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ととと  作者: 紺野 睡蓮
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17/20

16話 ステージの上で唄えば

 身支度を整え、再び日本酒バーへ向かうと、ちょうど開店の時間だった。

 照明が入り、BGMが流れ、さっきまで静かだった空間に少しずつ音が入ってくる。

 BGMは、ステージ上に置かれた機材から静かに流れていた。彩子さんはそのそばで、淡々と手を動かしている。その場の空気に合わせて選曲しているようだ。

 私たちはお店の1番手前にあるテーブル席に腰を下ろして、お店の様子を眺めた。

 始めのうちは、お客さんはまばらだったが、時間が経つにつれてどんどんと増えていく。

 地元の人らしい常連風の客もいれば、観光客のような人もいる。

 年齢も性別もばらばらで、思っていたより幅が広い。カウンターには、今田酒造の酒がずらりと並び始めていた。


 お店を切り盛りするのは、おもに旦那さんの方らしい。カウンターの向こうで、忙しそうに行き来している。ホールにはバイトの子が2人いるだけで、かなり少人数でお店を切り盛りしていた。お店は空いている席を探すのが大変なくらい混んできた。

 演奏できればいいという軽い気持ちだったのに、今はお客さんの多さに、少したじろいでしまう。

 出番までは酒を口にせず、3人ともオレンジジュースを注文した。

 グラスを傾けながら店内を観察したり、エアーで指先を動かしてみたりする。


 人前で演奏するなんて、現役のころもほとんどしていない。

 そのうえ、ほとんどぶっつけ本番だ。

 それでもやるしかない。

 しばらくすると、彩子さんがこちらを見て、軽く手を上げる。

 さっきまで洗濯機の前で話していたことが、もう何日も前の出来事のように思える。

 凛の沈黙にも。遥花の笑いにも。

 私は応えられる気がしない。

 人の気持ちは案外遠い。向き合おうとして手を伸ばせば輪郭すら掴めない。

 私はただ、流れに流されるままにここまで来てしまった。

 表面上を取り繕っただけで、難しいという言葉では、言い表せない。追いつけない。頑張れない。

「そろそろ、いきますよ」

 彩子さんの声に、心臓が一段強く鳴った。


 私たちは、ステージの方へ歩いた。

 マイクを通して、簡単な紹介がされる。

『波跡』の名前と、3人組のバンドであることだけ。

 私たちは舞台に上がった。ライトが思ったより眩しく、視界が少し白くなる。

 私はその音に背中を押されるように息を吸う。

 お客さんにとっては突然のことだったはずだ。知らない人たちの、知らないバンド。

 それでも店内には、温かな拍手が広がった。こういう飛び入り参加はよくあるのかもしれない。

 心の中で数を数えた。

 始まりの合図を待ちながら。MCはいらない。

 胸の内側に沈んでいるものが、水面へ浮かび上がってこないように。


 遥花が合図する。凛が伴奏を始めると、私の意識は一気に外側へ放たれた。

 高校の頃のことが、断片的に浮かぶ。

 放課後の教室、音漏れする部室、笑いながら合わせたコピー曲。

 3人で、ただ楽しく音を出していた時間。

 それが今の音と重なっていく。

 やがて視線を上げ、一人一人の客を見る。頷く人、グラスを持ったまま耳を傾ける人、目を閉じている人。

 その反応を、少しずつ波のように飲み込んでいく。


 最初は、昔よく演奏していた定番のコピー曲から始めた。誰でも知っているようなメジャーな曲ばかりだ。おかげで客席の反応も良い。

 手拍子が起きたり、知っているフレーズに小さく歓声が上がったりする。

 私たちも少しずつ肩の力が抜けていった。

 途中で、思い切ってオリジナル曲を一曲挟む。知らない曲なのに、誰も退屈そうな顔はしなかった。

 むしろ静かに耳を傾けてくれているのが分かる。

 そのことが、妙に嬉しかった。

 気づけば店内の空気はすっかり温まっていた。

 拍手は曲を重ねるごとに大きくなり、笑い声や歓声も混じる。

 酒の香りと音楽が溶け合い、小さなバー全体がひとつの空間になっているようだった。

 そして最後の曲が終わる。

 余韻を残したまま音が消え、一拍遅れて拍手が湧き上がった。

 私は思わず息を吐く。

 無事にステージを降りた瞬間、身体の奥に張り付いていた緊張が一気にほどけた。

 楽器を片付けながら、三人とも自然と笑っている。

 演奏が終わったあと特有の、少し浮ついた空気がまだまとわりついていた。

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