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10 現金ってこういう事


 マシュマロココアが飲みたいと思ったので、ヴェナの研究室を訪問したのだが、まさか飛び上がる程驚かれるとは思っていなかった。ノックに返事は無かったが、いつものことだからと部屋に入ったが、ソファの上で天井を仰いでいたヴェナは、そもそもノックの音が聞こえていなかったらしい。


「お前、やっぱここを喫茶店だと思ってんだろ」

「思ってませんよ。頼んだらヴェナがココアを淹れてくれると認識してるだけです」

「余計に質が悪い」


 溜息を付きながらも、その手は私が望んだマシュマロココアを作っている。そうやって結局お願いを叶えてくれてしまうから、私が甘えるのだと気が付いていないのだろうか。私が勝手に持ち込んだカップやお菓子を管理してくれたり、私が眠ったら起きるまで待っていてくれたり。それでも図々しいと突っぱねないんだから、彼も相応に質が悪い。

 

「来るのは久しぶりか。ここんとこグループワークに時間取られてたろ」

「えぇ、とっても有意義な情報交換でしたよ」

「でしょうねぇ。こんなに疲れた顔してますし?」


 ココアの入ったカップを受け取ると、空いた指の背が私の目元を撫でた。隈は隠したけど、瞳の充血はどうしようも無い。そのコンシーラーですら、時間経過でもう残っていないさそう。


「やっぱり、目立ちます?」

「いや、薄っすらって感じだけど。雰囲気が疲れてんなと思った」

「まぁ、実際疲れてはいますね。一っミリも進まないので」

「グループワーク? もうお前抜けた方が早いんじゃね」

「止めてください誘惑するの」

「考えてんじゃねぇか」


 そりゃ、私だって出来るならそうしたい。毎日シンシアを説得する材料を探しているが、そろそろ限界だった。そもそも聞く耳を持っていない相手への説得程難しいものはない。感情に訴えるのは無駄だったし、現実を理論立てて説明しても、嘘と決め付けているから耳を貸さない。

 アスカとイリスが頑張ってくれているけれど、シンシアは過去の遺物を信じて止まず、私が持ってくる情報は陰謀論の様な扱いだ。


「発表までそう時間がないのに……どうしよう」

「このままだと、シンシアの粘り勝ちになるだろうな。別案を纏めるにも時間が足りない」

「それだけは阻止したくて、別案も幾つか練ってるんですが……」

「は? 一人で?」

「アスカとイリスにはシンシアの説得を優先して貰っているので」

「お前な……」


 溜息と共に、ぬくぬくと味わっていたココアを取り上げられる。何をするのかと抗議をする前に、私はいつも使っているぬいぐるみを押し付けられた。頭にはてなを浮かべている間にあれよあれよとされるがままで、気が付くと私はぬいぐるみを抱き枕に愛用のブランケットでくるまれ、ソファに横になっていた。頭の下には硬い枕、頭上には美しい男の顔。


「……何ですか、この体勢」

「愛する婚約者様の専属枕になってあげようかと思いまして」

「硬いし高いです」

「成人男性なんでな、我慢しろ」

「意外と、体温、高いですよね」

「低いと思ってたのか?」

「わたしの、が……低いか、なぁ」


 快適な位置を探してごそごそと動いてみたら、横向きが一番安定した。胸に抱えたぬいぐるみで隙間を埋めるみたいにしたら、完全に眠れる体制だ。ブランケットとヴェナの体温が丁度いい。寝不足と気疲れもあって、意識がふわふわと揺蕩うみたいだった。

 髪が揺れて、なんだか擽ったい。息を吸い込むと、夜の森林を思わせる香りがした。ヴェナの香水の匂いだと思うけど、こんなにも近くで嗅いだ事は無い。鼻先を埋めて吸い込むと、静かな森の香りが胸いっぱいに広がる。なんか、落ち着く……。



× × × ×



 膝枕を強行して数分もしない内に、小さな寝息が聞こえて来る。俺の太腿に鼻先をくっつける様にしているから顔は見えないけれど、肩が穏やかな波を描いていた。自分からやった事だが、手持無沙汰でついカスミの髪を遊ばせてしまう。くるくると指に巻き付けたり、指通りを楽しんでみたり。さらさら流れる様子は黄金の川みたいだ。

 時折もぞもぞと動いているが、起きる気配は無い。それだけ疲れていたんだろう。

 シンシアという人間がどういう性格なのか、記憶共有している部分以外でも何となく察している。明るく善良で、無垢。それは小説から得た情報だが、実際接してみて思うのは、明るく善良で無垢だからこそ、厄介だと思った。悪を倒す勇者のつもりでいるから、質が悪い。邪な考えがないからと言って、行動が邪にならないとは限らないのに。


「むぅ……」

「起きたか?」

「んン……ぅ……」


 目元に掛かる前髪を払うと、灯りを嫌がって顔を背けるが、起きる気配は無かった。息がし辛そうで、肩を少し開かせると、そのまま俺の腹に顔を埋めて来る。暖を求めて甘える猫の様だ。

 顔も、そこに収まっている鼻や口も小さいのに、目は大きくて睫毛が影になっている。今は隠れている、宝石みたいな鮮やかさを知っている。表情の変化は乏しいけれど、目は何よりも雄弁で、ころころと艶めきを変えた。あぁ、意外と口元にも機嫌が出やすかったっけ。

 大きな発露がないだけで、感情の変化は多彩な所。切り替えが早くて、くよくよしない所。冷静かと思ったら、好奇心に任せて行動する所。俺が知っているカスミなんて、せいぜいそのくらいで、その全部が好きだなと思った。

 やっぱりチョロいな、俺。一回可愛いなと思ったら、全部が可愛くて堪んなくなる。拗ねた様な顔は可愛かった。ココアを飲んでホッとしてる所も可愛かった。寝顔も可愛いと思ってたけど、起きたくなくてぐずっても可愛いと知った。あ、耳の形まで可愛い。


「マジで、婚約してて良かったわー……」


 エスメラルダとの違いで唯一気がかりなのは、カスミの警戒心の乏しさだ。シンシアに対してですら、未だに距離感が馬鹿なだけで根は良い子、とか思ってる。

 俺に対する距離の近さは婚約者という立場故もあるんだろうが、パーソナルスペースが狭い事もまた事実なんだろう。他の奴にしてくれるなという想いと、俺への距離は変えてくれるなと思うから、恋心と言うの身勝手なものだ。そして婚約者と言う立場は、俺の願いを両方とも叶えてくれる。

 

「つっても……こっからどうすっか」


 このまま上手くいけば、俺は好きな人の旦那になれる訳だが。俺が欲しいのは立場だけではなく、そこに付随する心も勿論欲しい訳で。

 今の所、好意的である、くらいしかカスミの気持ちは分からない。恋愛感情があるかどうか……ねぇ気もすんな。そもそも真っ先にシンシアとの仲をどうするか聞いて来たくらいには、俺との婚約に興味がなかったし。幸い俺は気が長い方で、地道に落としていくという手も勿論歓迎だが……この距離許しといて手が出せないのは、欲の方から抗議が来る。


「卒業までには何とかなってろよー……」


 俺もカスミも六年制で、俺が先とはいえまだ二年ある。それまでに恋人関係にはなっておきたいが、まぁ無理そうなら入籍してからどうにかするだろ、未来の俺が。

 カスミの丸い頭を撫でている内に、俺まで何だか眠くなってきた。俺を温かいと言っていたが、ブランケットに包まれているカスミも程よく体温が上がっている。そう言えば俺も実験結果を纏める為に少々無理をした。そこにシンシアへの対処で、体力気力共に削られている。背もたれに首を預けて目を瞑ると、服越しに掛かる寝息がくすぐったい。髪を滑る手がたまに肌に触れて、温いなーなんて思っている内は、起きていた、はず。

 目を開けたら俺とカスミの立場が逆になっていたから、あまり自信はないけど。

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