第19話 もう一つの舞台
施設訪問二日目。
施設に入った私たちは、施設長の案内で上演予定であるホールへと向かった。
窓の外はかなり日が落ちて、冷たく澄んだ冬の空気の向こうに、山里の景色がぼんやりと蒼く浮かび上がっていた。
瑞希先輩とこの葉先輩は、先に職員の女性と照明に関する打ち合わせを行う。
スポットライトで舞台を盛り上げるのは、こちらの人数の関係で施設の人の手を借りることになっていた。
先輩たちが打ち合わせを行っている間に、私たちは舞台の設営に取り掛かる。
舞台の準備中、淡々と手を動かすメンバーの中で、唄子は冷静に見えつつもどこかいつもと違う張りつめた空気をまとっていた。
ここでは手話による同時通訳という初めての試みを行う。
いつもそうしているように、いま彼女は徐々に集中力を上げていっているのだろう。
そんな唄子以外、メンバーの雰囲気は昨日とあまり変わらない。
先輩二人は落ち着いた感じだし、康太は寡黙に今日も手を動かす。
ミャー子はというと、昨日に引き続き「今日もやってやりますよ」と、意気込みを前面に押し出している。
やや予想外だったのは、昨日の上演で少しは余裕も出たであろうと思っていた園芸部部長の清子が、昨日と全く同じ感じで真っ青な顔をしていたことだった。
「駄目。なんだか吐きそう……」
「頼むから舞台裏で吐かないでね」
畑違いのことに関して、彼女はなかなか順応できない人みたいだ。
土壇場になって主役を無理やり押し付けたことに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
順調に舞台の設営が終わり、ホールにお客さんが入り始めた。
上演開始を前に、唄子は席に着いていく人たちを見渡す。
そして、あの耳の不自由なおばあちゃんが一番後ろに車椅子を停めたのを見て、唄子はすぐに私の手を引いて職員のもと向かった。
「どうかされましたか?」
「はい。あの耳にハンデのあるおばあちゃんですけど、一番前のあの辺りで観られるようにお願いできますか」
「ええ。いいですよ」
職員の女性は特に理由を聞くわけでもなく、すぐにおばあちゃんのもとへと向かうと、車椅子を押して最前列の端に移動させてくれた。
「ここでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
おばあちゃんが少し目が悪いことも唄子は織り込んでいたみたいだ。
ここからなら人形劇の舞台も、手話によるナレーションも良く見える。
「こんにちは、おばあちゃん」
手話を入れながら唄子はおばあちゃんに笑いかける。
おばあちゃんは「頑張ってね。楽しみにしているからね」と、手話で返した。
ホールの席が埋まって、施設長がマイクを取る。
「皆さまお待たせしました。これより、風ノ巻ボランティア部による人形劇を開催いたします」
そして、人形劇の幕は上がった。
ナレーションの第一声を発する前に、私は隣に立つ唄子に目配せをした。
やるよ。
うん。
目でお互いの意志を伝えあい、私は第一声を発した。
「むかしむかしある所に、大きな美しいお城がありました。その美しいお城には、この世で最も美しいお妃が住んでいました」
私のナレーションに合わせて、唄子は口を大きく動かしながら滑らかな手話で通訳をしていく。
手話による同時通訳に、観客の中で小さな驚きの声が上がる。
私は上々の滑り出しにやや安堵しつつ、次のナレーションを入れる。
「美しいお妃は魔法の鏡を持っていました。彼女は今日も魔法の鏡に問いかけます」
ここでナレーションが終わり、舞台上ではこの葉先輩の扮するお妃の人形が魔法の鏡にあの有名な質問をする。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
「それは、お妃さまです」
唄子はこの葉先輩の台詞を同時通訳し、続いて鏡役の康太の台詞を滑らかな手話で通訳する。
「魔法の鏡は決して嘘はつきません。お妃はその答に満足です。そしてある日、いつものようにお妃は鏡に問いかけました」
ナレーションと登場人物の台詞を、唄子は素早く丁寧に手話にしていく。その集中力に私は舌を巻かされっぱなしだ。
物語が進行していくにつれ、役をしているメンバーの声が熱を帯びていく。
唄子はその熱量を表現するかのように、手の動きに合わせて表情を変化させていった。
そして、いつしか物語はクライマックスへと移行し、王子役の瑞希先輩の声が熱くホールに広がった。
「小人さん達、最後に白雪姫にお別れのキスをしていいかい?」
そして、最後のキスシーン。
なんとなく名残惜しいような、そんな気持ちが私の中にフッと湧いた。
「白雪姫、どうか僕と結婚してください」
物語がフィナーレを迎え、最後に私はナレーションを入れる。
「白雪姫は自分を助けてくれた王子を大好きになりました。小人たちも大喜びです。白雪姫を殺そうとした妃は罰を受け、結婚した白雪姫と王子様はいつまでも幸せに暮らしました」
ホールに拍手が湧きおこった。
丁寧に最後まで手話によるナレーションを終えた唄子は、額に汗を浮かべたまま観客に一礼し、目の前で大きな拍手をしてくれるおばあちゃんに笑顔を見せた。
また一つ君は前に進んだんだね。
全てを出しきってそこに立つ彼女がただただ眩しい。
そんな親友と同じ景色を見られることに、私は誇らしさを感じていた。




