第五章 加藤みゆき
夏休みも八月に入った。みゆき姉ちゃんは既に学校からの宿題を終わらせて、自主的に勉強を進めている。日々ピアノの練習にも励んでいる。双子のお姉ちゃん達は、一学期の最終日に自分達の部屋にランドセルを投げ捨てたまま、一度も開いていない。とっても対照的だ。
一学期の終業式の日、双子のお姉ちゃん達は学校の通知表とアサガオの鉢を、左右の手に持って帰って来た。通知表の方はお父さんとお母さんに渡した。成績はみゆき姉ちゃんとは違い、かなり悪い。でもいつもお父さんに抱きかかえられて褒められている。それは見ているところが、成績ではなく、先生からのメッセージや、学校での生活態度の部分だからだ。お父さんは成績よりも健康で明るく思いやりのある子に育って貰いたいと願っているらしく、そんなメッセージが常に書かれてあるのだ。おいらもそんなお姉ちゃん達が大好きだ。
だが、アサガオの鉢の方は、既にアサガオの鉢ではなくなっている。
「これ、何も埋まってないよね」
おいらが言うと、お姉ちゃん達は揃って口にした。
「これから芽が生えてくるの楽しみだねえ」
残念なことに、これは何も生えてこないよ。おいらには枯れていることが匂いでわかる。だが先日、まき姉ちゃんの方の鉢に、何か生えてきた。
「まきのアサガオ生えてきた」
本人は喜んでいたが、それはアサガオの芽ではなかった。『オヒシバ』と言って、よく空き地を草ボウボウにしてしまう原因の雑草だ。強靭な生命力で、その力強さから『雄』の名前が付いて『雄日芝』と書くのだ。別名『チカラグサ』とも言う。まあ、まき姉ちゃんの鉢に生えるのは恐らくその草くらいだろう。でも本人は嬉しいみたいだから、それでも育てたら良いかもしれない。要らなくなったらおいらが食べさせてもらうよ。
みき姉ちゃんは、まき姉ちゃんの方に芽が出たのが悔しかったらしく、毎日バケツをひっくり返したくらいの水を与えている。おかげで土が大量に流されてしまい、鉢の中には三分の一くらいしか残っていない。雑草のような生命力でも、みき姉ちゃんには勝てないみたいで、全く何も生えてこない。
そんな二人は、毎日外で遊びまくり、日に焼けて真っ黒だった。もちろんいつもおいらが一緒だから、こっちも毎日大変なのだ。だが、今日は珍しく家でずっとテレビゲームをして遊んでいる。ゲームの内容は格闘ゲームだ。二人いると対戦相手に困らず、一段と熱が入るみたいだ。
そんな戦士達の休息を良いことに、おいらはのんびりとみゆき姉ちゃんの部屋で休んでいた。美しい音色にうっとりしながら、よだれを垂らして寝ていた。みゆき姉ちゃんは、ピアノを弾きながらその曲の説明をしてくれた。
「この曲はね『ショパンの練習曲作品十第三番ホ長調』って言うの。最初聞いた時に凄く感動してね、これを自分で自由に弾きこなせるようになりたくてピアノを始めたのよ」
せっかくの解説だが、何のことかよくわからないよ。
その後、演奏はしばらく続いた。その間、ずっと寝続けていたみたいだ。どのくらい経ったのかはわからないが、ピアノの演奏が終わって目が覚めた。
「じゃあちゃすけ、私ピアノ教室に行ってくるから。また後でね」
そう言って、手を振って部屋を出て行ってしまった。おいらだけみゆき姉ちゃんの部屋に残された。とっても残念だ。テレビのある部屋に行くと、きっと格闘ゲームで興奮した二人に『最強拳』『もっと最強拳』『それより強い最強拳』とか食らうんだろうなあ。このまま、ここで寝ていようかなあ。でも、あの二人は視界に入っていないと逆に不安だしなあ。
おいらは、そーっとテレビの部屋に行き、隅の方で見つからないように寝たふりをしていた。しばらくは、ばれていなかったみたいだが、途中で二人の激しい会話が止まった。嫌な予感。あ、足音が近付いて来る。なんか、二人してそーっとそーっと歩いている。そんなことしても全部聞こえているのに。
「行くぞ、これでも食らえ。必殺ちゃっ拳」
いろんな格好させられて、意味不明な言葉と攻撃を食らった。参ったなあ。もう降参だよ。
夕方になり、そろそろみゆき姉ちゃんが帰ってくる時間になった頃、家の電話が鳴った。お母さんがそれに出て「じゃあ頑張ってね。先生によろしくね」と告げた。みゆき姉ちゃんの携帯電話からの連絡で、もう少し練習してから帰るとの内容だったみたいだ。みゆき姉ちゃんは前回の発表会でかなり高い評価を受け、秋に行われるコンクールに参加することになったのだ。そのための日々猛練習を行なっている。
それからお父さんも帰って来て、しばらく時間が経過したが、みゆき姉ちゃんは帰って来ない。もう外は真っ暗だ。お母さんが心配して、携帯に電話したが出ないらしい。お父さんはピアノ教室まで車で迎えに行くと言い出した。行き違いになるかもしれないということで、お母さんは家に残ることになった。
その時、家の呼び鈴がなった。こんな夜なのに誰だろう。危ない人かもしれないので、おいらも玄関まで行くことにした。
お母さんが扉を開けると、そこには目つきの悪い怪しい連中が立っていた。相手は二人組の大人の男だった。それにしても結構体格が良い。まあおいらにしてみれば、双子のお姉ちゃん達の方がよっぽど怖い。
「夜分申し訳ありません。新潟県警の虻川と申しますが、お宅のみゆきさんが、そこの神社の手前で事件に巻き込まれまして、今病院に運ばれました」
虻川という刑事さんは、深々とお辞儀をしながらお母さんにそう言った。もう一人も後ろで頭を下げている。どうやら悪い人達ではないみたいだが、嫌な流れになってきた。
「え、みゆきは無事なんですか?」
「正直申し上げまして、とても危険な状態です」
お母さんは、その場に座り込んで「いやー」と頭を抱えてしまった。慌ててお父さんと、双子のお姉ちゃん達もやって来た。
「どこの病院ですか?」
替わってお父さんが質問をした。
「信濃川総合病院です。よろしければ警察の車でお送り致しますけど」
刑事さん達は、自分達が乗ってきた黒い車を手で指し示し、そう言ってくれたが、お父さんが自分の車で向かうと伝えると、そのまま申し訳なさそうに帰って行った。
「母さん、まき、みき急いで病院に行こう」
お父さんは、みんなにそう言ったが、お母さんはもう顔に手を当てて動くことが出来ない。
「お母さん、しっかりして。お姉ちゃんきっと無事だよ」
まき姉ちゃんに励まされ、ようやく立ち上がったが、お父さんの支えがないと倒れちゃいそうだ。
「ちゃすけ、留守番頼むよ。お父さん達は病院に行ってくる」
そう言い残して、車に乗って急いで出かけて行った。
「いってらっしゃーい。でも留守番する意味ないと思うよ」
この後に、何が起ころうと関係なくなるから。それより、通り魔という未知の敵と戦うことになりそうだ。ちょっと緊張して身震いをしてしまった。良いのかなあ?本気出しちゃって。
お父さんの車が見えなくなったのを見計らって、おいらも家を飛び出した。みゆき姉ちゃんが被害にあった場所を特定するためだ。
「確か、そこの神社って言っていたから、鶴亀神社だろうけど、その手前ってどっち側だろう」
今晩は月がかなり欠けている上、雲に覆われている。ひときわ道が暗い。その暗い夜道を全速力で走りながら、鶴亀神社には入り口が二つあることを思い出した。みゆき姉ちゃんは、あの神社の境内を抜けて高台側にあるピアノ教室に通っている。手前と言われても階段の下なのか、高台側の方なのかがわからなかった。これを知ることで、正確に待ち伏せすることが出来るようになる。
神社の階段の下まで来たが、誰もいなかった。血の匂いもしない。そのまま階段を登り、境内を抜けて高台側の入り口に向かって行くと、そこには赤い光がくるくると回っている車がたくさん見えてきた。人混みも出来ている。
おいらは黄色いテープが貼られている中へ入り込んだ。すると、中にいた人達が一斉に大声を出し始めた。どうやら怒られてしまったらしい。しかし、その中に知り合いのおじさんがいて、その人がかばってくれた。この村にたった一つだけある駐在所のおまわりさんで、トミさんと呼ばれている人だ。
「あ、加藤さんのところのちゃすけくんじゃないか。いやあ大変なことになったねえ。お姉さんは、残念なことになってしまったよ」
その現場に残っているおびただしい血の量からして、もう助からないことがすぐにわかった。今頃、みんなは悲しみに暮れているんだろうなあ。でも大丈夫だよ。場所は特定出来た。後はおいらに任せとけ。
そこへ、さっきうちに来た虻川という刑事さんがやって来た。
「君はさっき加藤さんの家にいたね。そうかちゃすけくんて言うのか。君なら犯人がどっちに逃げたのか、わかるんじゃないのかなあ」
「もちろんわかるよ。でもね、そんな卑劣な奴、おいらがとっ捕まえてやるよ。みゆき姉ちゃんを襲う前にね。じゃあまた後で会おう」
夕方になり、そろそろみゆき姉ちゃんが帰って来る時間になった時、家の電話が鳴った。お母さんがそれに出て「じゃあ頑張ってね。先生によろしくね」と告げた。みゆき姉ちゃんの携帯電話からの連絡で、もう少し練習してから帰るとの内容だったみたいだ。
これをきっかけに、おいらはみんなの目を盗んで単身家を出た。向かう場所はもうわかっている。先ほど、黄色いテープが貼られてあった場所の中だ。もし、今みゆき姉ちゃんがピアノ教室を出て歩き始めたとしても、おいらの足なら先に着くことが出来る。
暗闇に包まれ、ヒグラシの声がまるでこだまするかのように響き渡る道を、おいらは再び全速力で駆け抜けた。階段を駆け上り、境内を抜けた。そして先ほどとは打って変わり、誰もいない真っ暗な現場に到着した。ここで嗅いだみゆき姉ちゃんの血の匂い。それを思い出すと怒りは頂点に達していた。
みゆき姉ちゃんは以前、自転車を使っていたが、途中に鶴亀神社の長い階段があるため、歩きで通うことにした。昼間はたくさんの人が行き交うこの場所も、夜はこんなに暗くて寂しくなっているとは知らなかった。みゆき姉ちゃんは、高台側の道路から帰って来るはずだ。その方角に少し進んで、脇の草むらの影に隠れ、乱れた呼吸を整えることにした。
しばらくして、みゆき姉ちゃんの姿が見えてきた。そして、その後ろにブレザーを着た怪しい男の影も見える。身長百七十センチくらい、二十から三十代の細身の男だ。あいつか。もう今のおいらに手加減しろ、と言っても無理そうだ。
男は足音に気付かれないように、みゆき姉ちゃんの歩くタイミングに自分の歩調を併せている。だが歩幅が違う。わざと大股にして、徐々に前方を歩くみゆき姉ちゃんとの距離を縮めている。陳腐な手だ。おいらは、草むらを二人と並行して進んだ。もう大丈夫、既に射程圏内だ。みゆき姉ちゃんには指一本触れさせやしない。
そして二人の距離が五メートル程まで近付いた時、男はブレザーの内ポケットに手を入れて、光るものを取り出した。それは刃渡り二十センチはあるだろうと思える登山用のナイフだ。あんなものでみゆき姉ちゃんを。ついにおいらの怒りは限界を超えてしまった。もう我慢出来ず、若干フライング気味に飛び出した。
男は、その距離から一気に走り出し、距離を縮めようとしていた。しかし、絶妙なスタートダッシュをしたおいらが、すぐ目の前まで迫っていることに気付き、足が止まった。驚いた表情を見せたのもつかの間だ。男に何が起こったのかを考えさせる猶予も与えるつもりはない。
「おいらが相手だ!」
狂ったような怒鳴り声が辺りに響き渡った。そしてその男のナイフを持った右腕に噛み付いた。「ごりっ」っと骨がこすれるような鈍い音と共に、男は悲痛な叫び声をあげた。
「うわーーー」
突然の出来事に、みゆき姉ちゃんは驚き、慌ててそのまま走って逃げ出した。しかし、怒鳴り声に聞き覚えがあったらしく、途中で止まって振り返った。そしてそれが自分の聞き違いではなかったことに気付いた。どんなに暗くても、いつもと違う凶暴な姿でも、みゆき姉ちゃんがおいらを見間違うはずはない。
冷静さを取り戻し、こちらに向かって叫んだ。
「ちゃすけ、何やってんの。ダメでしょう、そんなことしちゃ・・・」
残念だがこればっかりは、いくらみゆき姉ちゃんの命令でも従うわけにはいかない。みゆき姉ちゃんは、暗くて男が手に持つ物が見えていなかったみたいだ。男は苦悶する表情の中、ついに我慢しきれなくなり、最後の砦である登山用のナイフを手放した。アスファルトの上に、カランという乾いた金属音が鳴り響いた。
みゆき姉ちゃんはそれを見て、しばらく呆然としていたが、すぐに携帯電話で警察に通報をすることが最良の手段であることに気付いた。
「もしもし、今すぐ来て。ナイフを持った男が・・・、襲われているの」
「落ち着いてください。そこはどこですか?」
「鶴亀神社の高台側入り口の手前です。早く、早く来て・・・。お願い、助けて。犯人が死んじゃう」
「え?」
男は何度も逃げようとしたが、そうはさせない。足の速さでおいらに勝てるはずはない。すぐに追いつき、男を押し倒した。もう起き上がって逃げようとする力も残っていないみたいだ。体中血だらけで、ぐったりとうつ伏せになって、もがいていた。だが、おいらの怒りは収まらない。攻撃の手を緩める気はない。
「食らえ、伝家の宝刀ちゃっ拳だ」
本日、双子のお姉ちゃん達に教わった変な必殺技も炸裂した。
そこへ一番最初に到着したのは、駐在所のトミさんだった。トミさんは、警棒を持って、恐る恐る自転車で近付いてきた。だが途中で様子を伺うように止まってしまった。
「トミさん、早くこっちに来て」
みゆき姉ちゃんに呼ばれたものの、トミさんはおいらと犯人の大乱闘を見て、足がすくんでいる。震えた手で無線を耳に当て、何か話しているだけで、一向に近付いて来ようとはしない。
「あれは、ちゃすけだからトミさんには攻撃しない」
トミさんはそれを聞いて、慌てて無線から耳を離し、再びこっちに向かって動き出した。どうやら無線のしぐさはフェイクだったみたいだ。しかも犯人よりおいらの方が怖かったみたいだ。失礼しちゃうなあ。
男は、警察官の制服の人が近付いてきたのを見て、涙ながらに命乞いをし始めた。
「お願い、助けて」
「こ、こいつは、連続通り魔事件で指名手配されている奴じゃないか」
トミさんは警棒をしまい、手錠に持ち替えた。男の血だらけの両手に手錠がはめられたのを見計らって、みゆき姉ちゃんが叫んだ。
「ちゃすけ、離れなさい」
今度の命令には、きちんと従って男から離れた。
「お前、大丈夫か?それにしてもひどい傷だなあ」
トミさんは、手錠をした犯人に向かって、眉間にしわを寄せながら話し掛けた。だが犯人は何も言わずトミさんの後ろに隠れてしまった。おいらから見えない場所だ。よっぽど怖かったみたいだ。
「ちゃんと急所は外したよ」
おいらが替わりに答えたが、トミさんは苦笑いだ。
間もなく次々にパトカーがやって来て、あっという間に人だかりが出来た。この付近の人達は、サイレンの音を聞くことが滅多に無いため、野次馬根性が旺盛なのだ。
トミさんは、なんかみんなに肩を叩かれて褒められている。みゆき姉ちゃんの元には、あの目つきの悪い二人組の男達がやって来た。一人は虻川という名前だったはずだ。二人は、メモを取りながらみゆき姉ちゃんから事情を聞き始めた。
そこへ、お母さんからみゆき姉ちゃんの携帯電話に連絡が入った。お父さんが迎えに来てくれるという内容だったらしい。だが「事件に巻き込まれて、すぐには帰れない」と話したところで、虻川刑事が電話を替わってくれと言い出した。
「あ、みゆきさんのお母さんですか?新潟県警の虻川と申します。連続通り魔事件の犯人を、みゆきさんとちゃすけくんが捕まえてくれましてね。はい、大丈夫です。みゆきさんは無事ですよ。え?ちゃすけくん?ここにいますけど何か?はい、多分怪我はしていないと思います。多分ではダメ?そう言われましても、恐ろしくて私では確認出来ません。今日はもう遅いので、今から警察の車でお宅までお送りさせて頂きます。はい、ではその時に」
憧れのパトカーに乗れると思ったらしく、みゆき姉ちゃんはちょっと嬉しそうだった。
「えへへ、初めて一一〇番に電話掛けちゃった」
車に向かう途中で、上機嫌のみゆき姉ちゃんはおいらにそんなことを話した。
だが、警察の車とは言っても、それはパトカーではなかった。さっき加藤家にやって来た黒い車だ。その後部座席のドアを開き「さあどうぞ」と虻川刑事から声を掛かると、みゆき姉ちゃんはちょっと残念そうだった。いつも双子のお姉ちゃん達と比べているから、大人っぽく感じるみゆき姉ちゃんでも、結構子供っぽいところがあるみたいだ。
みゆき姉ちゃんと一緒にパトカーの後部座席に座ったが、おいらは乗り物があまり好きじゃない。落ち着かずそわそわしてしまった。
「ちゃすけ、私を助けに来てくれたのね。ありがとう」
みゆき姉ちゃんに抱きつかれて、耳元でそう言われると、おいらは嬉しくなって少し落ち着きを取り戻した。
「それにしても、危険を顧みずナイフを持った犯人に飛びかかるなんて、ちゃすけくんは勇敢ですね。いつもみゆきさんをお迎えに来てくれるんですか」
助手席に座っている虻川刑事が質問してきた。
「いいえ。でも私に危険が迫った時は、必ず助けに来てくれるんです」
その答えに、虻川刑事と運転しているもう一人の刑事さんは、首を傾げていた。
刑事さんの運転する車が、家のそばまで来ると、家の前の道路にみんなが立っている姿が目に入った。車が停まり、おいら達が降りて行くと、お母さんを先頭にみんなが寄ってきてくれた。
「みゆき大丈夫なの?」
お母さんは、真っ先にみゆき姉ちゃんの手を取り、心配そうに話し掛けた。
「大丈夫よ。ちゃすけが助けてくれたの」
「あんたったら、いつの間に家を出たのかしら」
お母さんはそう言うと、膝をついておいらのことも抱き寄せてくれた。そんなお母さんが立ち上がるのを待って、二人組の刑事さん達は、にこやかに頭を下げて話し出した。
「あ、どうも。先程お電話で話させて頂きました、新潟県警の虻川と申します」
「同じく内藤と申します」
お父さんとお母さんも頭を下げて挨拶をしようとした。しかし「どうもお世話に」まで言ったところで、そうはさせないとばかりにまき姉ちゃんが口を開いた。
「はははは、二人併せて、あぶない刑事だ」
「よしなさい、まき。すみません口が悪くて」
まき姉ちゃんの口撃に、お母さんが慌てて謝った。
「いえいえ、署内でもよくそう言われております。あはは。お母さん、本日はもう遅いので、後日詳細をご説明致しますが、指名手配中犯人の現行犯逮捕でしたので、感謝状と粗品が出ると思われます」
虻川刑事のこの発言で、怒られていない方のお姉ちゃんも黙ってはいない。
「粗品って、いくらくらいもらえるの?」
みき姉ちゃんによる直球の質問だ。しかもお金だと断定している。これには二人の刑事さん達、相当動揺しているみたいだ。刑事さん達は、今度もお母さんが怒ってくれることを期待していたらしく、しばらく何も答えなかった。しかし、この疑問はどうやらお母さんも興味があったみたいで、いくら待っても援護は来ない。こういう持久戦では、お母さんは誰にも負けない。沈黙に耐えかねた虻川刑事は、ついにあきらめて話し出した。
「いえ、お金ではありません。が、額縁です。感謝状を入れた額縁の方を、我々は粗品と呼んでいたりなんかして。ははは・・・」
一瞬、お母さんの目が大きくなったのをおいらは見逃さなかった。職業柄、刑事さん達もその表情に気付いたみたいだ。しかもここでもお母さんは何も言わない。笑いもしない。動きもしない。正直言って怖くなってきた。刑事さん達も、赤い顔をして泣きそうだ。やっぱり、お母さんは怖いなあ。でも双子のお姉ちゃん達の口撃も効いていたなあ。おいらも、みんなを見習ってもっと強くならないとなあ。
その後、誰も何も話さないので、気まずくなったらしく、虻川刑事は「そ、それでは、今日はこれで失礼しますね」と言って逃げるように帰って行った。
さてっと、今日も疲れたなあ。おいらはゆっくりと休むとするかなあ。
「ちゃすけ、待ちなさい」
ぎくっ。お母さん、違うんだよ。
「あんた血だらけじゃない。怪我はしていないのね?良かった。お風呂に入って洗ってきなさい」
これは、つい本気になっちゃって無我夢中で・・・。おいらの体は犯人の返り血で、全身赤黒く汚れていた。出来るだけお母さんの方からは見えないように、気を付けていたんだけど、抱きつかれちゃったりしたから、ばればれだったみたいだ。
「今日は、私とお風呂に入ろうね」
みゆき姉ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、誰とでもお風呂に入るのは嫌なんだよ。
お風呂ではみゆき姉ちゃんに、ジャブジャブと洗われてしまい、すっかり落ち込んでしまった。その後、ドライヤーでお母さんに乾かしてもらっている時、お母さんはあっちこっち目を近付けて、怪我していないのか確認した。大丈夫なのに。
「ありがとう、ちゃすけ。本当、不思議な子。あなた一体どこから来たの」
そう言って、お母さんは、またおいらをむぎゅーっと抱きしめた。
「お母さんったら、そればっかりだ。おいら、お母さんの子だよ」
夜遅くなって、寝る時にみゆき姉ちゃんから声を掛けられた。
「ちゃすけ、今日はありがとうね。私の部屋でピアノ聴く?」
みゆき姉ちゃんが、お礼にピアノを弾いてくれるらしい。おいらは大喜びで部屋に向かった。本人より先に着いてしまい、電気も点いていない暗闇の部屋で待っていると、後からみゆき姉ちゃんがやって来た。
「今晩はここで一緒に寝ようね」
そう言われて、ベッドに座らされた。そしてピアノの演奏が始まった。これは、ピアノ教室に出かける前に弾いてくれた曲だ。これを聴くと、ついうとうとしてしまう。
「日本でこの曲は『別れの曲』って呼ばれているけど、本当はそんな悲しい曲じゃないのよ。作曲したショパン自身が『こんな美しい旋律見たことがない』って言ったほど透明感のある素敵な曲なの。だから私はそんな悲しい呼び方はしないことにしているの」
みゆき姉ちゃんが、また何か解説してくれている。
「うん。悲しい思いなんかさせないから大丈夫だよ」
おいらは、半分寝ており所々しか聞き取れなかったため、適当に返事をした。まあ聞き取れたとしても理解出来なかっただろう。みゆき姉ちゃんの解説は、いつも自分自身に対して言っている独り言のようなものだ。
その後も、しばらくみゆき姉ちゃんはピアノを弾いていた。夜遅くまで練習した後、おいらの寝ているところに入って来て、おいらを抱きかかえるようにして眠りについた。みゆき姉ちゃんは、寝相が良いから今晩はゆっくり眠れそうだ。




