第36話 決意と涙
六月の長雨がいったん収まり、この時期にしては貴重な晴天に恵まれた放課後、私たちボランティア部は近隣の清掃活動に赴いた。
校門を出る前にさしかかったグラウンドでは野球部が走り込みをしていて、その坊主頭の面々の中には康太の姿もあった。
兼部している都合上、グラウンドの使える日は必ず野球部の練習が入るので、まあこういった感じになる。
そんな康太に冷やかしがてら女子四人で声援を送ってやり、私たちは急こう配の丘を下りて県道へ出た。
「じゃあ、二手に分かれて清掃活動を行います。ミャー子、サッ子と組んで左手をお願いできる?」
「はい。お任せください」
いつも私たちにべったりだったミャー子は、咲子が入部してから感じが変わった。
初めて出来たたった一人の後輩に、頼りがいのある先輩であると思ってもらえるように頑張っている。そんな印象を私は抱いていた。
そして体育大会以降、二人は結構仲がいい。
積極的に後輩に絡んでいくミャー子に咲子も話し易いのか、最近は自然と二人でペアを組んで活動することが多くなった。
「じゃあ、今日も頑張ろう。風ノ巻ー、ファイ!」
「オー!」
瑞希先輩がやり始めた、なんだか体育会系の掛け声で気合いを入れてから、私たちは二手に分かれて清掃活動を開始した。
最近風が強かったせいか、飛ばされてきたであろう軽いゴミ屑が沿道に幾つか見える。
この時期特有の蒸し暑さの中、額に汗を滲ませつつ45リットルのビニール袋を少しずつ膨らませていき、私と唄子は一旦小休止を取った。
そして、唄子は水筒のお茶を喉を鳴らして飲んだ後、かなり遠ざかってしまった後輩たちを振り返った。
「ミャー子、張り切ってるよね」
後輩に眼差しを向ける唄子に、私は「そうだね」と頷く。
「唄子の言うとおり、いつの間にかミャー子も先輩って感じになって来たね」
私たちがそうであったように、後輩が出来たことでミャー子は戸惑いながらも先輩として前に進み始めている。
随分と楽しそうなのは、もしかすると今彼女は、妹ができたような感覚を味わっているのかも知れない。
すると、まるで私の心を覗いていたかのように、唄子はこんなことを言って来た。
「ミャー子にとって私たちは姉って感覚で、今は妹ができた感じなのかも知れないね」
「それ、私も思った。ミャー子は末っ子でお兄ちゃんばっかりだから、実は妹とかの世話を焼いてみたかったのかも知れないよね」
ピッタリと意見が噛み合って、私と唄子はしばらくその話題で盛り上がる。
「ねえ唄子」
多分いま、私は真面目な顔をしている。
少し前から言わなければいけないと思っていたことを、このタイミングで切り出すことにしたからだ。
「私、そろそろミャー子に部長を引き継ごうって思う。それで夏の人形劇を最後に引退しようって思ってる」
ハッとしたような唄子の顔。
それでも言い出すことが分かっていたのか、私の言葉を唄子はゆっくりと噛み締めるように反芻した。
「夏の人形劇で最後か……」
ようやく溜め込んでいたものをを打ち明けることができた私は、どこかでホッとしていた。
遠くない未来に部活を引退するということを聞いて、唄子は複雑な表情で小さく頷いたあと、私の眼を真っすぐに見てきた。
「分かった。じゃあ私たち、それまでは全力疾走しよう」
「唄子もそれでいいの?」
「うん。彩夏と一緒に私も部を去る。二人で立ち上げた部だもんね。出て行く時も一緒だよ」
その言葉に私の胸の中はジンとなる。
あの出会いから始まった何気なくて忙しい日々が甦る。
そのすべてが出鱈目な偶然で、思い返せば必然だった。
「引継ぎの件、近いうちにミャー子に言わないといけないね」
唄子に促され、私は少し渋い顔をしてしまう。
「それなー、言い出しにくいのよね。唄子が言ってくんない?」
「やだよ。私部長じゃないし、泣かしたくないし。これは彩夏の仕事だよ」
「わかった。じゃあ二人一緒に言おう。私は低音パートで唄子は高音パートでさ」
「ハモるってこと? 緊張感ないわー」
ケラケラと唄子が笑い声を上げる。
もしハモったらミャー子はどんな顔をするだろうか。
泣き出しそうな顔をしつつ爆笑しているミャー子を想像して、私も思わず吹き出す。
そして、こんな何気ない放課後を唄子と過ごせていることに、私は幸せを感じていた。
清掃活動を終えて、私たちは膨らんだゴミ袋を片手に学校へと続く丘を駆け上がる。
いきなり競争しようと言い出したミャー子に、乗せられた感じで走り出した私は、マラソン大会の難所であるこの心臓破りの坂を唄子と共に一気に駆け上がった。
「きっつ、マラソン大会ではみんな最後にこれを本気で駆け上がってるのか」
今まで一度も本気で走ったことのなかった坂を上り終えて、私は両ひざに手を置いたまま空気を貪った。
言い出しっぺで一番先にゴールしたミャー子も、大きく口を開けて肩で息をしている。
「はあはあ、先輩、私一番でゴールしましたよ」
「そうね。私たちの完敗だわ」
それからようやく最後に追いついてきた咲子に、私たちは「お疲れさま」と声を揃える。
「せ、先輩たち速すぎです。運動部でもこんな坂、全力疾走してませんよ」
息も絶え絶えにへたりこんだ咲子に、私は水筒に残っていた麦茶を飲ませておいた。
「なんだか付き合わせてごめんね。もう、ミャー子、本気出し過ぎだよ」
「体育大会前に砂浜で走り込みをさせられたお返しですよ。砂浜では先輩たちに歯が立ちませんでしたが、坂道なら自信あったんで」
陽気にリベンジを果たしたミャー子は、そのまま私の手を取る。
「先輩、一番になったご褒美を下さいよ」
無邪気にそう言ったミャー子の頭に私は手を置いた。
そして、汗でしっとりしている頭を撫でてやる。
「えらいえらい」
「へへへ、もっと撫でて下さい」
嬉しそうな笑顔を見せるミャー子がとても愛おしい。
そして唐突に、今がその時であることを私は感じ取った。
「ミャー子、一等賞のご褒美はボランティア部の部長だよ」
無邪気な笑顔を見せていたミャー子が大きく目を見開いた。
「せんぱ……」
「花山美弥子さん」
何かを言いかけたミャー子の声にかぶせるように、私はその肩に両手を置いた。
「あなたを次期ボランティア部部長に任命します。受けてくれますか?」
「……」
ミャー子は口を開いたまま固まってしまった。
自分が部長を引き継ぐ、その意味を彼女は痛々しいほどに感じているのだろう。
「夏の人形劇を最後に私と唄子は引退するつもり。あともう少し私たちはミャー子たちの傍にいてお手伝いするね」
「先輩……」
ミャー子の眼から涙が溢れ出す。
頬を伝う涙が足元にぽとぽとと落ちていく度に、私の胸は切ないもので満たされていく。
「受験勉強をして高校へ進学して、私はまたボランティアサークルを立ち上げる。もし良ければまた私の後輩になって」
そしてミャー子は涙で顔を濡らしたまま、私の胸に飛び込んできた。
「私、先輩からボランティア部を引き継ぎます。だから約束してください、瑞希先輩やこの葉先輩みたいに、高校生になってもミャー子に会いに来るって」
「馬鹿ね……」
そして、顔を上げたミャー子に私は約束をしたのだった。
「そんなの、あたりまえじゃない」
海から駆けあがって来る風が、私たちの髪をなびかせる。
ボランティア部の先頭を歩いてきた私の握っていたバトンは、いま愛おしいこの後輩に手渡されたのだった。




