第15話 一つの出会い
二番目の施設に赴き、最初に案内されたのは、二階にある海の見えるホールだった。
「今回、皆さんにはこちらで劇をして頂く予定です」
おおよそ六十代くらいの施設長が、温和な物腰で舞台設置の説明をすると、すぐに瑞希先輩が手を挙げた。
「前回は談話室でしたけど、そちらでは無いんですか?」
「こちらの方が若干広いですし、それに……」
施設長は顔を上げて天井を指さした。
「上演する時には暗くなっておりますので、そこの間接照明をスポットライトの様にして舞台を演出する段取りです。明るさやタイミングはあそこのスイッチで調整できますので、希望があれば担当の職員に指示をしておいて下さい」
成る程、照明の演出がここでは使えるという訳か。
きっと保育園の時よりも雰囲気が出るに違いない。
「すみません。ちょっと雰囲気を見ておきたいので、触らせてもらっても構いませんか?」
「ええ、勿論構いません」
瑞希先輩は壁際に幾つかあるスイッチを操作して、しばらく照明の具合を確認する。
「カーテンを引かせてもらっても?」
「ええ、どうぞ」
全ての窓のカーテンを引いてみたが、遮光カーテンではないので、たくさんある窓からの外光を充分に弱めることができない。
「もう少し暗くなってから確認した方が良さそうね」
壁にある時計を見ると、まだ午後三時。
冬場だし、あと二時間もすればかなり暗くはなって来るだろう。
瑞希先輩はほんの少しだけ考えるようなしぐさをした後、やや申し訳なさげに訊いてきた。
「二人とも、少し遅くなっても大丈夫?」
「はい、私は全然。唄子は?」
「私も大丈夫です」
また別の日に出直すのは難しい。ならば選択肢はこれしかないだろう。
施設長はまだしばらく待つことに決めた私たちに、少し移動しましょうかと言ってきた。
「談話室でお茶でもどうですか? お菓子も用意してありますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
施設長の厚意で、私たちは談話室でお茶とお菓子を頂きながら時間を潰すことにした。
談話室に入ると、そこには約十名のお年寄りたちがいて、それぞれ思い思いにゆったりとした時間を過ごしていた。
「やあ、今年も来てくれたんだねえ」
声を掛けてきたおじいさんに瑞希先輩が笑顔で返す。
「こんにちはおじいちゃん。元気だった?」
「ああ、このとおりだよ。そちらの二人は初めてだね」
「うん。うちの後輩。今年は賑やかにやっちゃうよ」
「そうかい。楽しみにしてるよ」
かなりフランクにおじいちゃんと話した後、そこにいる他の人たちとも瑞希先輩は順番に絡んでいった。
唄子と並んでそんな先輩の様子を見ていると、唄子が私の袖を引っ張った。
「彩夏、ちょっとあれを見て」
唄子の言った方に目を向けると、そこには車椅子に座ったおばあちゃんがいて、職員の女の人と向かい合って何かを話していた。
いや、正確には話しているのではなく、二人は手話でやり取りをしていた。
「ちょっといい?」
唄子は私の手を取ると、手話でやり取りをしている二人のもとへと向かった。
「お話、出来そうですか?」
唄子が職員の女性に尋ねると、やや困ったような顔が帰って来た。
「え? ああ、まだ私、勉強中で、上手く意思疎通ができなくって」
どうやら唄子は二人があまり意思疎通できないことに気が付いていたみたいだ。
唄子はそのまま滑らかな手話でおばあちゃんに語り掛ける。
すると、彼女は少し驚いたような顔をしたあと、唄子に向かって手話で返した。
その内容は、勉強中の私にはかなり解りにくいものだった。
それからひとしきりやり取りした後、唄子は彼女の言いたいことを職員の女性に伝えた。
「部屋にあるテレビのリモコンの電池を昨日入れ替えてもらったんだけど、やっぱりテレビがつかないそうです。もしかしたらリモコン自体が故障してるのかもって言ってます」
「え? そうだったんですか? わかりました。すぐに確認します」
鮮やかに問題を解決して見せた唄子に、職員の女性はお礼を言ってから事務所へ戻っていった。
ありがとう
おばあちゃんが唄子に手話でそう伝えた。
流石にこれは私でも分かった。
もし良ければ、少しお話しない?
ゆっくりとした手話でおばあちゃんがそう伝えると、唄子はニコリと笑って「もちろん」と、手話で返した。
話し相手があまりいないのか、おばあちゃんは楽し気に唄子との手話を楽しんだ。
私はその間ずっと唄子の隣で二人のやり取りに時々参加させてもらっていたが、半分以上会話について行けず、唄子の解説に頼ってしまった。
足がずいぶん悪くなったことで身の回りのことができなくなってきたのをきっかけに、おばあちゃんは去年の秋にこの施設に入った。
春にはとても綺麗な桜を咲かせるという評判を聞いてここに決めた彼女は、噂通りの桜を見られたことにとても満足しているのだという。
だが、手話のできた職員が夏に体を壊して退職してしまい、このところ意思の疎通に困っているのだそうだ。
それから唄子と私は、窓の外が少し暗くなりだすまでおばあちゃんと雑談していた。
「そろそろ照明の確認に行こうか」
瑞希先輩に促されて、私と唄子はおばあちゃんにまた来ますねと挨拶をしてから談話室を出た。
ホールに戻り、間接照明のあたり方を確認してから、私たち三人は施設を後にした。
また駅まで車で送ってもらい、あまり便数の少ない電車に乗った帰り道、気疲れしたのか瑞希先輩は寝息を立てつつ眠ってしまった。
心地よい電車の揺れに、少し私もウトウトしかけた時に、隣にいる唄子の声がした。
「彩夏、ちょっと話があるんだけど」
私は少しぼーっとした頭で、唄子に顔を向ける。
「なに?」
「あのさ、今日あの施設で会ったおばあちゃんのことなんだけど」
やや切り出しにくそうにしている唄子に、何かまた厄介なことを思いついたのだと、私はほぼ確信した。
「今度はいったい何を思いついたの?」
「察しがいいわね。実は……」
唄子の口から出て来たその内容は、私に深いため息をつかせた。




