キミがいなくても。
──イージス機関の特別寮。
エラー持ちの職員たちが生活するこの区画。
時計の針が深夜を回った頃。
エニは喉の渇きを覚え、自室を出て共有スペースのラウンジへと向かっていた。
(……誰か、起きてる?)
薄暗い廊下を抜けた先、ラウンジの一部だけが暖色系の明かりで照らされている。
そこには、テーブルの上に山積みのスナック菓子と、色とりどりの炭酸飲料の缶。
そして、クッションを抱えながら端末の画面を食い入るように見つめている女性──ジャネットの姿がある。
エニは足を止め、少し離れた場所からその様子を窺う。
(……ジャネット、さんだ。)
(どう見ても、これから朝まで起きている準備だよね……あの陣形)
その様子を見て、小さく瞬きをした。
軽く逡巡したあと、尻尾を揺らしながら、エニはおずおずと一歩を踏み出した。
「……あの」
静かな空間に、控えめな声が落ちる。
ジャネットの肩が跳ねた。
「んっ!?」
振り返った彼女はエニの姿を見て、パァッと明るい表情を浮かべる。
「わーっと!バレたか〜!」
ジャネットは悪びれるでもなく、両手を上げておどけた。
「……えっと。……そのお菓子、これから食べるんですか……?」
エニがテーブルの上の山に視線を向ける。
ジャネットは「えへへ」と笑って、自分の隣のスペースをぽんぽんと叩いた。
「そう!今日は映画のイッキ見しちゃおうかなーって!キミもどう?エニくん、だっけ!」
「あ、はい。……エニ、です」
「……俺は、ただ喉が渇いて来ただけなので……」
そう言いながら、エニはわずかに眉を下げる。
尻尾で地面を掃くように揺らしながら続ける。
「……あの、夜更しなんてしたら、先生に怒られるんじゃ……」
その言葉を聞いて、ジャネットは笑い飛ばした。
「あーっ!確かに!センセーなら一発で気づきそー!」
ケラケラと笑うジャネット。
その声は、夜の静けさを壊さない程度のトーンだった。
エニがかすかに口角を上げる。
「……うん。……だから、その……」
「でもさー、たまには息抜きも必要じゃん?」
ジャネットは背もたれにぐでーっと寄りかかる。
「エラーのことだけじゃなくてさ!こういう時間って、薬と同じくらい大事だと思わない?」
その明るい横顔を見て、エニは尻尾の揺れを止めた。
「……そう、ですね」
エニは小さく目を細めた。
「……じゃあ、少しだけ……お邪魔、します」
「もちろん!特等席、空いてるよ!」
エニがカクカクした動きで隣に座る。
ジャネットは、エニの膝にクッションを置いた。
「……あ、ありがとうございます」
「抱えてると落ち着くからね〜!おすそ分け!」
ジャネットは手元にあった未開封の炭酸缶をひとつ掴む。
「はい、これ!喉乾いてるんでしょ?」
「あ……ありがとう、ございます」
(これ、余計に喉が渇くんじゃ……)
エニはそう思いながらも、それを両手で受け取り、肩をフッと緩やかに下げた。
ジャネットはスナック菓子を一枚口に放り込んで噛み砕いた。
そして、突然エニの顔を覗き込む。
「……えっと」
エニは眉を上げて、彼女の反応を窺う。
「いや、ずっと気になっててさ」
「……それは、なにが……?」
「エニくんって、あの時の……リクくんだっけ?現場部隊の。あの子と仲いい感じ?」
エニは間を置いて、ゆっくり答える。
「リクは……仲がいいというか……その、親友で」
そう言うと、エニは目を伏せて、尻尾でパタパタと床を払った。
「へえー、親友なんだ!いいなぁ、なんかそういうの」
ジャネットは炭酸を一口煽り、ニッと笑みを浮かべる。
「あの食堂の時さ、あたしちょっとパニックなってたから、お礼言うことしかできてないじゃん?」
「だから、また今度ちゃんと話そうねって言ったんだけど……現場部隊の人っていつも忙しそうだから、なかなかタイミングなくてさ」
エニはジャネットの肩あたりに置いていた視線を、そっと外した。
「リクなら……ジャネットさんが話しかけたら、きっと喜ぶと思います」
「あはは!確かに、そんな感じはするね!」
ジャネットはケラケラと笑い、それから少しだけ声を落として続けた。
「でもさ、あの時あたしが危ないって分かってて、真っ先に出てきてくれたでしょ?」
「普通なら怖くて近づけないのに、全然迷わなかったからさ。すごいなって思って」
「……」
エニは小さく息を呑んだ。
そしてわずかに顔を上げてから喋った。
「リクは、そういう人だと思うんです。……俺は全部知ってるわけじゃないですけど」
光が灯っていない暗がりを見ながら続ける。
「いつも、誰かの隣に立ってる時が……一番リクらしいっていうか」
ジャネットは少し口を開けたままエニの横顔を見つめる。
「……そっかぁ」
エニは膝に乗せられたクッションを軽く抱え込む。
「……はい。それで、だからこそ……俺はリクのこと……」
明らかに言葉が止まったが、ジャネットはただ、その様子を見つめる。
「……いや、いいところだと思ってます」
ジャネットは耳を揺らして、ニコッと笑った。
「だね。……いやあ、いい相棒を持ったね!」
エニは口角を上げたまま、眉を少し下げる。
「……あはは。相棒、なんですかね」
「しっくりこない感じ?親友の方が良かった?」
座り直しながら陽気に笑いかけるジャネット。
エニは考える素振りを見せたあと、少しだけ表情を緩めた。
「……そうかもしれないです」
エニは前髪を整える仕草で、顔を隠すように俯いた。
ジャネットは軽く伸びをする。
「んん…っと。いい話が聞けたなあ。さっき聞いちゃったら、リクくんともちゃんと話してみたくなっちゃった!」
エニはぎこちなく立ち上がりながら口を開く。
「あは……それは是非」
おどおどと首を撫でて続ける。
「それじゃあ……俺はそろそろ寝ますね」
ジャネットは伸ばしていた腕を下ろした。
「うん!寝ようとしてたところを止めちゃったもん!おやすみ!」
エニは穏やかに笑って尻尾を床から持ち上げる。
「はい……おやすみ、なさい」
エニが部屋に戻るために歩いて行く。
一人で部屋に残ったジャネットは、端末に映画を再生しながら脱力した。
「エニくんも、あんな顔するんだなあ」
スナック菓子を再び口に運び、続けて呟く。
「やっぱり、気になっちゃう」
──翌日。
医療棟には、果てしなく不機嫌な声が聞こえた。
「オイ。ジャネット」
ジャネットはビクッと肩を跳ねると、引きつった笑顔でその声の主を見上げる。
「は、はいセンセー!なんでしょー……」
振り返った先には、般若みたいな顔をしたセクトンがいた。
「お前、寝てないだろ」
「あちゃー、バレましたか……?ま、まあ!今日は絶対にちゃんと寝るので!仕事に戻りますねえ!!」
ジャネットは頭を掻きながらその場を去ろうとする。
しかし、セクトンがその肩を掴んで止めた。
「ダメだな。30分は寝てもらうぞ」
「えっ!!仕事は!!?」
「俺が言っとく。……ったく、めんどくせえけどな」
ジャネットは仮眠室に連行されていった。
それを、清掃道具を取りに向かうために、偶然通りかかっていたエニが見ていた。
「……本当に、すぐ見抜かれちゃってる……」
呟いてから、ほんのりと苦笑いを浮かべる。
再び歩き出したエニの尻尾は、静かに床から持ち上げられていた。




