第40話 重い選択肢
私たちには受験勉強がある。そのため、毎日顔を出していた部室へ行く頻度は週三に減った。
それでも私と唄子は昼休みを利用して、着々と人形劇の準備を進めていた。
そして、強制ではないと言っていたのに、ミャー子と咲子も昼休み部室で一緒にお弁当を食べ、予鈴が鳴るまで一緒に頑張っていた。
「山田君もここで食べればいいのに」
お弁当を食べながら、唄子がここにいない男子部員について意見すると、ミャー子はちょっと嫌そうな顔を見せた。
「お言葉ですが、坊主は必要最小限でいいです。せっかく先輩たちやサッ子と女子ランチしてるのに、坊主がいたら雰囲気ぶち壊しですよ」
「ハハハハ……」
当初に比べるとずいぶん関係は改善された印象だが、ミャー子の坊主アレルギーは根深い。
相変わらずアンチ坊主なミャー子に、唄子と私は苦笑しか出てこない。
「まあ、コータも女子と一緒だと冷やかされるって言ってたし、これくらいでいいんじゃない。どうせお弁当食べたらここへ来るわけだし」
「そうですね。噂をすれば坊主の足音が聞こえてきましたよ」
ミャー子の言うとおり、しばらくすると部室の戸が開き、康太が顔を出した。
「お疲れさまー」
坊主頭が合流して、部員が全員揃った。
これで人形劇のリハーサルを始められる。
机にあったお弁当箱を片付けて、私たちは配役の決まった各々の人形を手に取った。
「では全員揃ったところで始めましょう。じゃあミャー子、じゃなかった部長、指示をお願いします」
「もう、彩夏先輩、やめて下さいよ。ミャー子でいいですって。今までどおりミャー子と呼んで下さい」
部長となった今も、ミャー子は相変わらず私と唄子に甘えてくる。
こうしていられるのもあとひと月ほど、それまではたっぷり甘えさせてあげようかな。
「では浦島太郎が亀に出会う所から行きます。皆さん配置についてください」
こうして私たちは保育園訪問に向けた練習を積み重ねていく。
瑞希先輩とこの葉先輩のいない人形劇は少し寂しいけれど、ミャー子と咲子が新しい彩りを加えてくれる。
きっと唄子も同じ気持ちなんだろうな。
そして、濃密な時間はあっという間に過ぎていく。
予鈴の鳴った部室で、私たちは壁に掛けられた時計を見上げる。
「けっこういい出来だったんじゃない?」
私は感じたままの手ごたえをミャー子に訊いてみた。
「はい。毎日良くなってると思います。特に唄子先輩の乙姫様は何度聴いてもいいですよね」
唄子の演じる乙姫は、皆で意見を出し合った結果、台詞だけでなく歌を入れることになった。
竜宮城に招かれた浦島太郎に乙姫が一曲歌を聴かせるという場面を入れたのだが、唄子の歌唱力と噛み合って、物語により深みが出た印象になった。
そしてミャー子は最後を締めくくる。
「と言うわけで、とても良かったんですが、山田先輩」
「はい」
「亀を動かしてるとき、たまに頭が出たり入ったりしてます。気を付けて下さい」
「あ、ゴメン。花山さん」
素直に謝った康太に、ミャー子は少し不満げな顔を向けた。
「あのー山田先輩、私も彩夏先輩から一応部長を引き継ぎましたので、これからは部長と呼んでもらえますか」
「え? アーちゃんにはミャー子でいいって……」
「それとこれとは話が違います。いえ、次元が違います」
何だかよく分からない理屈だが、要するに坊主には厳しいわけだ。
康太は苦笑交じりに「はい部長」とミャー子に返す。
「では解散します。皆さん、明日もよろしくお願いします」
上機嫌で解散をしたあと、ミャー子は私と唄子の腕を取る。
「途中までご一緒します」
やっぱりミャー子は、まだまだ甘えたいみたいだ。
部室の鍵を閉めたあと、咲子も入れた四人で、私たちは小走りに教室へと向かったのだった。
受験勉強は一人では退屈だ。
そしてなにより、普段から私はテスト勉強に関して、唄子の学力に頼り切っている。
部活の無い日はお互いの家に勉強をしに行く。そう二人で決めていた。
そして、今日は私が唄子の家へとやって来た。
今頃、ミャー子と咲子は部室で人形劇の準備を進めているんだろうな。
そんなことをふと考えながら、私は問題集の解答を埋めていく。
「ねえ」
一瞬遅れて反応した私に、唄子は含み笑いを見せた。
「いま、部活のこと考えてなかった?」
「まあね。さては心を読んだな」
「フフフ、バレてしまったか」
これは完全に冗談だ。
私たちはお互いの感覚は共有できても、相手の思考が共有できるわけではない。
もしお互いの心の中を自然と知ってしまうのならば、気持ち悪くって一緒にいられないだろう。
「ねえ、そろそろ休憩にしない?」
「いいけど、またアレってこと?」
「うん。アレを楽しみにしてるの」
唄子の言うアレというのは、一階の防音室でピアノを弾いてもらいたいということだった。
ここへ来るたび、唄子は私にピアノを弾くようおねだりしてくる。
「ねえ、いいでしょ」
「まあ、別にいいけど」
特に上手くもない私のピアノで唄子は歌を歌いたがる。
私が肩を貸すから、母親に弾いてもらって歌ったらと助言しても、唄子は頑なに私とがいいと言い切った。
春の演奏会の時に練習した甲斐あって、私も多少は上手くなったと自負していたが、それでも唄子の美声に相応しいとは到底思えなかった。
私は立派なグランドピアノの前に座り、鍵盤に指を置く。
「レパートリー無いから、また「春よ来い」でいい?」
「うん。お願い」
唄子は上機嫌で私の肩に手を置く。
そして、前奏を弾き始めた私に、唄子はいつもと同じ注文を付けてくる。
「ねえ、彩夏も一緒に歌ってよ」
「いいけど、へたっぴだよ」
そして私たちは二人で合唱する。
何度聞いても唄子の歌声は特別だ。
澄み切ったその声は、私のつたない伴奏をドラマティックに変えてしまう。
春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする
唄子は音楽がやりたいんだろうな。
私は伸びやかに歌い続ける彼女を感じながらそう思う。
耳のハンデを超えた唄子は、誰もが憧れる歌い手になれると思う。
本当に神様は意地悪だ。
この悦びを条件付きで与えるなんて。
そして私にも……
濃密な音楽の時間が終わり、私は鍵盤から指を降ろす。
二人で短い余韻に浸っていると、音もなく防音室の扉が開いた。
「いい演奏だったわ。上手くなったわね」
漏れていた音をそこで聴いていたのだろう。唄子の母は拍手をしながら部屋へと入って来た。
「すみません、勝手にピアノを使わせてもらって」
「いいのよ。この部屋は自由に使って」
最近頻繁に家にお邪魔しているせいで、こうして唄子の母と顔を合わせる機会が増えた。
家政婦の美津江さんとは違って、少し近寄りがたい雰囲気の人だが、顔を合わせる度に少しは話をするようになった。
唄子の母は私の近くへ来ると、鍵盤にその細い指を置いた。
「このフレーズはこんな感じがいいかしら」
片手でサラリと弾いてから、唄子の母は私の肩に手を置いた。
「志藤さん、実はあなたに少し話があるの」
そしてこの後、私は、いや私たちは、とても重い選択肢を彼女から提示されたのだった。




