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ととと  作者: 紺野 睡蓮
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13/20

12話 東広島市

 カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。ここ数日は朝に起きているからか、少しだけ身体が重い。

 それに日本酒を飲んだせいでもあるだろう。

 スタジオでギターをかき鳴らした後は、さらに気分が良くなって、ホテルに帰ってから日本酒を胃に垂れ流すように飲んでしまった。

 正確な量というのは、もう覚えていないほどだが、また一瓶を空けてしまったことだけは覚えている。

 ベッドの一段高くなった縁に手をかけ、なんとか上半身を起こす。バランス感覚がふわりと宙に浮き、部屋の景色ががぐらんぐらんと回る。これが二日酔いというやつだろうか。

 ただし吐き気とかはない。

 ふと目線を定めた先、隣のベッドの上では、凛がもう起きていて、櫛で長い黒髪を整えていた。

「おはようございます」

 凛が私に気づいて微笑む。

「……おはよ」

 掠れた声で返事をしながら、私は何度か瞬きをして、ようやくピントを合わせた。

「よくこんな早くから起きれるね」

「私はお2人ほど呑んでいませんからね」

「そんな呑んでた?」

 記憶がなくて、まるで他人事のように尋ねる。

「ええ、1人2合ほど」

「うわあ」

 気分が良かったとはいえ、お酒デビュー2日目に飲む量ではない。

 そして遥花も相当呑んでるな。

「そういえば遥花は?」

「シャワーを浴びてますよ」

 そう言われて耳を澄ますと、隣のシャワー室から水の流れる音が聞こえてきた。

 朝からのシャワーは気持ちよさそうだ。

「私も顔くらい、洗おうかな」

「ええ、そうした方がすっきりしますよ」

 その言葉に背中を押されるように、なんとか体を起こして洗面台へ向かった。

 蛇口を捻りながら、もう片方の手でタオルを取る。それから打ち水みたいに、私の顔目掛けて、水を思い切りかけた。

 冷たさが肌を刺し、飛沫ははじけてルームウェアを湿らせる。

 意識はまだ朦朧としていて、そうした些細な事柄に気を留める余裕はなかった。

 針のように刺さる冷たい水で、顔の上の不純物を洗い流しながら、ふと昨日の夜のことを思い出す。

 痺れる右手。震える鼓膜。

 高校時代の断片が蘇って、夢の縁に立つような感傷が広がった。

 顔を洗い終えると、無造作にタオルで水気を拭い取る。

 その所作は、そんな夢の縁から自分を引っ張ってくる感覚だった。

 視線を上げると、ちょうどシャワー室の扉が開いて、湯気と一緒に、遥花が出てくる。

「おはよう。昨日、随分飲んだらしいじゃん」

「さあ、覚えてないな」

 シャワーを浴びたからか、遥花の顔は血色がいい。濡れた髪をタオルで雑に拭きながら、こちらを見るなり小さく笑った。

「ぜんぜん大丈夫そうだね」

 私がそう聞くと、遥花は首を軽く回してから肩をすくめる。

「もう抜けてるし、問題ないよ」

 心配していたが、すっかりいつもの調子だった。

 頭が少し重くて、動きが鈍くなっているのは、どうやら私だけらしい。

 なんとなくそれに納得がいかなくて、私はじとっと遥花を睨む。

 すると遥花は、その視線に気づいたのか、少し呆れたように笑った。

「この旅の間に慣れるよ」

 相変わらずの軽い口調だった。濡れて束になっている前髪の隙間から覗く目が、どこか楽しそうに細められている。

 まるで、まだ始まったばかりだと言われているみたいだった。


 それから簡単に支度を済ませ、ホテルのチェックアウトを終える。

 朝の神戸は、夜より少しだけ静かだった。

 ビジネス街を抜ける風も涼しくて、昨夜の貸しスタジオでの熱気が嘘みたいに思える。

 コインパーキングへと戻り、レンタカーへ荷物を積み込むと、遥花が運転席へ乗り込んだ。

「次は広島だっけ?」

「ええ、東広島市ですね」

 後部座席の凛が、スマホを見ながら答える。

 私は助手席から身を乗り出して、その画面を覗き込んだ。

 表示されている地図には、市街地から外れた場所へ赤いピンが立っている。

 私はカーナビを操作して目的地に設定する。酒蔵の名前では出てこなかったので、住所で検索する。

「……かなり山奥だね」

 画面に表示されたルートは、途中から細い道ばかりだった。

 曲がりくねった山道が延々と続いていて、正直かなり行きづらそうに見える。


 次に向かう酒蔵。

 親父の手帳に書かれていた情報を頼りに調べてみたものの、出てきたのは簡素なInstagramのアカウントだけだった。

 ホームページは見当たらない。

 営業時間も曖昧。

 投稿頻度もまばらで、本当に営業しているのか少し不安になるレベルだ。

「逆に怖いんだけど」

 私はカーナビを見ながら呟く。

 そもそも、あの手帳がどこまで信用できるのかも分からない。

 山奥まで行って、「ありませんでした」で終わったら、さすがにダメージは大きい。

 それでも、不思議と悲観しきれなかった。

 隣では遥花が適当に鼻歌を歌い、後ろでは凛が静かにスマホを眺めている。

 この2人といると、それはそれで旅になってしまう気がした。

 窓の外では、朝の車列がゆっくり流れ始める。少し不安で、でもそれ以上に、先が気になっていた。

 遥花の運転する車は、そのまま静かに街を走り出す。


 街を抜けて高速を進むと、景色は少しずつ変わっていった。ビルの群れは減り、代わりに山の輪郭が近づいてくる。いつの間にか岡山県を抜けて、広島県に入っていた。

 窓の外には深い緑が続き、道路脇には小さな川まで流れていた。

 私は助手席でぼんやり景色を眺めていたけれど、しばらくすると、ぐう、と小さくお腹が鳴る。

「……お腹空いた」

 思わず呟くと、2人が少し笑った。

 気づけば、朝から何も食べていない。昨日は遅くまで起きていたせいで、ホテルを出る時もそこまで食欲がなかったけれど、山の景色を眺めながら長く車に揺られているうちに、お腹の空白がゆっくり輪郭を持ち、何か入れろと主張し始めていた。

 時刻を見ると、まだ11時前。昼には早い。

「どっか寄る?」

 遥花が前を見たまま聞く。

 すると凛が、スマホを操作しながら「あ」と声を漏らした。

「少し先に道の駅がありますよ」

「そこでいいじゃん」

 山道をしばらく進むと、やがて大きな看板が見えてきた。

 遥花は軽く頷き、ハンドルを切る。

 

 駐車場はサッカーができそうなほど広く、大型トラックも何台か停まっている。

 ただその分、空いている場所が多くて、停めやすかった。時間が早いせいか人はまだ少ない。

 建物もかなり大きく、土産売り場やレストランが併設されているらしい。

 朝の澄んだ空気の中、広い駐車場だけがやけに静かに見える。

「なんかこういう場所、旅行感あるよね」

 遥花が車を停めながら言った。

 たしかに、サービスエリアとも違う独特の空気がある。地元の野菜が並んでいたり、妙に大きいソフトクリームの看板が立っていたり。

 最近は目的地になるほどの道の駅もあるらしいし、ここも休日は賑わっているのかもしれない。

 私たちは車を降りて、その大きな建物へ向かって歩き出した。

 自動ドアを抜けると、建物の中には木の匂いがほんのり漂っていた。

 地元野菜の直売所。

 観光客向けの土産コーナー。

 奥には食堂まで見える。

 朝早いこともあって館内はまだ静かで、店員たちが品出しをしている音だけが響いていた。

「先にご飯食べる?」

 遥花が訊ねる。

 けれど私たちの視線は、ほとんど同時に別の方向へ向いていた。

 お土産コーナーの一角にある酒売り場。

「やはり先に見た方がいいですよね」

 今回の旅の目的が日本酒である以上、確認をしておかないと妙に落ち着かない。

 私たちは自然と酒コーナーへ足を向けた。

 並んでいたのは、地元の地酒やクラフトビールだった。

 想像していた以上に地ビールの種類が多い。

「こういうのもやってるんだ」

 私はラベルを眺めながら呟く。

 広島らしくレモンを使ったものや、山椒と八朔といった妙に攻めたフレーバーまであった。

「絶対あとで飲みたくなるやつだな」

 遥花が面白そうに瓶を持ち上げる。

 日本酒を探しに来たはずなのに、いつの間にか境界は曖昧になっている。

 

 一通り他のものも見たあと、私たちは仕切り直して日本酒の棚へ向かう。

 ずらりと並んだ一升瓶。スーパーとは違って見慣れないラベルばかりだ。

 ビールと同じく地元のものばかりなのだろう。

 私は端から順に目で追っていく。

「……ないなぁ」

 『拍』の名前は、どこにも見当たらなかった。

 やっぱり簡単には見つからない。

 少しだけ肩の力が抜ける。


 そんな時だった。

「あっ」

 凛が、小さく声を上げた。

 目を向けると、一つの瓶をじっと見つめている。

「これ……」

 凛はラベルを指先でなぞる。

「留学先のイタリアで、飲んだことがあります」

「え?」

 私は思わず瓶を覗き込んだ。

 ラベルには大胆な色使いで、浮世絵を模したような波や鶴の絵柄が描かれていて、金色の箔まで散りばめられている。

 『群星』という名前の銘柄の文字も大きく、遠目でもすぐ分かるくらい主張が強い。

 ただのラベルというよりは、アート作品みたいだった。

 派手なのに色遣いが繊細で重厚感があるから安っぽさはない。それゆえに棚の中で自然と目を引く。

 そしてその下に書かれていた酒蔵の名前を見て、私はハッとした。

 手帳の地図で、赤印がついていた今田酒蔵だ。

「これ、目的地のところじゃん」

 覗き込んだ遥花も気づいたらしく、少し驚いた声を出す。

「イタリアだと、日本酒といえばこれ、みたいな感じでしたよ」

「なるほど。たしかにラベル、めちゃくちゃ“ 和って感じだもんね。海外意識してそう」

 波や鶴の絵柄に、派手な金の装飾。

 遠くから見ても、日本のものだとすぐ分かるデザインだった。

 偶然なのだろうが、それでも運命的なものを感じてしまう。

 私はその瓶を見つめたまま、小さく息を飲んだ。

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