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ミリオタ雑記あれこれ  作者: きらと
その他
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興味の尽きない現代軍事史

1.色々な素材を見逃してませんか?


 ソ連の脱落によって東西両陣営の冷戦は終結した。ミリオタにとって仮想敵のソ連崩壊は悲劇だろうか? そんな事は無い。世界が火種を抱えていた。

 その中でもアフリカの情勢は混沌としている。興味がある人は調べて見ると良い。

 はまればはまる世界で、例えばコンゴ民主共和国の場合、1960年にベルギー領から独立後、現地兵による暴動が発生。カタンガの分離独立、国連軍の介入を経験。その後も、反モブツでMPLAの支援を受けたFNLC(コンゴ民族解放戦線)がアンゴラから侵攻したシャバ紛争。

 ルワンダ、ウガンダ、アンゴラの支援を受けた反モブツのコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)とUNITAの支援を受けたモブツ政権の間で1996年、始まった第一次コンゴ戦争。

 1998年、モブツ政権打倒後のAFDLでの権力闘争から、ルワンダの支持を受けたコンゴ民主連合(RCD)とウガンダの支持を受けたコンゴ解放運動(MLC)の間で第二次コンゴ戦争で知られる内戦が始まった。

 内戦が限りなく繰り広げられておりいつまで続くのかと感心する。

 当事者にとってはたまたものではないだろうが、遠く離れ直接的影響の少ない日本人にとっては他人事だ。

 軍事に興味ある者の中でもアフリカ関連はマイナーな分類に入る。欧米のように最新装備に身を固め派手な戦果を上げている訳でもない。

 住民虐殺と言うレベルでは確かに派手だが、それでも興味をかきたてるものではない。遠く離れた世界の悲劇に過ぎない。

 見方を変えれば反乱、クーデター、首都制圧。この単語は少し食指をそそられる。ゲーム、小説、映画と言った創作物を構成する刺激的な調味料。

 WW2の末期戦、最貧装備で戦うリアルMプレイが好きなら、途上国の貧弱な軍隊も楽しめると思う。軍事史を語る上で個人的主観が少なかれ入るのは仕方が無いが、倫理観からの視点で語る事は無駄になる。そう言う道徳的な事は他所で好きなだけ唱えれば言い。戦場に平時の理論は通じないからだ。

 20世紀は戦争の世紀と言ったが21世紀に入っても戦争は終わらなかった。大きい物ではイラク戦争とアフガニスタン戦争、グルジア戦争があった。アラブの春ではエジプト、リビアと政権が倒れシリアも公然と支援する米国の介入もあり存続が危うい。



2.中央アフリカの魅力


「中央アフリカで傭兵をやっていた」そんな話がある。中央アフリカと言えば中央アフリカ共和国だ。

 南部アフリカ(Southern Africa)と南アフリカ(Republic of SouthAfrica)、中部アフリカ(Central Africa)と中央アフリカ(Central African Republic)。言葉は似ているが、地域と国名の違いがある。

 中央アフリカ共和国(Central African Republic)は外務省が渡航禁止を通達するほど危険な国だ。中央アフリカといえばボカサ皇帝を思い出すが今は帝国ではない。

 2001年当時、政権を握っていたのはアンジュ・フェリックス・パタセ大統領、パタセの統治に対して5月から軍高官のフランソワ・ボジゼ・ヤングヴォンダを支持するボジゼ派のクーデター未遂事件が多発生していた。

 このまま政権を維持できればボジゼはテロリストの親玉、不満分子扱いのままだっただろうがそうは行かない。

 2002年10月には反乱軍が首都中心部まで侵攻した。首都を攻められた時点で突っ込み所は満載だが、大統領警護隊を中核とした政府軍がリビアの支援を受けて撃退した。

 これだけ大規模な反乱が多発していたと言う事は、パタセ大統領に求心力が欠けていたのか政府の政策が不味すぎたとも考えられる。

 結果としてパタセ政権は長くは続かなかった。2003年、ボジゼ派の反乱軍は首都バンギに侵攻。空港、大統領官邸など主要施設を制圧した。

 この時、パタセはアフリカ各国首脳との会談のためニジェールを訪問中で国内にはいなかった。だからと言って言い訳になる事も無い。

 ボジゼは大統領に就任し憲法を停止、国家暫定評議会を設置した。

 カメルーンに避難したパタセ政権は、チャドがボジゼ派のクーデターを支援していると非難したが負け犬の遠吠えに過ぎなかった。ボジゼの政権は2013年まで続く事になる。

 ただ、ボジゼ派の政権掌握で中央アフリカが安定したわけではない。政情不安定でゲリラによる反乱がたびたび発生した。

 2006年10月から北東部で反政府勢力の活動が活発化し、ビラオ等の街を占拠する事件が頻発し多数の国内避難民が発生している。

 北東部の治安・人道状況改善のため、EU部隊(EUFOR)が派遣されるが、2008年3月には国境なき医師団(MSF)が反政府勢力の襲撃を受け死傷者を出している。

 2009年3月からは国連中央アフリカ・チャドミッションが引き継いだが2010年12月に撤退。スーダン、チャド、コンゴと言った世情不安定な国と隣接していた事も、ゲリラのはびこる要因であったと考えられる。

 2011年1月の大統領選挙はボジゼが再選を果たし、6月にはCPJP(正義平和愛国者協定)が停戦合意に署名し明るい兆しを見せた。しかし状況は一変する。

挿絵(By みてみん)

 2012年12月、反政府ゲリラ(CPJA、UFDR、CPSK)から分派したセレカ(seleka)による攻勢が再開された。北東部の主要都市都市占拠を制圧、南下して首都を目指した。

 セレカの目的は政府との間に結ばれた停戦合意の履行を求めての動きだとしているが、中部の都市を次々と制圧した。

 事態を重く見た政府はチャドに派兵を要請。チャド軍が陸路にて中央アフリカ入ったと言う。(チャド軍がセレカの行動にどう対応したかの詳細は不明)

 12月26日、首都の約75㎞地点まで侵攻したセレカ。チャド軍の介入を要請しながら政府は交渉を続けていた。

 2013年1月、政府とセレカの間で停戦合意するが政府は履行しなかったと伝えられる。セレカは攻撃を再開し、南アフリカのジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)大統領は二国間協定に基づき、南アフリカ国防軍(SANDF)400名を中央アフリカに派兵することを承認した。

 3月23日に首都北部にセレカは前進、政府軍と交戦する。24日、大統領は首都を脱出し首都バンギ陥落。

 25日、南アフリカ国防軍はセレカと9時間の戦闘で13名戦死の損害を受けた。戦死した全員が第1落下傘大隊所属だった。

 ボジゼ大統領は隣国コンゴに脱出し、セレカのミシェル・ジョトディア代表が自身の新大統領就任を宣言するとともに、バンギに外出禁止令を発出した。

 AU加盟国はセレカによる新政権を承認していない。首都では反政府勢力や民兵による略奪行為が行われていると報道されていた。

 南アフリカの現政権は失点を負った。SANDFは9日、中央アフリカ共和国に派遣していた兵士全員を撤退させたと発表した。SANDFがこの地へ派兵されるかどうかは微妙だ。



3.民間軍事会社の魅力


 近年、創作物で注目を浴びる民間軍事会社も題材として面白い物がある。

 イラク戦争は2000年代に入ってからアメリカが行った軍事作戦で「失敗してねえ?」と言う疑問符の付く戦いだ。最強の戦闘集団であるアメリカ軍であっても手足を縛られては動けないし、やるなら中途半端ではなく徹底的にやらねば成果は出ない。戦争は政治の延長とよく言われるが、美学では勝てない。

 戦争において首都の攻略は重要な意味を持つ。相手の屈服だ。だがイラクはバクダッドが陥落しても各地で抵抗の火種が消えなかった。

 その為、イラク北部にTF Olympia(2004年1月、第101空挺師団から任務を引き継ぎ。第1軍団隷下第2歩兵師団第3旅団と第25歩兵師団第1旅団が交代で配属される)、北西部に第1歩兵師団(機械化歩兵)、首都バクダッド周辺に第1騎兵師団、バクダッド西のイラク西部を第1海兵師団(海兵隊遠征軍(MEF)の担当した作戦地域(AO)(Area of Operation)AtlantaはDenver(西部方面)、Topeka(クルド人支配地域のRamadi周辺)、Raleigh(クルド人支配地域のFallujah周辺)、Oshkosh(海兵隊担当地域の南部全域)となっている)、バクダッドの南側、イラク中部を第1機甲師団、ポーランド師団、イラク南部をイギリス軍が担当した。これでも人では足りなかった。

 イラク戦争終結後の占領統治と戦後復興は民間軍事会社に大量受注の好機をもたらせた。しかしそれは人材不足による大量雇用と質の低下をもたらせた。

 大きく報道された事件だけでも2005年5月28日にZapata社の社員(Contractor)、2006年7月8日にTriple Canopy社、そして有名なBlack Waterが2007年9月16日の事件、それ以前の2月7日や2004年3月31日にも殺害行為を行っている。だからと言ってBlack Water創業者であるErik Princeの業績が否定される訳ではない。

 戦争の民間委託は珍しくない。ベトナム戦争中、CIAのダミー会社Air Americaが300名のパイロットを雇い活躍していた。EO社に継いで有名なBlack Waterは傘下部門にAviation Worldwide Services(AWS)を創設していた。アフガニスタンではCASA 212、Metro 23を運用した。

 死の部隊、傭兵としての側面から民間軍事会社を見れば、米ソ冷戦時代のラテンアメリカと同様だと言える。ベトナム戦争後、アメリカは中米で公然、非公然を問わず支援を行っていた。悪名名高いホンジュラスの第316大隊もその過程で生まれた。(ネグロポンテ氏の働きは反共の国策に沿った物であり、後からの評価は時代にそぐわない不当な物だと考えられる)

 かつての傭兵に対するロマンが創作物に登場する民間軍事会社には見える。個人としての傭兵と、企業による人材派遣と各種サービスの提供。戦争の民営化、軍事の民間委託は善悪抜きで見ると面白い着想である。

 ウクライナ情勢は忘却の彼方にあるが、2014年5月11日、Blackwaterを前身とするPMC、Academiの参入が「400名の傭兵」として報道されている。※Blackwaterは2009年にXe Servicesに社名を変えて、2011年からAcademiの社名で知られている。

 この傭兵集団はAcademiの傘下企業で、バルバドスで登記されているGreystoneであった。ヤヌコーヴィッチ政権を倒した親米派ではあったが、その後は親露派を正規軍が攻撃しておりGreystoneも参加していた。



4.国際情勢はネタの宝庫


 日本ではロシアやフランスが本格的参戦をした事でISISとの対決が注目を浴びている。

 元々はシリアのアサド政権を潰すために欧米が反政府組織を支援していたら、ISISと言う無頼の輩が勢力を広げてしまい、自分の足元に火が回ってしまったと言う訳。

 他にも2014年にレソト、ブルキナファソ、ガンビア、2015年にもブルンジでクーデターが起こった。相変わらずアフリカは混沌としている

 アラブの春でカダフィを対して民主化となったはずのリビアでは、各派が入り乱れて内戦状態に突入しつつある。さらにISISもエジプトやリビアに攻め込んでいる。

 ISISの傘下に下ったボコ・ハラムがナイジェリアで攻勢を行っており、チャドやカメルーン等の周辺国でも暴れており、少年兵を強制徴兵したり無法者と言える。ボコ・ハラムの戦術は爆弾テロから歩兵戦闘へと規模を拡大している。ナイジェリアではボコ・ハラムによって一般市民に対する拉致、殺害が横行しており、2013年5月以降、ボルノ、ヨベ、アダマワの北東部3州に非常事態宣言が発令されている。

 中東に目を戻すと2015年12月4日、トルコ軍がイラク領内に侵入しているとの報道が流れた。

 Baghdadの北、Mosulの北東、Bashiqah地区におおよそ1個機甲連隊の砲兵と戦車(20~25両)、人員150名が進出しクルド人部隊を教導していると言う。

 イラクにしてみれば、もろに領土侵犯な訳で抗議をしている。トルコはISISに対抗するクルド人の支援と言う事だが、国際的に批難を免れないので今後、撤退はあり得るだろう。

 ロシアとの関係で揉めているトルコはイラクと国際世論を敵に回してまでクルド人を援助するとは考えられないが、イラクの前政権の承認を受けて派遣していたらしい。

 CNNの報道によるとクルド人部隊には女性戦闘員の姿があったり、ISISはsuicide vestを装備していたり架空戦記のネタとして捉えると色々妄想が出来て面白いと言える。

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