第26話 桜の季節
コンサートへの出演という大役を終え、平常運転に戻った日々を過ごしているうちに、風ノ巻中に春がやって来た。
パリッとした新しい制服に身を包んだ新入生が学校へ通い始め、当たり前だが私と唄子は三年生になった。
同じクラスになれるか心配していたが、そこは二分の一の確率で当たりを引けた。
三年A組の教室は、一階分だけ窓からの景色が変わっただけで、それほど二年の時と変わり映えしなかった。
おまけに担任も二年からスライドしてきた柴田だったので、余計に三年になったという実感が湧かなかった。
昨年二年に上がった時もそんな感じで、今思うと、小学校からここへ来た一年生の時が、ときめきのピークだった気がする。
柴田は手話のできる私を唄子の補佐役として今年も任命し、私たちは変わり映えしない三年生のスタートを切ったのだった。
「ねえ、彩夏、部活のみんなでお花見に行かない?」
「え、別にかまわないけど」
部室でお弁当を食べていた時、唄子はいきなり誘ってきた。
去年部室をもらって以来、私と唄子はここでお弁当を食べている。
「そう、じゃあ今度の週末空けといて」
「了解。先輩たちとミャー子にも連絡しとくね」
そう言ってから、私は大事なことを聞き忘れていることに気が付いた。
「それで、場所はどこでやるの?」
「フフフ、聞いて驚きなさいよ」
勿体ぶった感じの唄子から聞いたその場所は、以前に桜が見事だと聞いていたあの介護施設だった。
「いいけど少し遠いな。近場なら初詣に行った神社とかけっこういいよ」
「そうかも知れないけど、あそこがいいの」
「どういうこと?」
何かあそこにこだわる理由があるみたいだ。
私が尋ねると、唄子はひと言で応えた。
「招待されてるのよ」
「招待? ボランティア部が?」
詳しく話を聞くと、唄子はあの介護施設で出会った耳にハンデのあるおばあちゃんと、あれからずっと連絡を取り合っていたらしい。
そして年に一度の盛大なお花見会を催す日に、呼んでくれたのだそうだ。
「是非皆さんでって誘ってくれたの。料理も飲み物を用意してくれるし駅までバスも出してくれるって」
「手ぶらでいいって言うことか……律子先生が聞いたら大喜びだろうな」
するとどういうアンテナを張っているのか、戸を開けて律子先生が部室に入ってきた。
「なんだか呼ばれた気がしたんだけど」
心を読まれてる? 私は真面目にそう思った。
「丁度良かったです。実は……」
こうしてまた、あの介護施設へと赴くことになったのだった。
マイクロバスの車窓から見える見事な桜並木。
薄紅色のトンネルを通って、私たちは再びあの介護施設へとやって来た。
「ようこそ。お待ちしてましたよ」
施設長に出迎えてもらい、私たちは広い中庭に案内された。
「わあ」
思わず見上げて声を上げてしまうような満開の桜の景色が、そこには広がっていた。
「今日は少し肌寒いですが、ここでバーベキューなんです。たくさん食べて楽しんで行ってください」
お花見にはお年寄りだけではなく、若い人たちも混ざっていた。
きっと自分たちと同じように、このお花見会に招待されたのだろう。
職員が肉を焼き始め、いい匂いがしだすと、唄子は私の手を引いて、あのおばあちゃんの所へ行った。
「おばあちゃん、こんにちは」
唄子が手話で伝えると、おばあちゃんは「よく来てくれたね」と返してきた。
そして唄子は、おばあちゃんの傍らに立っていた大柄なおじさんに少し目をやってから、「ご家族ですか」と尋ねた。
すると、その手話の内容を理解しているのか、おじさんは私たちにぺこりと一礼した。
「いつぞやは母がお世話になったと聞きました。あなたが手話で同時通訳をしてくれた方ですか」
「あ、はい。鳴瀬唄子といいます。それと彼女はうちの部の部長の……」
「志藤彩夏です」
「大宮栄吾です。その節はありがとうございました」
自己紹介を終えると、おばあちゃんは手話を使って、息子は漁協に勤めていて時々ここへ顔を出してくれるのだと、説明した。
「そうですか。いい息子さんですね」
にこやかに唄子は手話でそう伝えた。
多分唄子は、この耳にハンデのあるおばあちゃんが孤独なのではないかと心配だったのだろう。
優しそうな息子の存在を知ったことで唄子は安堵している。私はそんな気がした。
お花見会が始まると、律子先生は肉にかぶりつき、ビールを勢いよく飲み始めた。
施設長が「遠慮せずに」と言っていたので、いま実行しているのであろう。
今日は康太は野球の試合があり、園芸部の清子は家族でお花見なのでここにはいなかった。
坊主不在の中、二人の優しい先輩に挟まれて、ミャー子は本当に楽しそうだ。
「綺麗だね」
唄子が紙コップを片手に頭上を見上げる。
「うん。本当に綺麗」
一年に一度、ほんの僅かな間にだけ見られる美しい景色に、私はそれ以上の言葉を思いつくことができなかった。




