13話 新興酒蔵
そんな会話をしていると、背後から不意に声がかかった。
「よくご存じですね」
3人そろって、後ろを振り返る。
そこには酒の棚の前に、新しい段ボール箱を積み上げていた男の人が立っていた。さっきまで気づかなかったが、作業の手を止め、こちらを見ている。
作業着に近い、つなぎのような動きやすそうな格好だ。
年齢は40歳前後だろうか。若いのに、立ち姿には無駄な力が入っておらず、余裕が感じられる。
どこか場の空気に馴染んでいる感じがした。
「そのお酒……」
彼は、凛の手にある『群星』の酒瓶を軽く指で示す。
「うちで造っているんですよ」
一瞬、言葉が頭の中で滑った。
意味を理解するまでに、ほんのわずかな間が必要だった。
「……今田酒造さん、ってことですか?」
私が問い返す。声がほんの少し上ずって、眉間に皺が寄る。
「まあ、そうです」
私たちの反応が大袈裟に感じたのか、彼は肩をすくめ、少し照れたように笑う。
「今日は納品ついでに、朝の準備を手伝いに来てて」
「偶然って、続くと急に意味ありげに見えてくるよな」
遥花はそう呟きながら、瓶と彼の顔を交互に見た。たしかにふらっと立ち寄った道の駅で、今田酒蔵の人に出会えるとは思わなかった。
男の人は、今田優吾と名乗った。
棚の前で立ち話をする流れのまま、今田さんは今田酒蔵の話や『群星』のことを少しずつ話し始めた。
「まだ7年目です。蔵としては、ほんとに新参ですね」
その口ぶりは淡々としていたけれど、どこか自信みたいなものも滲んでいた。
「『群星』は最初から海外を意識してました。アメリカから始まって、フランスやドイツ、お話ししていたイタリア
その言葉に、遥花が少し眉を上げた。
「日本酒なのに、ずいぶん割り切ってるんですね」
凛の言葉に、彼は小さく頷いた。
「ええ、国内だけだと、ちゃんとした日本酒の型に押し込まれる感じがして」
彼は苦笑しながら続ける。
「先入観のない人でも手を伸ばせる酒を目指しました」
凛が、興味深そうに小さく頷いた。
「だから海外で先に広まったんですね」
「結果的に、そうなりました」
彼は棚に並ぶ瓶を一度見渡してから、少し遠くを見るような目をした。
「イタリアで飲んだ時、とても美味しかったです。初めてでも、不思議と飲みやすくて」
凛の言葉に、彼は柔らかく目を細めた。
「ありがとうございます。とはいえ、実際に酒を作っているのは妻なんですけどね」
「へぇそうなんですね」
「ええ。私は手伝いと、営業や広報を少し。あとはラベルのデザインくらいです」
彼は棚の瓶をちらりと見て、肩をすくめるように笑った。
「もともとはグラフィックデザイナーでね。ロゴやジャケットのデザインをやってたんです」 「それでどうして酒に関わるようになったんですか?」
「妻と出会って、酒の話をするうちにだんだん面白くなって。気づいたら一緒にやってたって感じです」
遥花が半ば呆れたように顔をしかめる。
「最初は、完全にノリでした」
「ノリで酒蔵……?」
「勢い、大事なんで」
今田さんは迷いなく、さらっと言い切る。
言っていること自体は冗談なのか本気なのか分からないような言葉だった。しかしその口調の奥に、本気の覚悟みたいなものが滲んでいる。
私は今田さんに妙に気圧されて、言葉を失った。徳本さんのときと、似ているかもしれない。
「ぜひ飲んでみてください」
私たち3人は自然と顔を見合わせる。
「……おすすめ、聞いてもいいですか」
凛が丁寧に言うと、今田さんは少しだけ嬉しそうに笑った。
棚に並んでいる今田酒蔵のお酒は10種類ほどあった。そこから香りの違い、味のこだわり、そこからイメージの部分まで、丁寧に説明をしてくれる。
軽いノリで始めたと言いながら、その説明の言葉たちには、裏にある執念の深さや愛情が滲んでいる。
瓶を手に取るたびに、私たちは「へえ」とか「なるほど」とか、短い相槌を打つ。
昨日、滝鷺酒造で酒蔵見学をしていたから、用語や知識がまだ残っていて、説明がスッと入ってきた。
「じゃあ、これと……これも」
「あと、『群星』も1本」
一本、また一本と瓶が入っていく。
気づけば、カゴの中は想定よりずっと賑やかになっていた。
「……けっこう多くなりましたが、持ち帰れそうですか?」
今田さんが、さすがに苦笑しながら聞いてくる。
「車旅なんで大丈夫ですよ」
彼は一瞬きょとんとしたあと、「ああ、いいですね」と、すとんと腑に落ちた顔で頷いた。
「そうだ、今田さん」
私はふと思い出して、スマホを取り出す。それから『拍』の写真を見せた。
「これを探しているんですが、ご存知ないですか?」
今田さんは写真の前で眉を顰めた後、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。うちの商品じゃないですね」
今田さんは残念そうに視線を落とした。
だが、すぐに何かを思い出したように顔を上げる。
「そうだ。今日は妻も来てるんです」
その言葉に、私たちは小さく顔を上げた。
今田さんと一緒に酒蔵を始めたという奥さんだろう。
「彼女ならお酒に詳しいですから、聞いてみてください」
今田さんは穏やかに続ける。
「ちょうど昼どきですし、よかったら一緒に食事でもどうですか?」
一瞬だけ、静かな間が生まれた。
私たちは自然に顔を見合わせる。
迷いがなかったわけではない。けれど、その迷いは確認に近かった。
視線が交わる。
そして「ぜひ、お願いします」とほとんど同時に答えた。
あまりにも綺麗に声が揃ったせいで、かえって可笑しい。
お会計を済ませると、今田さんが「じゃあ行きましょうか」と先に立った。
賑やかな売店の気配は少しずつ遠ざかり、やがて、食事処が並ぶ一角が見えてきた。
どの店も飾り気がない。観光客向けというよりも、地元の人たちのために、日常の延長線上にあるような佇まいだった。
今田さんは迷う様子もなく歩き続け、その中の一軒を指差す。
「ここです」
暖簾の掛かった、こぢんまりとした店だった。
「地味なんですけど、ちゃんと美味しいんですよ」
今田さんの言うとおり、田舎の食堂といった感じだ。
看板は年季が入っていて、文字の縁が少し剥げている。暖簾も色あせているが、その分、落ち着いた佇まいだった。
中に入ると、昼前だというのにすでに数組の客が座っていた。
カウンター越しに湯気が立ち上り、出汁の匂いがふわりと鼻をくすぐる。
鍋の蓋が開く音、食器が触れ合う乾いた音が、静かに重なっている。
「……いい匂い」
凛が小声で言う。
奥のテーブル席に案内されると、ほどなくして、もう一人の人物がこちらに気づいて近づいてきた。
柔らかく手を振るその仕草に、今田さんが軽く会釈する。
「紹介します。妻の彩子です」
大人っぽくクールな雰囲気の人だった。切れ長の目元をしていて、芯の強さが感じる。
赤茶色にメッシュに染められた髪は肩のあたりで揺れている。ぱっと見た印象では今田さんより少し若く見えた。
けれど、今田さんの隣へ腰掛けると妙にしっくりくる。性格は違いそうなのに、並んだ時の空気が自然だった。
「この子たちに、お酒を買ってもらって、酒の話を聞かれたので、一緒にご飯でもと思って」
今田さんがそう説明する。
すると彼女は私たちへ向き直り、柔らかく微笑んだ。
「初めまして」
「は、初めまして」
私は少し遅れて頭を下げた。
今田さんから話は聞いていた。酒造りの中心にいる女性。だから勝手に、もっと職人然とした人を想像していた。
酒の話になれば目の色が変わるような。
あるいは、徳本さんみたいに酒蔵の空気そのものを纏ったような人を。
けれど目の前の女性は違った。大人っぽくクールに笑い、穏やかな笑みを浮かべている。
「とりあえず、先に頼みましょうか」
今田さんが場を進めるように言う。
私たちはそれぞれメニューへ目を落とした。
メニューのメインは蕎麦だった。私たちは今田さんにお勧めされるままにそれぞれ選んで注文する。
「旅の目的は日本酒探し、ですか?」
彩子さんがおしぼりで手を拭きながら、興味深そうに聞く。
「はい」
凛がタイミングを見計らって、スマホを取り出す。
画面に映し出される、あの写真。
ラベルに刻まれた一文字『拍』。
「これを探してて」
凛はそう言って、少しだけ苦笑した。
「でも、どこで作られているのかも分からなくて」
彩子さんはスマホの画面を受け取り、写真をじっと見つめた。
「うーん……」
少し眉を寄せて、首を傾げる。
画面を拡大したり戻したりしながら、しばらく考えていたが、やがて申し訳なさそうに笑った。
「私も知らないなあ」
「……そうですか」
期待していただけに、思わず肩の力が抜ける。
やっぱり簡単にはいかないらしい。
そのタイミングで、店員が蕎麦を運んでくる。
器から立ち上る湯気とともに、かつお出汁の香りが一気に広がった。
「お待たせしました」
湯気の向こうで、黒く艶のある蕎麦が静かに揺れている。
「いただきます」
箸を入れると、蕎麦は思った以上にコシがあり、噛むとほのかな甘みが広がった。
派手さはないが、丁寧に作られている味。長時間の運転と立ち話で空いていた胃に、じんわりと染みていく。
「……美味しい」
遥花が、飾り気なく言う。
「でしょ」
今田さんが嬉しそうに微笑んだ。
蕎麦を半分ほど食べ進めたころ、彩子さんが私たちの様子を改めて眺めるように視線を巡らせた。
そして、何気ない調子で言う。
「……3人とも、音楽やってます?」
一瞬、箸が止まった。
「え?」
「なんで分かるんですか」
まだそんなことは2人に伝えていない。
私が思わず聞き返すと、彼女は小さく笑った。
「雰囲気です。立ち位置とか、視線の置き方とか」
そんなものでわかるものなのだろうか。
「それと楽器は」
そう前置きしてから、順番に指をさす。
「あなたはベース」
そういって遥花に目線を向ける。
「で、あなたがキーボード」
凛は目を丸くした。
「それからギターって感じ」
私も彼女と目が合った。
「……全部合ってる。エレキじゃなくてアコギですけどね」
私がそう言うと、彩子さんの目が少しだけ輝いた。
「へぇ、珍しいね」
意外そうというより、興味を持ったような反応だった。
彩子さんは髪をかき分けて、目を細める。
「もともと私も、バンドをしていたんですよ」
彼女は少し遠くを見るような目で言った。
バンドマンというだけで、親近感が湧く。
それにしても、グラフィックデザイナーと元バンドマンが営む酒蔵とは、なんとも不思議な取り合わせだった。
「酒蔵を始める前はライブハウスでも働いていましたし」
そう言われると、雰囲気に音楽の残り香がある。
「だからたくさんのバンドを見ているうちに、何となくわかるようになったんです」
まるで昔の景色をなぞるような口調だった。
「そこからどうして酒蔵を?」
遥花が尋ねた。
話題は自然に音楽から酒へ移っている。
彩子さんは少しだけ視線を落とし、それから静かに口を開いた。
「単にお酒が好きだったっていう理由です」
彩子さんの砕けた言い方に、思わず笑みが溢れる。
「それに音楽と日本酒って、似ているところがあると思って」
「似ている?」
私が聞き返すと、彼女は穏やかに頷いた。
「材料や技術だけでは決まらないんです。同じ楽器でも演奏する人によって音が変わる。同じ米と水でも、作る人によって酒は変わる」
その声は静かだった。
けれど言葉には確かな実感が籠っていた。
「だから私は酒造りを始めた時もあまり違和感がなかったんです」
その言葉に、どこか懐かしい響きを感じる。
酒と音楽。まるで別のものなのに、不思議と遠くない。
「そんなわけで今も酒蔵の隣で、日本酒バーをやっています。週末になると、演奏してくれる人たちも来るんですよ」
すると彩子さんは私たち3人を見渡して、少し悪戯っぽく微笑んだ。
「もしよかったら、あなたたちにも演奏してもらえないかしら?」




