べているし、いまだって普通にお腹は空く。
これまではギリギリの生活で、お腹いっぱい食べることなんてほとんどなかったけど、魔塔ではタダで食事が出来るから、ついつい食べ過ぎてしまうくらいだ。
魔法使いじゃないとバレないように、師匠の前で食事をするのはやめた。
ある日、師匠が研究に没頭していたとき、師匠の長い髪が実験用の小瓶に垂れかかっているのが気になった。
邪魔そうだな。まとめてあげたら動きやすいだろうな。そう思い「師匠。髪をおまとめしましょうか?」と手を伸ばしかけたとき。
「触るな」
苛立たしげに、伸ばした手を払われた。
「す、すみません。余計なことでしたね」
師匠は何も言わず、研究に戻っていった。
わたしは洗濯をしてくると言って部屋を出た。階段を駆け降りながら、目がじわりとしてきた。十分研究室から離れたところで壁にもたれる。
あんなに冷たく言わなくたっていいのに!
髪が邪魔そうだから言っただけなのに、手を払うなんてあんまりだ。
何がいけなかったのかわからない。役に立ちたいのに、上手くいかないことだらけだ。
もしかしてわたしって、師匠に嫌われてたりして……。
「ベネ? そんなところで何してるんだ?」
「やだ、泣いてるの?」
「ルカ、マリス」
灰色のローブを着た若い魔術師ふたりに見つかって、わたしは慌てて目元をぬぐった。
ルカとマリスは、魔塔で迷子になったときに助けてくれて、それから仲良くなった友だちだ。
ふたりは魔術師見習いで、ルカは快活な男の子、マリスは世話好きな女の子。ふたりともわたしと同年代で、すぐに打ち解けた。
「あんたが魔塔主様の世話係か?」とルカから声をかけてくれたのが始まりだ。
「どうした? 魔塔主様にいじめられたか?」
「やっぱり魔塔主様って恐いの?」
「ううん。ちがうの。師匠の髪を結おうとして、怒られちゃっただけ」
わたしが事情を説明すると、ふたりは「ああ」と訳知り顔でうなずいた。
「それはアレだな。魔塔主様が魔法使いだからだよ」
「どういう意味?」
「魔法使いにとって、髪は特別なんですって。何でも、髪に魔力を溜めているそうよ」
「髪に魔力を……?」
わたしは自分の伸びっぱなしにしている髪をつまんでみた。
どの角度から見ても普通の髪だ。魔力なんてものがこめられているようには見えない。
「だから魔法使いの真似をして、髪を伸ばす魔術師も多いのよ。かく言う私も」
「俺も、これ」
ふたりは後ろで結った長い髪を見せて照れ笑いをする。
わたしにはよくわからないけれど、彼らにとって髪が特別なものだということはわかった。わたしは、師匠の大切な髪に無断で触れようとしたから怒られたのだ。
「やっちゃったなぁ……」
「ベネは悪くないよ」
「そうよ、知らなかったんだから。これから少しずつ覚えていけば良いじゃない」
ふたりに励まされ、頷いた。
そうだ。知らなかったから失敗した。それなら知ればいい。
それからわたしは、フィデリス様が魔塔に顔を出したとき、彼を捕まえて色々尋ねるようにした。
気をつけること、大事なこと、師匠が好むことと好まないこと。フィデリス様は丁寧に答えてくれた。
師匠の部屋の、奥の扉には近づいてはいけない、研究中の羊皮紙には触れてはいけない、魔術師長の訪問は取り次いではいけないなど、色々なことを教えてもらった。
「なぜ魔術師長様の訪問を取り次いではいけないんですか?」
フィデリス様は苦笑しながら答えた。
「魔術師長のグリンデウスは、師匠の魔塔定例会議への参加を要求してくる。でも師匠はそういう煩わしいことはしたくないんだよ」
「でも、師匠は魔塔主なんですよね? それなら――」
「うーん。別に師匠は、魔塔主なんかになりたかったわけじゃないからね。勝手にさせられたというか」
「勝手に……?」
「だから師匠は、いつだって魔塔主なんか辞めてしまいたいと思ってるんだよ。自分の研究に集中したいから」
それで師匠は、いつもわずらわしそうな顔をしているのか。ひとりになりたいのに、周りが邪魔をするから。
でも、何だかそれって、ものすごくわがままなんじゃ?
そう思ったけれど、わたしは弟子として認められてすらいない存在なので、とても口には出来ない。
「じゃあ、取り次がなければいいんですね」
「そういうこと」
笑顔のフィデリス様に、わたしは黙ってうなずいた。
その翌日のことだ。
魔塔の魔術師たちのまとめ役である、グリンデウス魔術師長が、四人の部下を引きつれて最上階にやって来た。
ちょうど師匠の部屋の片づけを終えて、ゴミを捨てに出ていたわたしは、扉の前で彼らと対峙することになった。空の屑カゴを抱えながら。
「魔塔主様への面会を! 定例会議への参加をお願い申し上げる!」




