表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ととと  作者: 紺野 睡蓮
PR
16/20

15話 洗濯

 ひと通り音を確認し終えると、私たちはステージを降りた。アンプの電源を落とし、楽器をケースへ戻していく。

 演奏時間は短かったはずなのに、思った以上に汗をかいていた。

「さて」

 今田さんがお店に掛かっていた時計を見た。

「バーのオープンは夜だから、まだ三時間くらいあるけど、それまでどうします?」

「お酒飲んでもいいわよ?」

 隣で彩子さんが冗談っぽく言う。

「いやいや」

 私は思わず苦笑した。

「さすがに飲んだ状態で演奏できるほど玄人じゃないです」

「真面目だねえ」

 彩子さんが笑う。本気で呑むつもりだったらしい。

 実際、昨日のスタジオ練習で十分学んだ。

 憧れさえすれど、少なくとも私は酒を飲んで上手くなるタイプではない。

「一度、ホテルに荷物を置いてきてもいいですか」

 私がそう聞くと、今田さんは「ああ」と頷いた。

「ホテルって、もしかして近くのリゾートマンションを改装したところ?」

「あ、はい。そこです」

「それならここから歩いて行けるよ」

 今田さんは気軽な調子で言う。

「車はここに置いていけばいい」

「え、いいんですか?」

「もちろん」

 今度は彩子さんが笑った。

「演奏のあと、お酒飲むでしょう?」

「それは……飲みます」

 すると今田夫妻は揃って笑う。

 たしかに帰りの心配をしなくていいのはありがたい。

 

 私たちは楽器を抱え直し、日本酒バーをあとにした。

 3人で歩き始めた歩道はコンクリートで舗装されている。けれど、人通りはあまりないのだろう。雑草がコンクリートの隙間から好き放題に伸び、木の枝もところどころ歩道まで張り出していた。

「夜だとちょっと怖そうですね」

 凛が枝を避けながら言う。

「熊とか出そう」

「やめてよ」

 私が即座に返すと、遥花が悪戯っぽく口角を上げた。

 山はそれほど得意じゃない。虫も嫌いだし、そもそもこの前までフリーターで、外にもほとんど出ていなかった。

 風が吹くたび、葉の擦れる音が頭上で揺れる。

 そんな道を5分ほど歩いたところで、木々の隙間から建物が見えてくる。

「なんか想像してたのと違うな」

 遥花が率直に言った。

 山奥のホテルと聞いていたから、もっと地味な建物を想像していた。

 だが目の前に現れたのは、妙に主張の強い外観だった。

 曲線を多用した装飾。やたらと多い窓。暖色系を基調にしたカラフルな色使い。

 どこか時代を感じさせる派手さがある。

「バブルって感じ、知らないけど」

 私がぽつりと呟く。予約のときに見たリゾートマンションとして建てられたという説明に妙に納得した。

「当時はこれが最先端だったんでしょうね」

 凛が感心したように見上げる。

 派手な外観に圧倒されながら中へ入ると、今度はさらに驚かされた。

「おお」

 思わず声が漏れる。

 エントランスは広々としていて床一面は大理石になっていた。

 そして正面には、妙に存在感のあるゴールドのフロントカウンター。

「なんか急に高そう」

 遥花が小声で言う。

「私たち本当にここ泊まって大丈夫?」

「値段は安かったですよ」

 凛がスマホを確認しながら答える。

「そのギャップが怖いんだけど」

 私は苦笑した。

 外は山奥。中は少し時代の止まった高級風のリゾートホテル。

 そのチグハグ感が妙に期待を抱かせた。

 フロントで呼び鈴を鳴らすと、奥から年配の女性が出てくる。手続きを済ませると、鍵を手渡してくれる。

 金属の重い鍵には、部屋番号の書かれたアクリルのプレートが付いていた。エレベーターで部屋のある階まで上がり、廊下を歩く。

 等間隔に並ぶ部屋の扉も、どこか生活感のあるデザインで、ドアの下の方には、小さな郵便受けがついていた跡が残っている。

 部屋番号も後から貼り替えたようで、わずかに色が違っていた。


 部屋に入ると、思ったよりも広かった。

 元がマンションだったせいか、普通のビジネスホテルよりもスペースに余裕がある。

 キッチンの跡らしきスペースがあったり、妙に大きな窓があったりするのも、その名残だろう。

 ゆっくり腰を下ろしたいところだが、そうはいかなかった。

「さてと洗濯、行っとく?」

 私が言うと、2人が小さく頷いた。

 ただでさえ行き当たりばったりの旅だ。

 荷物は最小限にしてきたせいで、着替えもそろそろ限界だった。

 今日洗わなければ、明日から着るものがない。

 コインランドリーがあることはチェックイン前から確認済みだった。

 3人で洗濯物を抱えて下の階へ降りると、ランドリーのフロアは思ったより年季が入っていた。

 壁際には古い洗濯機と乾燥機が並んでいる。

 白かったはずの塗装は少し黄ばんでいて、長年働いてきたことが伝わってくる。

 その横には洗剤の自動販売機。

 いかにも昔ながらのホテルらしい設備だった。

 洗濯物を放り込むと、どさりと重たい音がした。1日とはいえ、3人分だから、かなり多い。

 コインを入れて、スタートボタンを押す。

 機械が揺れ始め、低い回転音が響いた。

 洗濯機のデジタル表示には、24分の文字が浮かんでいた。

 まだしばらく終わりそうにない。かといって部屋に戻るのにも微妙な時間だ。

 私たちは自然と、正面に置かれたベンチへ腰を下ろした。

 壁には漫画や雑誌が並んでいる。何年も前の旅行誌や、背表紙の色褪せた単行本。あまり面白くなさそうで誰も手を伸ばさない。

 洗濯機の回転音だけが、規則正しく空間を満たしていた。


 私はそれを眺めながら、ふと口を開く。

「まさか人前で演奏するとはね」

 何度口に出しても、実感が湧かない。貸しスタジオとまるで違う雰囲気だろう。

「現役のころも、ほとんどしてないしね」

「文化祭くらいですかね?」

「そうだね。別に人に見せるためにやってなかったから」

 あの頃は、とにかく音楽が好きなだけで、人前に出るのはむしろ苦手だった。

「香穂はサブカルぶってたもんな」

 遥花の鋭利なひと言に、ウグっと胸を刺される。

「そうでしたね」と凛も同調する。

 逃げる方向が見つからなくて、私はがっくしと首を垂れて白旗をあげる。

 昔の私は、人前で何かをすることが苦手だった。

 いや、苦手だと認めたくなくて、別の言葉で覆い隠していただけかもしれない。

 分かる人だけ分かればいい。

 そんな顔をして、距離を取っていた。

「それが今では、人前でやりたくてワクワクしてるんだから、不思議なもんだよ」

 洗濯機の回る音が続いている。

 今でも、人前は苦手だ。

 視線は落ち着かないし、緊張で手も震える。

 けれど昔と違うことがある。

 誰にも届かなくていいと思っていた音を、今は誰かに届けてみたいと思っている。

 

 そして私は、昨日遥花に言われた言葉を思い出す。

「あの頃から、ずっとバンドを続けていたら、どうなってたんだろうな」

 洗濯機の回る音に紛れて、ぽつりと呟く。

 その問いは、実は昔から何度も頭の中で繰り返してきたものだった。

 音楽を続けるのか。バンドとして進むのか。それとも別々の道に行くのか。

 結局は高校卒業と同時に解散。

 遥花は京都へ行き、凛は海外へ渡った。

 進路がばらばらになった時点で、続ける方が不自然だったのかもしれない。

 あれはきっと自然な終わりだった。

「どうだろうね」

 遥花は窓の外に視線を向けたまま言った。きっと昨日の夜のことをまだ引き摺っているのだろう。

「私は、今が楽しいです」

 凛は迷いなく言った。まっすぐで、少しも揺れない声だった。

 単に私の問いに答えたのではない。どこかで私を安心させようとしてくれた気もした。

「私は……」

 言葉が喉の奥で引っかかる。

「みんなの、やりたいことを。その、引き留めるなんて、できなかったしな」

 ほんの一瞬だけ凛の視線が落ちる。

 膝の上で組んだ指先が、かすかに動いた。何かを言い足そうとして、やめたようにも見えた。

 私はじっと見つめると、凛はすぐに顔を上げて、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

 その笑顔はどこか整いすぎている気がした。

 その後は誰もそれ以上言葉を足さなかった。

 洗濯機の回る音だけが、一定のリズムで続いていた。


 もし、私が強引になれたら。

 そうしたら、二人は残ってくれるんだろうか

 わからない。

 わからないし、怖い。

 もし選択を狂わせてしまったら。

 もし、私のせいで二人の未来が変わってしまったら。

 そんな責任、負えるはずがない。

 音楽は、好きだからやっているだけだ。

 誰かの人生を背負ってまで続けるものじゃない。

 だから、人に頼るなんてどこかで遠慮しなきゃいけない気がしてしまう。

 考えがぐるぐると回る。

 同じところを何度もなぞるみたいに、出口のない思考が続く。

 気づけば、洗濯機が終わりを告げる電子音を鳴らしていた。

 洗濯の終わりを告げるだけの音なのに、どこか一区切りがついて救われたような気分になる。

 私は洗濯物を乾燥機へ移して、また硬貨を入れた。

 丸い窓の向こうで、衣類がゆっくりと持ち上がっては落ちていく。

 私はまたベンチに腰を下ろした。手近にあった雑誌を一冊抜き取る。

 いつの時代かもわからない、ファッション雑誌だ。興味があったわけではない。

 ただ、何も持たずにいるのが少し落ち着かなくて、適当に読み進めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ