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ちゃっくん  作者: 柴犬ちゃすけ


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第十章 放浪生活の終わりに

 それからまた月日が流れた。ここに住み着いて、何回目の夏だろう。新潟の夏は短い。そろそろ夏の終わりが近づき、涼しい季節を迎えようとしていた。そしてその後は厳しい冬を迎える。年老いて痩せ細ったこの体では、次の冬を越すことは難しい。だがその前に、今日を生き抜くことだけでも精一杯だ。

 その日おいらは、バーベキュー場での残り物を狙って、河川敷のそばの森の中に隠れていた。もう年のせいか、目がかなり悪くなってしまい、あまりよく見えない。もちろん足は治っていないため走ることも出来ない。歩くこともままならない。なんか段々眠くなってきた。ここなら誰にも見つからないだろう。夜までここで寝て待つことにしよう。最近なんかよく寝るようになった。昼も夜も寝てばかりだ。そしていつも寝る前に思うことがある。このまま起きないかもしれないって。でも構わない。全ての目的は果たした。

 きっと加藤家のみんなは都会で幸せに暮らしていることだろう。そう思うだけで、おいらも嬉しい気持ちになれる。この世界では、みんなとは無縁の関係だ。だがいつも見る夢は、みんなに愛されていたと実感出来る楽しかった日々と、みんなの笑顔だ。またそんな夢が見られると良いなあ。そう思いながら横になり目をつぶった。


「どうしたの?お腹痛いの?今あたしが助けてあげるからね」

 やばい、人間に見つかってしまった。でもなんで、こんなに簡単に接近を許してしまったのだろう。いくら目が衰えてきたとはいえ、まだ鼻や耳は健在なはずなのに。しかもこの人は、おいらを持ち上げようとしている。だが腕が細くて、力も無いらしく持ち上がらないみたいだ。怖くないのかなあ。

 あれ?これは、忘れるはずはないみき姉ちゃんの匂いだ。夢か?

「みき、もうおしっこ済んだの?早くしなさい」

 この声にも聞き覚えがある。しかもやっぱり「みき」って呼んだ。おいらは、必死で起き上がり元気なところを見せようとしたが、足に力が入らずそのまま転んでしまった。

「お母さん、助けてあげて。わんちゃん倒れちゃった」

 それを聞いたお母さんは、足早にこっちに向かって来た。

「どうしたの?うわ、大きな犬。これは秋田犬ね。噛み付かないかしら」

 間違っても、お母さんやみき姉ちゃんにそんなことしないよ。

「このわんちゃん、つらそうだよ」

 みき姉ちゃんの声を聞き、まき姉ちゃんもやって来た。双子のお姉ちゃん達は、二人でおいらを持ち上げようとし出したが、持ち上がらない。いくら痩せ細っていても、この二人ではさすがに持ち上げることは出来ない。でも、最後に元気な姿が見られて嬉しいよ。お母さんも頭をさすってくれている。必死でおいらは頭を上げてお母さんの方を見た。だが視界がぼやけてよく見えなかった。

 きっと神様が、頑張ったおいらにプレゼントをしてくれたのかもしれない。もう十分満足だ。

 十年前のあの夜、お母さんに寄り添いながら最後の別れをしたはずなのに、ひょっとしたら、またいつか会えるかもしれない。なんてことを考えない方が無理だった。こゆきちゃんを助けて、もう全ての目的を果たした?いや、本当は違う。みんなに会いたかった。その気持ちだけで、今まで生きることが出来た。だがもうこれで思い残すことはない。おいらは上げていた頭を下ろし、再びその場に横たわった。

 すると、ふわっと体が持ち上がった。この感覚もこの匂いも覚えがある。

「急いで後片付けをして、この犬を病院に連れて行こう」

 ここで倒れちゃったはずのお父さんが、力強くおいらを持ち上げてくれている。腕が前よりも明らかに太い。元気で良かった。無事だったんだね。

 車に運ばれたおいらは、そのままみんなと一緒に河川敷を後にした。

「かわいそうに。後ろ足が曲がっているね」

 みゆき姉ちゃんも心配してくれている。全く怖がらないで、曲がった足をさすってくれている。もちろん、おいらはみんなのことを知っているけど、みんなは初めて会ったはずなのに。どうしてこんなにやさしいの。

「でも、お父さんが迷わず病院に連れて行こうって言い出すなんて、私惚れ直しちゃったわ」

 あ、お母さんがのろけている。こんな明るいお母さんを見るのは初めてだ。以前のお母さんはいつもどこか暗い印象があったのに、今はなんかとってもにこやかだ。おかげで、目尻のしわは、前より増えている。

「僕は以前、犬に助けられたことがあるんだよ。それ以来いつかは犬が欲しいって思っていたけど、都会暮らしでそれは叶わなかった。こっちに越して来て、やっと念願が叶うよ」

 都会では、おいらが迷惑な存在であることは、痛いほど感じたよ。だからお父さんにも迷惑を掛けないように、ここで一人で暮らすことにしたんだ。でもどうして同じ日にこの場所に来たんだろう。

「お母さん、この犬に名前付けないとね。何にしよう?」

 まき姉ちゃんがお母さんに問いかけた。おいらの名前、何になるかなあ。大体想像は付くんだけどね。

「お父さんは、体が大きくて『だいすけ』っていう名前でしょう。だったら、この子は茶毛だし『ちゃすけ』にしましょう」

 なるほど。おいらの『すけ』はお父さんからもらったんだね。それでお母さんはこの名前を付けたのか。今まで知らなかったよ。やっぱりこの名前、とっても気に入ったよ。そういえば、お姉ちゃん達はみんなお母さんの名前を一文字もらっているもんね。

「私達人間には犬の言葉がわからないけど、犬は人間の言葉を理解出来るんだって。だから、あなたわかるでしょう?我が家では、女の子にはみんな『き』が付くの。男の子には『すけ』が付くの。だからあなたの名前は、ちゃすけよ」

「うん、わかったよお母さん。これでおいらも家族なんだね」


 動物病院に運ばれたおいらは、急患扱いで看護婦さんから治療室に呼ばれた。

「加藤ちゃすけちゃん、お入りください」

 あ、やっぱり待合室で待っている人達が笑っている。どうやらこの名前は、人を笑いに誘う何かを持っているみたいだ。でもおいらは自慢気に笑っている人達を見返した。

 治療室では、獣医さんがいろいろと入念に調べている。曲がった後ろ足はレントゲンで撮影していた。

 その後、獣医さんはお父さんとお母さんを呼んで話し始めた。

「加藤さん、突然ですが、ペットロス症候群ってご存知ですか?」

「ペットを失うことで、心身に様々な支障をきたすことですよね」

 犬を飼いたいと言っていたお父さんは、さすがにこのことを知っていたみたいだ。

「はい。ですが言い換えますと、ペットを飼っている間は、災難に見舞われないということなのです。つまり、ペットによって飼い主の方が守られているのです。どんな力か我々人間にはわかりませんが、動物達は不思議な力で愛するものを守ると言われています」

「なるほど、素敵なお話ですね。ですが、それが何か?」

 三人が遠くで会話しているが、まだ耳はそれほど衰えていないおいらにも聞こえている。獣医さんったらちょっと失礼なことを言っているみたいだから、一言言わせてもらおう。

「ペットなんて失礼だなあ。おいら家族だぞ。一番下の末っ子だい。あ、でももう十四歳だから、みゆき姉ちゃんよりも上になってしまった」

 すると信じられないことが起こった。

「あ、ちゃすけくんごめんごめん。ちょっと待っててね。そうか十四歳か」

 え?言葉が通じた?まさか、偶然だよなあ。獣医さんはこっちを見て笑いながらそう言うと、再びお父さんとお母さんの方を向いて話し出した。

「失礼ですが、加藤さんの奥さんの下のお名前は『ゆき』さんでは?」

 唐突に何か不思議なことを口にした。

「私の名前は確かにゆきです。でもなぜわかったのですか?まだ何もお伝えしていないですよね」

 二人は、驚いたように目を丸くした。

「ちゃすけちゃんの首の後ろのところには、マイクロチップが埋め込まれております。飼い主や住所を特定することが出来るものです。この子のものは、加藤ゆきさんによって三年前に登録されているのです。つまり元々、加藤さんの家の子だったんです」

 獣医さんはパソコンのモニタを、お父さんとお母さんに見せながら話を続けた。

「この住所も確かにうちです。ですが、二十年以上誰も住んでいなかった家を、つい最近購入して、昨日越して来たんですよ。三年前ってそんなことあるわけ・・・、え、まさかこの子はあの時の」

 お父さんは、十年前の出来事を思い出してくれたみたいだ。口を開けて、大きく目を見開いたまま動かなくなってしまった。

「足は完治とまではいきませんが、ある程度使えるようにはなると思います。ただ、ちゃすけちゃんは秋田犬みたいで、寿命は、大体十二年くらいです。既に寿命を越えています。後一年も生きられれば良い方だと思いますけど、それでも治療して飼われるご意志はありますか?」

 獣医さんは、心配そうにそう尋ねた。

「もちろんですよ。別れる辛さを恐れて、共に過ごす貴重な時間の方を捨てたくはありません。それにこの子は、昔からうちの子なんですよね?うちの子を助けてください」

 お父さんは、迷うことなくそう言ってくれた。お母さんは目を丸くして、じっとおいらの方を見つめている。

「ありがとうございます。ご立派なお考えです。私からもお礼を言わせて頂きます。私は動物の持つ不思議な力を今まで何度も見て来ました。ちゃすけちゃんも自らを犠牲にして、あなた方の誰かを守ったのかもしれませんね」

 獣医さんも、やさしい目をしてこっちを見た。これで本当に戻って来られたんだね。あの楽しかった毎日に。


 治療室では、栄養不足ということで栄養剤を注射された。その後足の治療で、麻酔をかけられた。遠のく意識の中で獣医さんがやさしく話し掛けてきた。

「ちゃすけくん、おかえり。君にとって私は久しぶり、ってことになるのかな。辛かったろう。でも偉いぞ。そうそう、君が捕まえた通り魔事件の犯人は、昨日捕まったから安心していいよ」

「え、獣医さん、なんでそれを」

 これには驚いた。全てを知っている人がいるなんて。

「なんでか?って。それは私には動物の言葉がわかるからだよ。君の行動はここにいる他の動物達にはわかるみたいだよ。そんな彼らからいろいろと君のことを聞いたよ。愛する人達と別れるのは、さぞ辛かったろう。今度ちゃすけくんの冒険談をゆっくり聞かせてもらえないかね」

 そう言いながら笑っていた。やっぱりこの人は、おいら達の言葉がわかるんだ。

「うん、でもみんなを守るためだもん。迷いなんかなかったよ」

 意識を失いつつも、ちょっと強がってみた。

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