生まれた街
郁美の病状は少しずつ悪化して行っていた。11月にはいり、診療所の辺りは少しずつ紅葉が進み、草むらだった空き地にはススキが群生している。
私はいつものように診察を終わり、郁美の所に寄った。
彼女は、まだ自分が動けるうちに、先祖の墓参りに行きたいと言い出した。
寒くなった時期でもあり、身体に触るといけないので春まで待とうと言う私に、彼女は最近には珍しく、強い口調で行くことを主張した。
翌日、彼女の癌の主治医に連絡して、どうしてもと言うなら仕方ないだろう、との返事をもらい、勤労感謝の日の連休で宿の予約を入れて、生まれた街に帰る事にした。
「優秀な医者と看護師が一緒なんだから大丈夫よ」
と気丈に笑う郁美を助手席に乗せて私は自分のスバルレガシィ・アウトバックを走らせた。リヤシートには真奈美、ラゲッジには簡易的な医療器具と薬品が入っている。
母も私も故郷を出て以来30年以上帰っていなかった。
あの朝、私を後部シートに乗せた母が運転する車はとても長い時間かけて診療所に着いた。彼女は殆ど喋らず、私の問いにも最低限の返事しかしなかった。
これだけ長い時間、母である郁美と二人きりの時間を過ごしたのは初めてだったかもしれない。
道路の整備が進み、無料の高速区間が多い、山陰の海沿いのルートの車の流れは速く、子供の頃のキツかった長時間ドライブが嘘のように、大人の自分が運転する車は、2時間弱で目的地の寺院に着いた。
車の中は郁美と真奈美が、楽しく話を続けていたのであっという間だった。
寺院には幼い頃何度か墓参りに来た記憶があった。記憶を頼りに霊園に向かおうとする私に、郁美は「こっちだよ」と声をかけた。
連れて行かれた先は納骨堂。身寄りがなかったり、墓石の無い遺骨を安置してある場所である。
道中で買ってきた小菊の花束を献花台に供え、安置されている遺骨の戒名、俗名、没年月日、行年が書かれた帳簿を見る。
橋本家は平成の初め、私がこの街を離れた時に墓じまいと永年供養の契約を寺院側と結んだらしく帳簿にそこに眠っている先祖の名が記載されている。
先々代、先代の後に、
"平成4年9月… 橋本 愛美 行年14才"
"平成4年10月…橋本 悟 行年45才"
とあった。
「かあさん、このアイミさんって誰?」
と私が聞くと郁美は、
「マナミと読むんだよ。貴方のお姉ちゃん、橋本の家をメチャクチャにする原因を作った親不孝娘だよ」
と言い捨てた。
「でも、そうさせたのは親の私たちの所為かもしれないけど…」
と付け加えた。
私は記憶の中のぼんやりとした影が、少しだけ晴れる感じがした。
あのグランドピアノを奏でる少女。淀みなくモーツァルトを演奏していた。周りには両親と見覚えのある小父さんたち、そして中学生くらいの子供も何人か…
多分、夏休みに姉の友達が、家族で遊びにきてあの広いリビングで寛いでいた光景。
あの後、花火を広い庭でして子供たちが大騒ぎしていた事…
歳が離れていた為に、遊んだ記憶は無い姉。私が寝る時間には居なくて、朝には食卓にいる。私より少し早く学校に行く制服姿の少女。
線香の煙の中、私たち3人は暫く立ち尽くしていた。
「あの娘がいなくなって総はお姉ちゃんを探したよ。どこ?って言って」
郁美が言う。私はに全く記憶が無かった。
この城下町で3代に渡る医師の家系の橋本家は、いわゆる地元の名士であり、特に郁美の夫である悟が院長、叔父の和彦が事務長に就任した後は個人医院の規模から、勤務医を何人も抱える総合病院へと躍進を遂げた。
地元の議員や事業主、資産家との繋がりもでき、バブルの時期も重なって病院の規模は最新の設備とともに進化して行った。
愛美は、悟と郁美が東京の大学で研修医をしていた頃に生まれた。
苦学生だった悟を、郁美の両親は必ずしも歓迎して橋本家に迎え入れた訳では無かったが、優秀な外科医だった事と、何より孫の愛美と一人娘の郁美の可愛いさから結婚を許した。まもなく、郁美の母が交通事故で他界し、父も後を追うように胃癌で逝った。
橋本医院は父の末弟の和彦が経営に参加し、事務長となってから橋本総合病院となった。
悟も郁美も多忙ではあったが、経済的には豊かになり、どんどん美しい少女に育つ愛美を悟は溺愛した。郁美は医学に情熱を注ぎ、率先して東京の大学に通った。
沢山の習い事をこなし、愛美は表面的には成績優秀で美しい娘に育っているように見えた。
多忙な両親は、金銭で片付く事については惜しむ事なく、また愛美が欲しいものは全て与えた。
彼女は他人とは違う外国製のグランドピアノを弾き、腕には小学生の時からオメガのコンステレーションをはめて高い服を着てこの街を闊歩していた。
野心家の悟は地元の名士と頻繁に交流し、特に仲の良かった市会議員は、政界の陰のフィクサーとして、県会議員はもちろん地元出身の国会議員にも顔が効いて、この辺りで最も大手の土建屋とともに、公共事業の受注で暴利を貪っていた。
悟と和彦も何かと便宜を図ってもらい、橋本総合病院はどんどん大きくなって行った訳である。
そんな時に総一郎は生まれた…
初耳の話を一気に母から聞かされていた時大粒の雨が空から落ちてきた。
三人は急いで車に戻る。




