12 かわいいあくま
夢に見ては飛び起きるくらいに動揺したヴェナの告白(仮)事件から数日。私の感情は毎日しっちゃかめっちゃかで、目を回してしまいそうな忙しなさだった。それは進まないグループワーク然り、顔を合わせたいような見たくない様な複雑なヴェナへの気持ちとかで。
そして今、他の事気にしてられないくらいに課題が終わらないから本気で焦っている。
「はぁー……」
深いため息と共に、項垂れる。そう言えばヴェナもよくこんな体制してたなーって思い出して、もっと労わってあげるべきだったと反省した。今度お詫びをしよう。頑なになったシンシアがここまで手強いとは……話せば分かるは幻想である、と身を持って感じている。
どうやらシンシアは私の理解を得る事を諦めたらしく、最近はもう勝手に進めて勝手に報告して、私の話は右から左へ流されている気しかしていない。アスカやイリスはどう思っているのか知らないが、多分私くらいなんだよね、シンシアの発表内容に反発してるの。シンシアに同意してるかは謎だけど、そもそも発表出来なきゃ成績に響く訳で。ならもう、発言変えないだろう方に就いて、態勢を整えた方がマシだ。合理的だね。
「別案も纏め終わらなそうだしなぁ……」
作業量に対して、圧倒的に時間が足りない。幾つか改正案を練っては見たが、発表するのには詰めが甘いし、私以外頭に入っていない内容では意味がない。アスカとイリスを納得させられれば何とかなるなんて、考えが甘かった。三対一になっても動かない岩があったら、三人側も一に迎合した方が話が早いって結論にもなる。
最後の手段が一つ残っているが、三対一の図では上手くいかない。二対二、若しくは一対一になれればいいんだけど。
「一対一なら、なんとかなるか……?」
二人がどのくらいシンシアに賛成しているかは不明だが、私とシンシアの一対一にして貰えれば、私もシンシアも妥協無く終える事が出来る。教授がどう判断すルカは分からないけど、規定上の問題は無い、はず。
という事で早速、アスカとイリスを訪ねた。シンシアを含めた三人で友人だと思っていたが、最近はアスカとイリスの二人だけでいる所をよく見かける。私としては願ったり叶ったりだが。
「こうして三人で話すのは初めてかしら」
「だねー。グループワークでもシンシアとエスミーが言い合ってるだけだし」
「……ごめんなさい」
「あぁ、悪いって言ってるんじゃないよ。あたしとイリスが情報集めに回ってたのは、そうやって分担した方が早いと思ったからだし」
「それ、も……エスミー様、が、集めたのには及ばないです、けど」
「シンシアは新しい事を受け入れたがらないし、これはもうシンシアに押し倒されて終わりかなーって思ってたぁ」
「あ……シンシアにも伝えてくれてたのね」
「そりゃ、法律に手を加えるんだよ? 基礎は完璧にしないと駄目でしょ。シンシアの話って週刊誌の記事を鵜呑みにしてるだけで、論理的な部分が真っ白だしね」
派手で軽い口調だが、アスカはかなりの堅実派らしい。友人だからとあちらを優先させたり、感情論だけで敵を定めたりはしない人みたい。話す機会が少なかった事もあって、私は二人をシンシアの友人として勝手に思い込んでいた部分があるのだと、今になって気付いた。人は聞きたい様に聞いて、見たい様に見る。私だって例外ではない。ただそれは、法を扱う者として絶対に直さねばならない悪癖だ。
「あたしとしては、このままシンシアの案を進めるのが一番合理的だと思うよ。本当に法が変わる訳じゃないし、一つの意見として発表するだけなら問題ないんじゃないかな。賛同するかどうかは別としてね」
「わ、私、は……正直、無茶だと、思う。発表は、出来るけど……シンシアの考えは、どうしても、その……」
「イリスの気持ちも分かるよー。あたしは発表した内容と自分の考えを完全に分けて考えてるけど、イリスはまた別の見方が出来るしさ」
「魚人の親戚がいるんだったわね」
「はい……勿論、魚人と、獣人はまた、違うんです、けど……なんという、か」
「人間と獣人よりは、獣人と魚人の方が近いからねー、価値観とかは」
今回の問題は、他種族の貞操観念に基づく考えの違いが生んだ見解の相違。アスカの、発表した内容と個人の考えは別、と言うのも一つの治まりではあるが、上手く切り離せないイリスには酷な話になる。
そうなると、やっぱり私の方法が一番平等に収束するかなー……って、思いたい。
「実は一つ、考えている事がありまして……」
× × × ×
私の提案は、拍子抜けするほど簡単に受け入れられた。アスカやイリスは勿論、シンシアにも。彼女は自分の考えを発表出来れば、私がどうするかはあまり関係なかったらしい。若しくは、舞台の上で私に納得させたかったのか。
どちらにしても、了承させた時点で私の心配は全て解消したと言っていい。私の目的は発表内容であって、シンシアを納得させる事では無かったから。アスカみたく割り切ってしまえれば良かったのに、私も意外と融通が利かないらしい。
「後は本番を待つばかりぃ……」
「解決した途端すげぇくつろぎ様だな」
「ここ最近で一番の悩みでしたからね。肩の荷が下りたーって感じです」
「そりゃ良かった」
穏やかに笑うヴェナの様子は、あの日から何も変わらない。私に好きだと言った事なんて覚えていないんじゃないかと思うくらいに自然で。それくらい、軽いつもりの好意だったんじゃないかって思うと、わざわざ問う気にもなれなかった。
こういう時、普通の友人はどうするんだろうと考えて、心の隅の方に爪を立てられた様な心地になった。私とヴェナは、婚約者で……。
「ヴェナって、私の何なんでしょう」
「何だ急に」
「婚約者で、記憶を共有した共犯者」
「それで合ってるだろ」
「えぇ、出会った頃は」
「…………」
「婚約者も、共犯者も、私達の意思ではないじゃないですか。出来事の結果、というか。関係ではなく現象の名前みたいだなと、思って」
親が決めた婚約者。事故で記憶を共有した共犯者。どちらも、私達が関わった末の関係ではなく、始まりからその役割を担っていた。
婚約者として出会い、共有者となり、今の私達は、何だろうか。友人と呼ぶには近い、でも、恋人と呼ぶには、遠い。私は私の気持ちを上手く説明出来ないし、ヴェナの気持ちがどういう種類で、どの椅子を望んでいるのか分からない。私達はお互いに、ヴェナとカスミという名の椅子で、お互いの心に棲み付いている。
この場所が心地良いから、目を逸らしていたい気持ち。もっと行きたい場所があるから、向き合いたい気持ち。どちらも正直な私の願いだ。
「この気持ちに名前を付けたいと思っています。でも、どう名付けて良いか分からない。ヴェナに名付けて欲しい気もするし、それは駄目だという気もしてる」
「俺の気持ちは、聞かねぇの?」
「私の気持ちが定まっていないのに、それを聞くのは違います。でも私は、この気持ちに正しい名を付けられる自信がない。今まで人と深く関わった事がなかったから、この居心地の良さを手放したくないだけかもしれない、逆に、終わりのない関係で居たいから特別にしたくないだけかもしれない」
好きだと言われて嬉しくて、私も好きだと思った。でもそれは、どういう種類の好きなんだろう。恋愛対象として? それとも、気の置けない友人として? 好きだよ、私も好き、抱き合って笑い合えば、シンシアのハッピーエンドは回避され私達の平穏は約束される。でも本当に、この想いは恋なのか? 恋と友愛の違いはどこにある?
これが本の中だったなら、手を取り合うだけで全てが決まってくれるのに。頬を寄せて笑い合う幸福に、恋も友情も関係なく、エンドロールが流れてめでたしめでたしと幕を閉じられる。でもここは私達の生きる現実で、この想いに名前を付けた後、間違いでしたと消したり出来ない。
名前が付いていなかったから、私はヴェナの婚約者で居られた。恋も友愛も知らずにいたから、婚約者の名の元に立っていられた。これが恋なら、私は好きな人と結婚出来る。でも、もし、これが友情なら。私は、どうしたらいいんだろう。
「恋も友情も、ずっと一緒に居たいという想いに違いはない。じゃあ何が二つを分けるの? 会いたい事? 話したい事? 傍に居たい事?」
「俺の場合は、触られたくない事、だな」
駄々を捏ねる子供の様に、思いつくままを並べていた私の髪に指先が触れる。いつものソファ、三角座りしている私の前に膝を付いて、ジッと目を合わせて来るから。逸らしたいのに逸らせない、月の様な瞳に魅入られて離せない。
「会いたい、話したい、傍に居たい。俺はそのどれも恋に分ける。それでも分かんねぇなら、誰にも触らせたくないと思った時、俺はそれを恋にする」
私の髪に、ヴェナの唇が触れた、気がした。そう見えただけなのか、実際に触れていたのかは分からないけど、祈る様に目を伏せる姿があまりに絵になって。
「どうか、俺だけに触れさせて」
誰にも渡さないで、許さないでと。自分だけのものでいて、この指だけ受け入れて。そう希う事が、ヴェナにとっての恋。恥ずかしいなんて思う隙もない程、美しかった。
睫毛が揺れて、視線が絡む。ゆっくりと近付いて来る顔を、避けるなんて気持ちは微塵も浮かんでこなかった。ただその目に、自分が映っている事に、言いようもなく満たされて。
鼻先が触れ合う瞬間に、ヴェナがピタリと動きを止めた。動かない私に、仕方ないなとでも言いたげに笑って、後頭部に回された手に引き寄せられる。ぶつかったのは、額。
「焦んなくて良いから。カスミの気持ちがどっちでも、俺がする事は変わんねぇし」
「ご、めん……」
「ここで謝られるとフラれたみたいになるから止めろ」
「……あれって、やっぱり告白だった?」
「まさかちゃんと伝わるとは思ってなくてな、混乱させて悪かった」
「私、そんな鈍く見えます?」
「鈍いというか、発想の中にねェだろうなーって。ましてや俺相手だしな」
「むしろヴェナだから気付きましたよ」
ヴェナでなければ、そもそも考え込んだりしない。その場の雰囲気や、言葉の軽さだけを切り取って、同じくらい軽く受けとってわざわざ振り返ったりしない。私の対人関係はそれくらい薄っぺらくて、関心はいつも人の手が作り出す先に向いていた。
「……………………」
「……何ですかその顔」
「いや……俺はたまに、カスミがとんでもない小悪魔に見える」
「は?」
「純粋ってのは怖ぇなーって事。分からなくていいよ」
ぽんぽん、と頭を軽く撫でて、ヴェナは立ち上がった。いつもの仕方ないなって甘やかしが、今日はまるで別の物に見えた。ヴェナが変わったんじゃない、私が知ったから、見えるものが変わっただけ。
「本番前にこんな動揺させます?」
「カスミが聞かなきゃ流して貰って良かったしなぁ。卒業までは余裕で待つつもりだったのに、秒で踏み込んでくるとは思わなかった」
「気になった事は聞かないと」
「そういう思い切り良い所も好きですよー」
「…………」
「はいはいごめんって。ココア淹れてやるから」
「私は幼稚園児ですか」
「子供扱いじゃなくて、好きな女扱いなー」
「ぐぅ…………」
「ぐうの音出す場面だったか?」




