輪郭はまだ。
──現場の外。
リクが業務車両の後部座席のドアを開け、男性を促した。
「えっと、モルケンさんでしたっけ。こっちから乗ってほしいっす!」
「……すみません、お手数かけます」
リクはモルケンの眼下で朗らかに喋る。
「気にしないでいいっすよ! このまま支部の医療棟まで行くんで、着いたらしっかり診てもらうっすからね」
モルケンが背中を丸めるようにして後部座席へと乗り込み、リクもその隣へ滑り込んだ。
運転席のジオンがバックミラー越しに視線を向ける。
「お疲れ様です。このまま医療棟へ向かいますね」
助手席のヴォルトがシートベルトを締めながら応じた。
「おう、頼むわ」
車が静かに走り出す。
ルームミラー越しに後部座席を見たヴォルトが、鼻で笑った。
「……おいリク、お前なんかいつもより縮んでねえか?」
それを言われたリクは、間抜けな声をあげて目を丸くする。
「縮んでないっすよ! モルケンさんが大きいだけっす!」
リクが言い返したその時、車の揺れでもふっとした感触がリクの腕に触れた。
「うおっ」
「あ……すみません。自分、ちょっと場所取るので……」
モルケンが申し訳なさそうに身を縮こまらせようとする。
「いえいえ!ちょっとびっくりしただけで……すっごいフカフカっすね」
「あ、はい……よく言われます」
リクはモルケンの顔を覗き込む。
「そういえば、体調どうっすか? まだどこか痛いとか」
モルケンは首を少し前に出し、何かを発言しようとして、無意識にスッと片手を上へ浮かせかけた。
「いえ……発症した時は、頭が痛かったんですが。薬を飲んでからは、すっかり落ち着きました」
それを聞いて、リクは再び席に身を沈める。
「それは良かったっす。薬、ちゃんと効いてる証拠っすね」
そのやり取りを聞きながら、助手席のヴォルトが窓の外を眺めたまま口を開いた。
「なあ、モルケンさん」
「はい」
「発症する前、なんか心当たりはねえか」
「いつもと違うことしてたとかよ」
それはいつも通りのトーンだった。
モルケンは少し考えてから答える。
「……最近、仕事が立て込んでて、ずっと寝不足だったんです。かなりストレスも溜まってて……」
ヴォルトは顎を引いて深く頷いた。
「なるほどな」
「今日も部屋で休んでたんですが、急に酷い頭痛がして……気付いたら、あんな状態に」
ヴォルトが少しだけ首を後ろに向けた。
「……で、発症そのものはどうだった。覚えてるか」
「……多分、覚えています」
「その時、どんな気分だった?暴れたかったとか、逃げたかったとか、大体の場合はそれがある」
モルケンは膝の上で両手を組み、視線を落とす。
「それが……よく、分からないんです」
「分からない?」
リクも不思議そうに小首を傾げた。
モルケンは少し困ったように視線を泳がせた。
「はい……記憶はあるんです。でも、なんというか……」
言い淀むモルケンを、リクとヴォルトは黙って待つ。
「頭の中が、落ち着かなくて……」
モルケンは眉間のあたりを触った。
「……どう、なんでしょう……」
「自分でも、何をしたかったのか……」
結論を出すのを諦めたように、小さくため息をつきながら肩を落とす。
ヴォルトは前を向いたまま、ふっと息を吐いた。
「そうか。まあ、無理に思い出す必要はねえ」
「関係ねえところで患者を疲れさせちまったら、医療班の血圧上げちまうしよ」
それを聞いたモルケンは、目を細めて「はは、質問なら平気ですよ」と軽く笑う。
リクは少しだけ目を丸くしたまま、先ほどの現場での光景を思い出した。
(どうしたかったのかが、分からないか……。あの動きと関係があるのかな)
ヴォルトは助手席の窓枠に肘を突く。
「支部についたら、セクトン……うちの医者に、今の話をそのまましてやってくれ。あいつは、そういう細かい話を聞くのが仕事だからな」
リクも明るい声で会話に乗っかる。
「そうそう!」
「セクトン先生、顔はめーっちゃ怖いですけど、腕は確かですから! 安心していいっすよ!」
モルケンはリクの言葉に、思わず小さく吹き出した。
「……顔が、怖いんですか?」
「もう鬼みたいっすよ! 会ったら絶対わかるっす!」
リクがニシシと笑うと、車内の少しだけ重かった空気が、ふっと軽くなった。
運転席のジオンが、静かにハンドルを切る。
「支部、到着しますよ」
「おう」
ヴォルトが短く応じた。
リクは窓の外に見えてきたイージス機関のゲートを見て、モルケンに振り返る。
「着いたっすよ!降りたら案内するっす!」
モルケンはふっと目を細めて、リクを見下ろした。
「……はい。ありがとうございます」
──医療棟。
診察室の扉を開けると、そこには不機嫌そうなオーラを纏ったセクトンが、腕を組んで待ち構えていた。
「……言うのが遅え。連れてくるならさっさと連絡しろ」
ヴォルトは薄ら笑いのような表情を浮かべながら、肩をすくめる。
「悪ィ悪ィ。こっちも急遽決まったもんでな」
モルケンはセクトンの姿を見た瞬間、ピタッと足を止めた。
そして、ふいっと顔を逸らし、口元を手で覆う。
(……本当に、鬼みたいだ……)
モルケンの背中が、微かに小刻みに揺れ始めた。
セクトンは怪訝そうに眉をひそめる。
「……オイ。こいつ、どういう状態だ。エラーの後遺症か?」
「い、いや! 違うっす! もう落ち着いてるっす!」
リクが慌ててフォローを入れる。
しかし、モルケンは「んふっ……」と、明らかに笑いを噛み殺している音を漏らした。
セクトンの視線が、モルケンからゆっくりと這うようにリクへ移動する。
その表情は、さっきの数倍はうんざりして見えた。
「えっ!いやいや!自分なにもしてないっすよ!!?」
リクは反射的に胸元で両手をパタパタと激しく振る。
全力で否定しながら、リクは横に立つヴォルトへ助けを求める視線を送った。
しかし、ヴォルトはスッと視線を外し、診察室の壁の上の方を見上げる。
「……いやあ、今日はいい天気だなあ」
ここは窓すらない部屋だというのに。
「先輩!?」
リクが裏返った声を上げる。
セクトンは重々しいため息を吐き、呆れたようにヴォルトもまとめて睨みつけた。
「テメェら、患者に何を吹き込みやがった」
「あー……言ったかも。てか、なんで分かるんすか!?」
リクが思わず叫ぶ。
セクトンは冷めた目を向けた。
「お前が分かりやすいだけだ」
「お前も白々しいんだよ、ヴォルト」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺はなんも言ってねえわ。……今日はな」
ヴォルトが肩をすくめてやれやれといった風に言い返す。
「日頃の行いだな。テメェら信用ねえんだよ」
セクトンは腕を組んだまま、地の底を這うような態度で突き放した。
「うぐっ……」リクが見事に言葉に詰まる。
ヴォルトは「ハッ」と鼻で笑った。
セクトンはそれ以上相手にするのをやめ、モルケンの方へ顎をしゃくる。
「オイ、アンタも笑ってねえでそこ座れ。検査するぞ」
「は、はい……っふ、すみません……」
モルケンは診察椅子に腰を下ろしながら、ふと息をついた。
さっきまで暴れていた場所とは違う。騒がしいのに、不思議と落ち着く空気だった。




